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先日読んだ「社会心理学講義」を、少しずつ読み返しています。
同じ本をもう一度読むのは、サンデル教授の「これからの『正義』の話をしよう」以来です。
少しずつ感想を書いていきますが、その中には批判的なコメントも多くあると思います。
しかしそれは、下らない本だったと言いたいわけではなく、自分が「おや?」と疑問に思ったことを少し考えてみたものですので、どうか読まれた方、お気を悪くされないよう。
素晴らしい内容の本だったので読み返しておりますので・・・

第2講 主体再考

昔、何かの本で、つぎのような話を読み、感銘を受けたことがあります。
(以下の内容は私の理解であり、本の中身とは異なっているかもしれません)

あなたが人に嫌なことを言われたとする。怒ったあなたは相手を殴ったとしよう。なぜそんなことをしたのかと聞かれればあなたは、「自分の行動は、相手にされたことが原因であるから、責任は相手にある」と主張するだろう。
しかし、果たしてそうだろうか。
嫌なことを言われてから相手を殴るまでの間には、あなたの「意思」が入っている。つまり、
嫌なことを言われる→相手を殴る
ではなく、
嫌なことを言われる→自分の意思で相手を殴ることを決定する→相手を殴る
ということである。
つまり、相手を殴ったのは、自分の意思で殴ると決めたからであって、
別に自分の意思で笑ってもいいし、泣いてもいい。
あなたの意思は、相手の行動に影響を受ける必要は無い。
なぜなら、それはあなたが自由に決められるものなのだから。
つまり、嫌なことを言われても、嫌な気分にならなくてもよいのだ。
人に何と言われようと、何をされようと、あなたの意思は、完全にあなたの自由なのだ。

素晴らしい。
強い意志を持っていれば、完全なる自由が得られると思ったものです。

しかし、第2講でその思いは脆くも崩れてしまいます。
なんと、人間は意思より前に行動している、ということが実験的に示されているというのです。
意思より前に行動があり、意思は行動に後から理由を付けたに過ぎない
というのです。
人間が行動を起こす信号を発してから運動が生じるまでに0.55秒かかり、この行動の信号から0.35秒後、運動が生じる0.2秒前に意思が生み出されている、というのです。

「意思決定があってから行為が遂行されるという構図は脳神経生理学によって否定されています」

がーん。

私の意志は、私の脳がいつの間にか命令した行動について、自分のこれまでの経験から適当に理由を付けたものに過ぎないのです。

「<私>はどこにもない。不断の自己同一化によって今ここに生み出される現象、これが<私>の正体です」
「<私>とは社会心理現象であり、社会環境の中で脳が不断に繰り返す虚構生成プロセスです」

私が考えていることは、社会心理現象なんですって?
虚構生成プロセスなんですって?

衝撃です。

今日はここまで。