読書感想:「戦争と平和」1(トルストイ・望月哲男訳、光文社) | 雑文・ザンスのブログ

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・「戦争と平和」はまだだったので、ほかの本を参考にしながら読み進んでみようと思った。登場人物が多いらしいが、物語に則して読んでいけば何とかなるだろう・・と踏んでいるが?訳本は全部で6巻ある。

 

・それにつけても、当時のロシアの貴族はやたらフランス語を話すんだ・・とやや、不思議に思ったが、調べてみたら、ピョートル1世(1672-1725)が、「貴族に対しては、まず爵位制度を導入し、古い大貴族が持つ称号は廃止された。1714年に慣習であった領地の分割統治制を禁じて長子相続制に移行させたため、長男以外の貴族子弟は生活のために軍か政府で勤務するのを事実上強要された。国家勤務者は官等表で3種14等級にランクづけられた。国家奉仕のためには教育が必要不可欠であり、彼ら貴族の子弟のために、実業学校など様々な教育の場がもうけられた。・・ 貴族層への熱心な働きかけは実を結び、18世紀中葉には貴族層は十分に西欧化し、フランス語での読み書きと会話が常識となった。」(Wikipedia)という背景があった。一気に「西洋化」を図った訳だ。フランス人の家庭教師を子供の時からつけたりした。

 

その露仏の対決だが、ナポレオン軍とロシア軍の対峙という形で広く出現する。例のナポレオンが「冬将軍」に敗退し、ロシアから逃げかえる戦いか?と思ったが、それだけではなく1805年~の「対フランス大同盟」の一環として、オーストリア、プロイセンあたりと共同で戦闘を行っているが、「戦争と平和」はそこからカバーしている。「世界史で深まる クラシックの名曲」(内藤博文著 青春新書)でナポレオンの戦闘がよくまとまった表(pp.80-81)があったので参考に載せておこう。ベートーベンはナポレオンから「刺激」を受けて沢山の音楽活動を行った(交響曲3番「英雄」は、当初「ボナパルト」として、ナポレオンに捧げられる予定だった・・。)のでベートーベンの作曲活動も年表に出てくる・・・。

 

・表の中で☆はナポレオンの「勝ち戦」で、★は「負け戦」。1812年のボロジノの戦いで、真冬のロシアで身動きが取れなくなり、撤退するが、45万人(!)を失う。その次のドイツ戦役(ライプティッフィの大会戦)では24万人を失ったので、あわせて69万人の兵力が失われた。・「フランスの若者の数世代が確実に根絶やしになった。」。「ナポレオン、フーシェ、タレーラン」(鹿島茂著・講談社学芸文庫)p.400。

 

・「1」はロシアの貴族階級、今後の展開のキーパーソンの紹介的記述が中心だが、ボルコンスキー家のアンドレイ公爵(「老公爵」の長男で、クトゥーゾフ将軍の副官)が登場、戦線に参加し、戦闘シーンが出てくる。「1」で出てくるのは、バグラチオン将軍(ロシア側指揮官)の率いる少数の前衛部隊が、ウィーンを占領して勢いに乗るナポレオンの大軍を相手に善戦した結果、クトゥーゾフ総司令官の率いる軍全体がロシアから来る援軍と合流する余裕を得たとするシェングラーベンの戦いのエピソード。「2」では、これに続くアウステルリッツの「三帝会戦」の直前から露仏講和条約(東プロイセンのティルジットで締結)までがカバーされている。

 

・読み進みながら色々、追加していこう!!

 

・そういえば、ベズーホフ家の老伯爵の死に際して、「遺産・領地」を誰が相続するかでもめていた。姪たちは、自分たちが正当な権利者だと思い、それだからこそ、看病もしていたのだが、実は伯爵の庶子ピエールに老伯爵はすべてを遺した。「庶子」といえども皇帝の許可があれば相続は可能(その許可を求める手紙も準備したあった)。ヨーロッパの小説によく出てくる相続を巡るドタバタはロシアにもあったのだ。・・こうして、ピエールは「侯爵」として「2巻目」以降に表舞台に登場してくる。