読書感想:「平安貴族とはなにか 三つの日記で読む実像」(倉本一宏著・NHK出版文庫) | 雑文・ザンスのブログ (ameblo.jp)に書いているが、倉本氏は、『御堂関白記』(藤原道長)、『小右記』(藤原実資:さねすけ)、『権記』(藤原行成:ゆきなり)という道長と同時代の日記を現代語訳を作り、研究対象にしていて、道長を分析するには絶好のポジションにある。

 

・日記は、(公的な歴史書が出なくなった時代に)政務や儀式の備忘録として有職故実を子孫のために書き残したもので、道長は「用が済んだら破棄せよ」と書いていたとか。子孫たちは、その日記を大事に保管し、一部は、現代まで残り、「世界の記憶」に登録された。「国宝」でもある(陽明文庫(近衛家の文庫)に伝わる)。

 

 

倉本氏は、NHKの大河ドラマ「光る君へ」では、時代考証を担当している。しかし「ドラマ」なので、ストーリーが、奔放に独り立ちしてしまう側面もあり、このあたり、この「増補版」で修整しておきたいようだ。(これまでは、道長についての1-8章のみ。今回、「補章」として「紫式部と『源氏物語』」が加わった。

 

・そのレジュメ部分の記述は、以下の通り。「最後に、道長とも関りの深かった紫式部の生涯について、簡単にたどることにしよう。とはいえ、二人の関りは、もっぱら道長長女の中宮・彰子(しょうし)の女房として、また『源氏物語』および『紫式部日記』の執筆への支援(または命令)に限られる。二人が幼なじみであったとか、まして恋仲(または妾(しょう)であったなどとは)、歴史学の立場からは、とても考えられることではないのである」。(p.246)

 

・『源氏物語』を書く大量の「紙」を工面して与えたのは道長であった可能性が大とのこと。「物語好きな一条天皇が『源氏物語』の続きを読むために彰子の御在所を頻繁に訪れ、その結果として皇子懐妊の日が近づくことを、道長は期待したのであろう。」(p.256) 

 

・第二章「後宮を制する者が権力を握る」、から第六章「栄華の絶頂」、までが、「一家三后」を実現し、「この世をば我が世と思う望月の欠けたる事も無しと思へば」という心境になった背景を描いている。

 

・親族の者たちが次々と亡くなって行く、道長本人も立派なお寺も建て、念入りな往生の準備もした・・。第七章(浄土への希い)、第八章(欠けゆく望月)は、何だか物悲しい。