皇居東御苑 | 雑文・ザンスのブログ

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いい天気で、気温も上昇。「散歩日和」と思い、でかけた。しかし、花粉も浮かれて飛んでおり、花粉症で鼻水が出て困った・・。「東御苑」と言っても、「二の丸庭園」の方はカットしてしまったので、昔の江戸城の「天守閣跡」、「本丸跡」、「大奥跡」、あたりの公園スペースを散策し、「三の丸尚蔵館」を覗き、大手門から出た。このコースだと、入り口は北桔橋門(きたはねばしもん)。坂を下って行く感じになるので歩くのは楽だ。


地下鉄竹橋駅(1a出口)から近い桔橋門(きたはねばしもん)は、天守閣に一番近く最も重要な場所にあったため、濠を深くし、橋も跳ね上げられるようになっていたそうだ。門を入ってすぐ、天守閣跡の城壁がでてくる。

      
ここにあった天守閣は三代家光が建てたものが最後で、それは高さ約45m。(ちなみに姫路城の天守閣は31.5mだそうだ。)天守台を加えると約58m。本丸の地面は標高20mのため、天守は標高約78m・・・。なので、相当高い。明暦の大火(いわゆる振袖大火(1657年))で類焼。以来、再建されていない。江戸の町の再建を優先させたとか・・。天守閣は通常は倉庫や物見の塔代わりで、戦乱の時には「司令部」が置かれるが、平時には必要がないのかも知れない。ちなみに富士見櫓が「物見の塔」代わりに使われ、将軍がそこから、品川の海や、隅田川の花火を見たそうだ。


そういえば、熊本城の天守閣については、西南戦争時に焼失しているが、「時代遅れの天守閣を焼き、兵に籠城を覚悟させるため、司令長官の谷干城(たにたてき)が命じ、参謀の児玉源太郎が火を付けた、という説」があるそうだ。何でも、天守閣に備蓄していた米俵の「焼け残り」がいくら探してもみつからない・・との事で、米を搬出してから火を放ったのかも??

 

      
天守跡から富士見櫓を見渡すスペースは、昔の本丸あとで、大奥もあった場所。今は、きれいさっぱり、広い公園状態になっている。途中に「松の廊下跡」とか表示がある。

      
      
花は少しは咲いていたが、まあ、4月以降かな?

      
      
      
                     

番所跡など経由して、三の丸尚蔵館(3/8日まで、「明治天皇 邦を知り国を治める」という写真展を開催中)を見て、大手門から出た。


仏語は以下をご参照。

http://fr.wikipedia.org/wiki/Ch%C3%A2teau_d%27Edo

http://fr.wikipedia.org/wiki/Grand_incendie_de_Meireki

http://fr.wikipedia.org/wiki/K%C5%8Dkyo