・東博で、1Fを一回りして、ミュージアムショップに出る直前の大き目の部屋(18・近代の美術)に明治以降の名品がおいてあり、結構、速いタイミングで入れ替わる。この前は、鉄斎と大観の掛け軸があった。鉄斎の方には一部「日本水墨画全史」に解説を見つけた。

・これは、鉄斎、最晩年の作。(p.423)。「天孫降臨の際、天の八衢(あめのやちまた)で道をふさごうとした猿田彦神に対して、先導の天宇受売命(あまのうずめのみこと)が豊かな胸を露わに話しかけ、ついに二神ともども道案内をすることになったという、古代の説話画である。」

 

 

 

・もう一枚は

 

・鉄斎81歳の時の作。「大江捕魚図」と題する。明の唐寅の詩の一節を描いたもの。唐寅は生涯仕官することなく市井の文人として生きた。同様な環境で、鉄斎も書画に励んだ。猟師たちは、気楽な暮らしぶりを自慢する。「富を求めてあくせくするより、捕りたての魚を食いながら、船べりを叩いて歌を歌っているほうがよほどましだ!」猟師たちが船をとめて釣りをする、岸辺で宴会を催す者もいる。

 

・横山大観描く日蓮上人もあった。明恵上人(木々の上に座っているの図(京都・高山寺蔵・「国宝」)みたいに座っているのではなく、松の林の中にたっているのを海側から描いた構図になっているのだそうだ。

 

・「日本水墨画全史」(小林忠著・講談社学芸文庫)では、雪舟等楊から横山大観まで24人をとりあげている。富岡鉄斎は「古くて新しくて、老いて若々しく」であり、横山大観は「日本水墨画の決算」であるとされる。