・東京→米原→長浜→竹生島→長浜→米原(金沢経由で)高岡(ここで一泊)→(富山経由で)飛騨古川までたどり着いた。ここから飛騨の安国寺に行くにはタクシーしかない。(まあ、マイカーの人は別だが・・)。で、駅としては飛騨国府が一番近いが無人駅だし、タクシーは近隣の町(多分、飛騨古川だろう)から呼ぶのだろうから、飛騨古川の方が融通が利きそう・・とそこで下車。そしたら、タクシー乗り場に車が停まってない!駅員さんに聞いたら、事務所が駅舎のすぐ近くのタクシー会社を教えてくれた。「うん、今は、全車予約済みだよ。もう1社場所教えてあげるから、行ってみて!」と言われて、100Mくらい先のもう一社の事務所を教えてくれた。配車担当のオバちゃんが、「何とか一台動ける。ちょっと待っててね・・」というのでラッキーだった。何でも天気もいいし、猪臥山(標高1,519m)付近の「宇津江四十八滝巡り」の名所の起点と終点に送り・迎えのニーズがあり、結構忙しいのだとか。

 

・観光客が来なくなったので、給料も払えず、最小の人数に絞っていたので、急に需要が増えても受けられないのだという。危なかった。ギリギリセーフ。昔、「古川まつり」を見たことがあり、懐かしい町だが、これもコロナで3年間休止だったそうだ。なんせ、お祭りなので、皆、大酒を飲み、大声を上げ、密集するから・・・。安国寺さんに電話して「数日前に予約した者ですが、今、飛騨古川についてタクシー乗れたので、これから向かいます。」と連絡。ちなみに、アポなしだと「外観」は見られるけど、カギを開けて入る内部は見れないので要注意。

 

・「経蔵」は昔、三井寺で見たことがあった。「一切経」で、当時の主要経典は網羅されていたはず。飛騨の安国寺は少林寺だったのを足利尊氏が全国に安国寺をつくったときに、安国寺に改称(1347年)。開山の師を南禅寺より送ってもらい、おおいに栄えたようだ。ただし、その後兵火に遭い戦国時代には「経蔵」、「開山堂」以外を焼失。飛騨をおさめた金森氏の支援でその後、復興した。「経蔵」は1408年の建立。おさめてある一切経は中国から持ち込んだもの。国宝指定は昭和38年だそうだ。

 

・お経は写真にあるように函には入っていず、平積みで、特に虫干しもしないがよく残っているようだ。(竹の繊維のような丈夫な紙が使われているとの事)。大人3人がかりくらいなら塔は回転するという・・。マニ車みたいだな・・。建物の屋根の反りは恰好がいいね・・。

 

 

一部、彩色が残っている。

 

欄間は風通しが良いというが、雨も吹き込んだりするらしい。