・第2章の中身について(まだまだ)勉強が足りないが、まあ、とりあえず書いておこう。王様で最長の統治期間を誇るのは、(ほかにも居るかもだけど・・)、ルイ14世で、何と72年間だそうだ。祖父・康熙帝(在位61年間)、父・雍正帝(在位13年間)の政権のあと、乾隆帝は計65年間、実権を握っていた。(61年間在位し、そのあと祖父の在位期間を超えてはいけないとして、上皇として譲位したが、更に4年間、実質上在位。)清朝は絶頂期をすぎ、やや下降局面に・・。

 

・乾隆帝は、「皇帝の権威」を高めるべく、皇帝の儀式もキッチリ行った。「封禅」の儀式も泰山を巡礼しておこなった。

 

・一方で、美術品蒐集にも注力する。紫禁城内にこれら美術品をため込み、これが「礼制や宗教によって天下を治め」、「更に名品の収集と編纂事業によって中華の文化と歴史を掌中に収めた。」ことになり、中華の文明を有する者=中華民族という思想の実現を用意した。これで元をたどれば、少数民族に過ぎない清王朝が、世界の中心たる中華文明を担える!わけだ。

 

・具体的には・・・(pp.28-84)

①コレクションの内容充実:歴代屈指の書画コレクションを形成した。臣下からの献上や、民間からの接収もあった。

②増加した収納物には、紫禁城内の建物(例:寧寿宮)を新たに保管場所に指定した

③コレクションの編纂事業を行った(鑑識、収蔵も含む)。例えば清朝百年の記念事業として書画録、『秘殿珠林』、『石渠宝笈』の編集がなされた。

④書画に押す璽印(じいん:皇帝印)が定式化された。皇帝自らが考証・品評して「神・妙・能・逸」などと品等をしるすこともあった。乾隆帝の手になる題跋(書物などのあとにつける由来、本来、評などを書いた文章)がつけられることもあった。

・・・王義之の「快雪時晴帖」は「神」にランクされ、鑑蔵印や題跋が付されているが、その大半は乾隆帝の手になる。

⑤清の皇室が用いる器物や服飾などの工芸品は造弁処という部署で作成された。清朝の康熙・雍正・乾隆年間に制作されたものは特に芸術的に優れている。

 

・個々の作品についても触れられているが2つだけ例を挙げておこう。

まずは王羲之の書。「快雪時晴帖」。(「双鉤塡墨」という複製しか残ってないが・・)それでも「神」!(以下の「王義之の世界」から)

読書感想:「もっと知りたい書聖 王義之の世界」(島谷弘幸監修・東京美術) | 雑文・ザンスのブログ (ameblo.jp)

 

 

・北宋の名画(李公麟の「五馬図艦」)にも、乾隆帝は跋を付けているそうだ。(いわく、「自分の時代には、「五馬図艦」の馬たちにも勝るとも劣らない大量の名馬が西域から献上されてくる・・・。」)。つい最近、根津美術館で公開されていた絵画。(東博所蔵)。根津美術館の「北宋書画精華」展を見てきた | 雑文・ザンスのブログ (ameblo.jp)

 

・ところで、直接関係はないが、日本の場合はどうだったかな?とチェックしたら、Wikipedia「御物」に解説があった。つまり、「「御物」の用例としては、室町幕府8代将軍足利義政の所蔵品を指して「東山御物(ひがしやまごもつ)」、徳川家伝来の名物茶道具を指して「柳営御物(りゅうえいごもつ)」などと言う場合があるが、単に「御物」と言えば皇室の私有物を指し「ぎょぶつ」と読むのが通例である。」「昭和天皇の崩御に伴い、同年「御物」の大部分は相続にともなって天皇から国庫に物納され、宮内庁管轄の三の丸尚蔵館に収蔵されている。三の丸尚蔵館所蔵品には狩野永徳筆の「唐獅子図屏風」、絵巻の名品として知られる「春日権現験記絵巻」「蒙古襲来絵詞」、伊藤若冲の代表作「動植綵絵」などが含まれる。これらの作品は、1989年以降は「御物」ではなく国有財産になっている。」

 

「ただし「三種の神器」をはじめとする、皇室にゆかりの深い品々や、歴代天皇・皇族の肖像、遺筆、儀式に用いる刀剣類などの皇室経済法7条にいう皇位とともに伝わるべき由緒ある物(『御由来物』)」については国庫の帰属から除かれ、1989年以降も「御物」と呼ばれている。これらの御物は宮内庁侍従職の管理下にあり、主に皇居内の山里御文庫と京都御所内の東山御文庫に保管されている。」