・90人の「藤原氏」の人物が紹介してあり、それを読んでいくうちに、藤原氏、ひいては日本の歴史の流れがわかるようにできている。全部紹介するのは無理なので、まあ、7-8人程度、紹介しておこう・・。

 

・「序章」には、「天皇と藤原氏は運命共同体」であったことが解説されている。「天皇のミウチ(天皇の外祖父として摂政・関白職に就任できる)であり臣下(皇位継承資格は持たない)である」という絶妙な立ち位置が説明されている。

 

・天皇と外戚関係が無い摂関というのもあったが、権力の保持が難しかった。

 

・藤原氏の躍進を支えた第二のポイントは、「政争を巧みに利用して自己の権力を固めていくしたたかさ。」「必要とあらばライバルに無実の罪をきせ、反逆罪によって失脚させるという過激な方法もいとわなかった」そうだ(p.22)。

 

・蔭位の制度は、5位以上の父・祖父を持つ子・孫は21歳になると(後年、もっとバーは下げられた・・)自動的に位階(従5位以上の貴族)をもらえる制度で、藤原氏の四兄弟の子孫はこの恩恵にあずかった。平安時代には気が付いてみると他の氏族は「消えて」いて、藤原氏の「一強」体制となっていた。

 

更に、「圧倒的な経済力」と「学問・芸術の力(王朝の伝統を守り続けた)という強力なうらづけも持っていた。前者は荘園。(地方の豪族は、藤原氏に土地を寄進して一定の年貢を払い、摂関家の領地であると主張することで武士の横領や国府の介入を防ごうとした・・・」(pp.26-27)

 

・今、大河ドラマで進行中の、紫式部、その父・藤原為時、藤原道長、道長の姉・東三条院詮子、兄の・藤原道兼、道長の長女・上東門院彰子、道長の長男・頼道などについての記述がある。

 

・待賢門院璋子(保元の乱の遠因を作った悲運の中宮)も北家閑院流の藤原家の一員。

 

・西行も、祖父の代から「佐藤」を名乗ったが、その前は、藤原北家秀郷流だそうだ。坊さんでは、親鸞,三宝院満済、文覚、大乗院尋尊も藤原家の末裔だ。個別のストーリーを読み込んでいくと、面白い。近代では、西園寺公望、近衛文麿、近衛秀麿・・、江戸から明治の過渡期に活躍した人も多い・。