・外人旅行客が、本格的に増える前に少しまわってみるか?という気になり、動き出した。で、折角なので「国宝」指定の建築物を見て回ろうとした。琵琶湖の竹生島には、「宝厳寺」の唐門と、もうひとつ神社の本殿がある。まず、「唐門」は下記の写真だが、修復後なので色鮮やか。昔、大阪城の一部として使われていたものだそうだ。

 
内部も塗りなおしたので、豪華絢爛。廊下部分は秀吉の御座船を利用したもの。
 
 
 
 
 
 
・もう、ひとつの神社部分は、下の秀吉寄進の建物。これは、「竹生島神社」で、下記部分。
・ここに祀られているのは、市杵島比売命(いちきしまひめのみこと=弁財天)、宇賀福神、竹生島龍神、そして産土神の浅井比売命(あざいひめのみこと)の4柱。浅井比売命は、浅井氏の氏神ともいわれ、琵琶湖の湖水を支配する神様。
 
・この階段はぜんぶで165段。すごい急だけど、手すりにすがり付いて、何とか登れた。この上にあるのは宝厳寺本殿で、「弁天堂」で、弁天様がいる?!階段の上にある宝厳寺の本殿は、これ↓。
 
 
ご本尊の弁才天は秘仏で、60年に一回ご開帳され、次回のご開帳は2037年だそうですよ・・・。それとは別に、本堂では左右に鎮座する「宇賀弁才天座像」を見ることが出来るそうだ。ちょいと見過ごしてしまったので、チャンスがあれば次回、確認!
 
・神仏分離で全国的には弁天様は厳島神社のようにイチキシマヒメと弁才天の習合がみられたのがイチキシマヒメの「神社」になったところが多いが、ここは神社と寺院と二本立てになっているようだ・。ついでに唐門の中には「観音堂」に、観音菩薩が祀られていて、「西国三十三か所」の第三十番目の札所「宝厳寺」にもなっている。(三重塔があとから作られているように、神社と寺の「二本立て」で機能しているようだ。)
 
・このあたり、「仏像破壊の日本史 神仏分離と廃仏毀釈の闇」(古川順弘著 宝島新書)pp.148-151を読んで理由がやっとわかった。役所(大津県庁)側が、「弁財天を昔、琵琶湖に降臨したとされる浅井姫命(あさいひめのみこと)とし、弁天社は、昔、竹生島にあったという都久夫須磨神社としなさい」と厳命した。これに僧侶たちは反発。「弁財天はもともと仏教の神様なので、かえって神仏混淆になってしまう!」のだったが、役所側は「これは朝廷の意志だ」とか強硬なので、都久夫須磨神社と宝厳寺の二本立てで対処した。なので、いまだに寺の「弁天堂」が残っている。全国の弁天社の場合は、弁天社を神社に改称し、祭神を海の女神の宗像三神に改めたところが多い。
 
 
 
・例の琵琶湖周航の歌の歌碑が、たっていた。
 
・長浜側は・・
 
(追記)
江ノ島では、三女神を江島大神と称して祀っている。

・奥津宮の多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)
・中津宮の市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)
・辺津宮の田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)

 

・そして旧来の弁天像(2種)は辺津宮の八角堂に納められている。裸形の「妙音弁財天」、及び「武神X豊穣神」の「手が八本」の「八弁財天(宇賀弁財天)座像」。ここもある意味「二本立て」。

 

・因みに厳島神社は、

祭神は次の3柱。3柱は「宗像三女神」と総称される。

市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫神(たぎつひめのみこと)。市杵島姫命は神仏習合時代には仏教の女神の弁才天と習合し、隣接する大願寺と一体化して大伽藍を構成していた。現在、大願寺は「日本三大弁才天」の1つとされている。弁才天像は大願寺にある。