・「信長と国宝」と何か関係あるの?調べてみると、結構関係ある。(秀吉、家康は、また別の物語があるだろうから別途、調べてみるが・・。まあ、褒賞として与える領土がなくなってきて、代わりに刀を与えたりしたので、名刀は各所で登場するが・・

 

・まず、「愛刀」。福岡市博物館蔵の国宝「名物へし切」「刀 金象嵌銘長谷部国重本阿花押 黒田筑前守(名物へし切)」は黒田家に伝わる名刀だが、毎年毎年1月上旬から2月上旬にかけての約1ヶ月間公開展示される。春に福岡を訪問したが、見られなかった。(また行かなくちゃ・)もう一つの黒田家のお宝「日光一文字」は、「へし切」と入れ替えに登場する。一度には見られない!!

 

・「へし切」は、「南北朝時代に活動した山城の刀工である長谷部国重によって作られた打刀とされている。国重は名工でしられる正宗に学んだ10名の門下生のことを指す正宗十哲の1人とされており、長谷部派の開祖と言われている。へし切長谷部の名前の由来は、『黒田御家御重宝故実』並びに『御蔵御櫃現御品入組帳』によると、織田信長が、自分へ無礼を働いた観内という茶坊主を成敗した時、台所へ逃げて膳棚の下に隠れた観内を「圧し切り」(刀身を押し当てて切ること)にして斬殺したことで、その際用いられた大切れ物の刀に「へし切」の異名が付けられた。なお、巷では「棚ごと茶坊主を切った」としばしば言われるが、これは棚ごと切っていれば「圧し切り」の意味を成さなくなるとして否定されている説である。その後、諸説あるが、福岡藩主黒田家に家宝として伝来した。」(Wikipedia)

 

・サントリー美術館で見た、日本刀は「太刀 銘長光:名物 津田遠江長光」が国宝。備前長船長光の作。「名物」とは、「江戸時代の『享保名物帳』に記された作品という」事。もともと織田信長の愛刀だった。サントリー美術館に行った | 雑文・ザンスのブログ (ameblo.jp)・安土城にあったが、それを明智光秀が奪い、家老の津田遠江に与えたことに由来する名前。その後は、前田家、徳川将軍家、尾張徳川家へと贈答品として転々と移った「丁子乱れ」が特徴的

 

・このほか、現存していれば「国宝」間違いなしの名刀、「不動国行」、「不動行光」についてのエピソードもおもしろい。前者は明暦の大火、後者(森蘭丸に与えられたそうだ)は本能寺の戦火で焼けている。(→「刀剣・兜で知る戦国武将40話」(青春出版社、pp.10-17,pp.185-189))。

 

・一方で、信長は「比叡山焼き討ち」で多くの文書、経文、美術品を消失させてしまった。密教のもう一つの雄、高野山、空海が昨今、各所で大々的な展覧会を開いているが、「比叡山」も各宗派の祖的な立場もあり、文献や文書には事欠かなかったはず。日本史の学者の間でも比叡山で焼失した古文書について、「信長め!!」と恨みの声があるという。

 

国宝-絵画|六道絵[聖衆来迎寺/滋賀] | WANDER 国宝 (wanderkokuho.com) こうした中、滋賀県大津市の聖衆来迎院は比叡山の一派なのに焼き討ちされなかった。森欄丸の父の墓があったためともいう。多くの文化財があるが、「往生要集」に基づき描かれた「六道絵」(国宝)なども残っている。8/6日から、東博の「国宝室」では、六道絵の「畜生道」が展示される。