雑文・ザンスのブログ

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映画・読書・旅行などの話題。そして時々、資格。

・以前(5/25日付で)今後のスケジュールを書いたが、その後、7,8月の詳細なスケジュールの発表もあったので、up date しておこう。赤字は未見なもの

 

1)空海と真言の名宝」展(東博で)7/14-9/6

薬師如来坐像(仁和寺)

・信貴山縁起絵巻(奈良・朝護孫氏寺)

・五智如来坐像(京都・安祥寺)

十二天屏風のうち梵天(東寺)(8/11-23のみ)

五大尊像のうち不動明王(醍醐寺)

・三十帖冊子(仁和寺)

・泉涌寺勧縁疏(泉涌寺)

・金銅錫杖頭(香川・普通寺)

・後宇多天皇宸翰御手印遺告(大覚寺)

・後宇多天皇宸翰弘法大師伝(大覚寺)

 

2)奈良国立博物館 特別展「南都仏画」(7/18-9/13)、一部期間のみ展示のものも。早めに一度行って、全体の出展リストを確認かな?海外に流れた名作(日本に会ったら国宝)というのも一部参加している。

 

(「通期」出展のようだ)

・「伝橘夫人念持仏厨子」(法隆寺)

 

(「通期」だが、展示入れ替えあり)

・両界曼陀羅図(子嶋曼荼羅)(子嶋寺・奈良)

・華厳五十五か所絵巻(東大寺・奈良)

 

(7/18-8/2)

・吉祥天像(薬師寺・奈良)

 

前期(7/18-8/16)

・「刺繍釈迦如来説法図」

「絵因果経第3上巻」(醍醐寺・京都)

「薬師寺東塔」の初重支輪板(薬師寺・奈良)

・「花鳥彩絵油色箱」(東大寺・奈良)

・「十一面観音像」どこの??

・「阿弥陀如来像」(法華寺・奈良)

 

(7/18-8/23)

・「信貴山縁起絵巻」・「尼公巻」(朝護孫子寺・奈良)

 

(8/18-9/13)

・「絵因果経」(上品蓮台寺・京都)

・「唐招提寺 金堂」の「天井支輪板」(唐招提寺・奈良)

・「葡萄唐草文染韋」(東大寺・奈良)

・「普賢菩薩像」(東京国立博物館)

・「醍醐寺文書聖教」から「内山永久寺真言堂指図」(醍醐寺・京都)

・「慈恵大師像」(薬師寺・奈良)

 

(8/25-9/13)

・「倶舎曼荼羅図」(東大寺・奈良)

・「両部大経感徳図」(藤田美術館・大阪)

 

3)奈良・東大寺:10/5の東大寺手害門での

快慶作・僧形八幡神座像の公開(これにあわせて前後に関西で見て回れる国宝をチェック)

 

4) 大徳寺展(10/14-12/6) 東博。「国宝」は「観音猿鶴図」、「大井戸茶碗」は見た。

宗峰妙超像(いわゆる大燈国師像)の絵画はみてない。

 

5)東京近郊で近々見られそうな国宝

伊能忠敬関係資料(千葉県・香取市)

二荒山神社(日光): 大太刀銘備州長船、小太刀銘来国俊

 

6)7/8-8/31 大阪歴史博物館 短刀。(個人蔵)。「名物 桑山保昌」

 

7)2/27-12/27 光ミュージアム(高山),「太刀 銘 康次」

 

全部みたら10件強はあるね・・。まあ良くチェックしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・武澤さんが、これほど「宗教建築」にのめり込んだのは、小平霊園に設置される予定の納骨堂(2万5千体)の設計を担当したから・・。「エピローグ」にあるように1993年に設計を終え(それについてはインドの聖地などをたびたび訪問し、構想を練ったらしい)あとは着工を待つだけになった・・。しかし、都知事が変わったり、バブル崩壊の影響?などもあり、計画は頓挫してしまった。その「完成予想図」がp.309から公開されている。武澤氏は79歳位で、「死児の齢を数える」ような気にもなるのかもしれないが、若い時に心血を注いだプロジェクトが「お蔵入り」となったというのは、実に気の毒だ。

 

・2点、気が付いたので書いておこう。さらに追加点がでたら③としてまた書いてみよう。

 

・まず、伊勢神宮についての記述は、「伊勢神宮の謎を解く」をザっと再読してみたが、新しい観点が加わっている。つまり、1)道教の影響が感じられる、2)内宮と外宮の差異点と共通点pp.127-132のあたり。このあたり、更に深堀したら面白そうだが・・。

 

・「塔」の話しで、密教の寺院では「塔」自体が「立体曼陀羅」として使われている。中央の柱は「大日如来」だ!という指摘がなされている。つまり、「・・空海の手にかかるや、心柱は密教宇宙の最高存在である大日如来の化身となる。舎利信仰は吹き飛ばされて、代わって心柱の周囲には金剛界四仏が配される。五重塔のなかは、金綱界を主とする曼陀羅宇宙を体現する場にさま変わりしたのである。・・中略・・それは一本の垂直線がもたらす単純きわまりない宇宙から、三次元の構造的宇宙への転換であった。」(p.64)また「そもそも、四世紀に発生した密教的マンダラとは、仏教がヒンドゥー教に押されて勢力を弱めていく中で、伝統的認識を取り入れた延命策であった。ちなみにチベットでは、マンダラをキル・コル(中心をまわるもの)とした。まさしく、卒塔婆、塔婆、塔は立体マンダラなのだ。」(p.84)。この辺り、著者の「マンダラの謎を解く」(講談社現代新書)でも読んでみよう。

 

・ノジュール7月号が来た。「美食列車」というのが各地で走っているようで、「へ~」と感心した。「予約殺到!」だそうだ。まあ、海外旅行は円安でバカ高だから、国内旅行の豪華版はそれなりの需要があるんだろう。知らなかった・・・。

・「知らない」といえばサンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼路の脇に(サン・ミシェル・デギュイ礼拝堂)という礼拝堂が高さ82mの火山岩の岩山の頂上に立っているそうだ。↑

 

・フランス国内からスペインに向かう巡礼路は四本あるが、その一つ「ル・ピュイ」の道(起点はル・ピュイ・アン・ヴレ)。pp.1-3。

 

・色々、知らない事を教えてくれる雑誌だ。芸術関係では、P.92の「南都仏画」(奈良博で)8/18-9/13というのは知っていたが、p.114にある東京都美術館の「100周年記念展」、江戸東京博物館リニューアル展示とか、国立能楽堂での「平家物語の世界」(8/30予定?チケットは売り切れかな??)とか色々あるんだね・・。

 

・サッカーのブラジル戦で夜更かし(興奮したら徹夜も??)に備えて、精力をつけるのに、ランチに焼肉を食べようと銀座に行った。何でもワインも売り物の高級店だが、ランチはリーゾナブルな値段ででている!との事で、おっとり刀で行ってみました・・。(ビルの7F)。そしたらメニューの中に「ビーフカレーライス(別途・焼肉つき)」があったので、思わずそれを注文した。

 

・「黒毛和牛一頭買 醍醐」の銀座店。他にも「醍醐」ブランドの店舗は数カ店あるようだ。焼肉付きで、1,300円って安いね!!

銀座5-5-11 7F

 

 

 

・うまかったし、お腹いっぱいで、しあわせ。これでブラジル戦も勝てばいうことなし!!

<この1か月で読んだ本>

・「ノジュール2026年7月号」(JTBパブリッシング)

・「姉・米原真理」(井上マリ子著・文春文庫)

・「定家の明月記私抄」(堀田善衛著・ちくま学芸文庫)

・「平安時代の夢分析」(倉本一宏著・角川ソフィア文庫)

・「南北朝時代」(森茂暁著・講談社現代新書)

・「方丈記私記」(堀田善衛著・ちくま文庫)

・「節目を力に変える思考法」(鈴木孝博著・リーブル出版)

・「めぐりしあいし人々」(堀田善衛著・集英社文庫)

・「国宝の謎」(鈴木旭著・日本文芸社)

・「宗教建築を体感する」(武澤秀一著・講談社現代新書)

 

<これから読む(かも?)の本>

 

・武澤さんの本は、今まで5-6冊読んで、その構想の雄大さに感心したもんだが、読書感想:「空海 塔のコスモロジー」(春秋社:武澤秀一著) | 雑文・ザンスのブログ読書感想:「伊勢神宮の謎を解くーアマテラスと天皇の「発明」」(武澤秀一著:ちくま新書) | 雑文・ザンスのブログ読書感想:「法隆寺の謎を解く」(武澤秀一著・ちくま新書) | 雑文・ザンスのブログ読書感想:「建築から見た日本古代史」(武澤秀一著・ちくま新書) | 雑文・ザンスのブログ、など読んだが、その「集大成」ともいうべき内容。

 

・「礼拝法から宗教建築を分類する」という事で。I 回る、II 進む、III 彼方を見るという順で論じている。具体的な建築物をとりあげて、そのイメージをより鮮明にとらえようとする。

 

・中味が濃いので例によって、①、②、③と三回くらいに分けて書いてみよう。とりあえずパートIの「回る」から。サーンチーのストゥーパ巡りの感動から。ここで、宇宙卵とアクシス・ムンディが論じられる。アクシス・ムンディは、エリヤ―デによると「天と地をつなぐ垂直軸の立つ場所」。サーンチーのストゥーパ(仏塔)巡りを「右回り」(ブラクシナ―・パタ)の原則に従い、延々とあるいていくと基壇の直径37mのアンダ(卵)の中心に21m以上の石の柱が立っている・・。

 

・「「宇宙卵」のイメージはインドにあって、仏教以前からあった伝統的なものであった。宇宙卵のイメージは、むしろヴェーダの宗教やこれに続いたヒンドゥー教に根差している。それを小乗仏教は借用してみずからの宗教建築とし、これに大乗仏教も倣ったのである。」(p.29,一部略)。

 

・卵の中には、高僧の遺骨が入っているそうで、「骨になったも悟りの境地にある覚者は永遠に生きている。なぜなら、悟りの境地に死は無く、永遠だからである。卵であるストゥーパは終わりではなく、始まりの世界を体現しているのだ。覚者の死は終わりではない。卵のなかではじまりに回帰する事なのだ。」(p.30)

 

・ブッダは臨終に際して、弟子たちに直接ストゥーパを作ることを禁じた。・・そのような事は俗世の信者に任せ、ひたすら修行に励みなさい・・・。しかし、「輪廻からの解脱」→悟り→涅槃、の「グランドデザイン」はサーンチーの中を巡っていて、心の片隅に「輪廻」の思いがある人には、その「増幅装置」として働いてしまうのではないか??そうすると、せっかくのブッダの、「輪廻からの解脱」が、ないがしろにされてしまう••。

 

・このほか、 パートIでは、中国と韓国の古い「塔」が紹介してあり、日本の塔との違いが強調されている。日本の場合は、「心柱」が通っている。

・メニューを見ると、「とんかつ屋」さんだが、チキンカツカレーを食べたので、一応、「街カレー」の仲間にしておこう・・。ちょっと用事があり、秋葉原に行った。昼をどこかで食べるか?この前に行った、C&C秋葉原店で、「カツカレー」でも食べるか?と思ったがいろいろ検索して、「福与志」がうまそうなので。それにした。

 

・男性が一人で厨房を切り盛りしており、女性が配膳と会計を担当。フル回転。14席しかないが外で待っている人が常に居るね。

・チキンカツカレー。たっぷり盛ってあって、1,000円。割安だ。カツカレーとかとんかつ定食もある。3人連れのフランス人若者はとんかつ定食だ。最近、外人は、日本のトンカツを好んで食べるそうだ。

 

・この入口はわかりにくいが、ともかく人が並んでいるのですぐ場所はわかる。

 

・メニューはこんな感じ。また色々食べてみたいな・・。

・神保町で、カレーが中心だったが、少し、対象先を拡大しよう。今日は手始めに下北沢のカレーうどんにした。廣栄屋(ひろえや)の「Ojiyaカレーうどん」。1,200円。Ojiyaというのは丼の底に、オジヤが敷きつめてあり、カレー、オジヤ、ウドンとトッピングのウズラの卵が堪能できる。大盛でウズラの卵が沢山のっけてあるのは1,600円で、ネーミングも変わる。曰く、「ギガたまOJIYAカレーうどん」。

 

・熱々のカレーが層をつくっているので、熱が冷めず熱い。へたするとやけどするので、水を飲みながら慎重に食べる。カレーは甘い。インドカレー風の辛いカレーに慣れてしまったので、やや慌てた。「うひょ、甘い!!」。

 

・「最初から混ぜるな!」と注意書きがある。確かに。上からウズラの卵、ウドンと攻めたあとでご飯(オジヤ)が登場すると食べ甲斐がある。何かズドンと腹に来るが、ウドン+オジヤというのは、炭水化物のオンパレードではある。

 

・駅から歩いて4-5分。北沢3丁目2-1

 

・新聞を読んでいたら、「子供の虫歯が減っている」。フッ素歯磨きの普及、口内消毒の習慣が定着。・・・結果、虫歯が減る傾向だとか。(日経6/22朝刊・11面)。それで、歯科医師は2040年までに、(2024年末は10万3652人)、9万9千人くらいまで減少見込み、だそうだ。歯科医師の国家試験も需給関係で、難しくなっているんだね。(合格率100%かと思っていた。)でも歯周病(40代以降発症の比率が多い)とか今後力を入れるべき分野とかありそうだ。

 

・カメラ屋さんは結構マージンが高く、一時は左うちわだった。大都市の駅(裏口)近辺に大規模店のカメラ店の出店が全国で相次ぎ一挙に地図が塗り替わった。「大量仕入れ」・「大量販売」で、客の流れが変わった。あれは、50年前くらいかな?「流通革命」とか言われた一つの例だな・・。ビックカメラ、ヨドバシカメラは、どういう業界だったのかな?調べてみよう。・・同じ業態だね・・。ファイナンスがうまく行ったのかな?まあ、「経営力」。

 

・「流通革命」と言えば、全国にシャッター通りが出てきたのは、大規模小売店(デパートじゃなくスーパーとか、郊外型大店舗)とかコンビニの進出に荒らされたのだろう。まあ、「価格」、「品揃え」で対抗できなければ凋落傾向は取り戻せない。

 

・まあ、大手大資本が零細企業の足元を崩していくスタイルなので、心苦しいが、消費者の利便性という点からの、原点から考えるのがやはり正解かも。

 

・大手資本が中小企業になだれ込むスタイルでは、メガバンクが地方の中小企業を狙っているらしい。なんせ、日本の企業の(会社数での)99%は中小企業で、地方に多い。今は、地銀、信金ががっちり抑えているが、「体力勝負」に本格的に乗り出されるとエライ事になる。手始めにオーナーのクレッジトカード普及あたりから始めるみたいだが、三大メガバンク揃い踏みで動きが加速し、地盤を失った地銀が併合されたり、消えたりする「シャッター通り」現象も出現しそうだ。まあ、弱肉強食。諸行無常。地銀・信金などは臥薪嘗胆・呉越同舟・・・。

 

・働くスタイルをみると、「コンサルタント」の数も急増中とか・・。(2-3日前の日経にでてたんだけど、見当たらないよ!)。AIスキルをこなせない企業が大半なので、そこを「いただき」で商いの原資にする。急拡大で、社員数も膨張中。そのうち、「こんなに要らない」てな事になるかもだけど、「AIスキル、転職の神器」(賃金、事務で三割上乗せ)(日経朝刊・一面記事 6/21)なんて感じなので、当面、「受け皿」はあるかな?

 

・とまあ、「世の中」は動いているが、こちらはもうとっくの昔にリタイヤ済みで、「年金生活者」。経済の活性化はいいが、「インフレが加速すると年金生活者には辛いなあ・・」て感じ。まあ、景気低迷よりはいいかな?あとは目先老人が増えているので、老人ホームの心配やら・・。(今更、気の合わない人と集団生活したくないが)。お迎えは、「小さなお葬式」で手間がかからなくなっているようで、それは、気軽かも・・。まあ心配しても本人は何もできないが・・。(それにしてもカトちゃんがCMやってるが、「その次」は誰がやるんだろ。・・まあ沢山いるか?!)

 

・少し、読み進んだので2回目を書いておこう。(3回目があるとしたら、室町後期についての他の本を読みこんでから・・)。

 

・まず、「三種の神器」について。特に、本文中に詳しいコメントは無かったと思うが、以下のような整理がなされているようだ。「『吾妻鑑』によれば、1185年(元歴2年)の壇之浦の戦いで、安徳天皇が入水し草薙剣(形代)も赤間関(関門海峡)に水没したとされる。この時、後鳥羽天皇は三種の神器が無いまま、後白河法皇の院詮を根拠に即位している。足利尊氏は後醍醐天皇の建武の新制(あるいは建武の中興)に離反し、1336年(延元元年/建武3年)に光明天皇の北朝を立てて京都に室町幕府を開くが、後醍醐天皇は、北朝に渡した神器は贋物であるとして自己の皇位の正統性を主張し、吉野(奈良県吉野郡吉野町)に南朝を開き南北朝時代が始まる。正平一統の後に南朝が一時京都を奪還して北朝の三上皇を拉致する際に神器も接収したため、北朝の天皇のうち後半の後光厳天皇・後円融天皇・後小松天皇の3天皇は後鳥羽天皇の先例にならい神器無しで即位している。南朝の北畠親房は『神皇正統記』で、君主の条件として血統のほかに君徳や神器の重要性を強調したが、既に述べたように、神器無しでの即位は後鳥羽天皇が後白河法皇の院宣により即位した先例がある。南朝保有の神器は、1392年(元中9年/明徳3年)に足利義満の斡旋による南北朝合一の際に、南朝の後亀山天皇から北朝の後小松天皇に渡った。室町時代の1443年(嘉吉3年)に、南朝の遺臣が御所へ乱入し神器を奪う「禁闕(皇居内裏)の変」が起こり、剣と勾玉が後南朝に持ち去られたが、剣は翌日に早くも発見され、玉はその後1458年(長禄2年)に奪還された。」(Wikipedia)

 

・しかし、今は、

 

三種の神器の所在地
  実物 形代
八咫鏡(やたのかがみ) 伊勢神宮内     宮中三殿賢所
草薙剣(くさなぎのつるぎ) 熱田神宮 皇居「剣璽の間」
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま) 皇居「剣璽の間」 (なし)      

 

 

という整理が行われている。(「神社検定」もそういう整理だった。そうすると平氏が、壇ノ浦で剣を水没した(海中に失った)とか大騒ぎしたり、南北朝で三種の神器を奪い合ったのはどんな意味があったのか?という気がする。(形代を別途用意すれば事が足りる)。いずれにせよ神器(実物、形代)は入れ物(容器)の中に入っていて誰も(天皇も)中を見ることはできないそうで、検証のしようもない。)

 

・足利尊氏は、源氏の源義家の子の義国の子孫(もう一人の子、義親の子孫が頼朝)。そこから新田家の祖となる義重と足利家の祖となる義康が出た。そして、その子、義兼から尊氏までの七代の当主はすべて北条一門から正室を迎えている。(pp.75-77)北条家も尊氏の懐柔をはかるが、次第に北条家からは離反していく。森氏は「バサラ大名」の親玉格(有力バサラ大名たちを、さらに、その上のレベルで統括していたのが将軍としての足利尊氏)として捉えられるのではないか?という。(バサラ・婆裟羅:鎌倉末期から室町時代にかけて流行した、権威を無視し、派手で奇抜な振る舞いを好む美意識や風潮のこと)「・・南北朝時代とは、程度の差こそあれバサラの風をもつ群像によって彩られていた。」なので、バサラ支持派VS非支持派の抗争が観応の擾乱だった。(p.38)

 

・足利尊氏は後醍醐天皇と「恩賞権」を巡って対立していく。武士は、やはり、戦いの恩賞がきっちりもらえないと大将には反旗を翻してしまう。p.130以下に詳しいが、建武2年以降の「袖判下文」で恩賞給付のための文書を尊氏は武士に給付し始める。(当初は、後醍醐天皇の「天皇が論旨をもっておこなう(ので尊氏は手を出してはいけない)」と釘を刺され、身内の武士にのみ

「袖判下文」を渡していたが、建武2年9月27日以降は、一般の武士にも広く、「袖判下文」が尊氏から渡されるようになった。これは、尊氏が後醍醐天皇の命令に従わない事を事実上決めた事を意味する。

 

・尊氏の離反で、建武政権は頓挫してしまう。pp.145-146に詳しい。中央では雑訴決断所は構成員の多くが尊氏配下の者が多く、「ボイコット」を受けた。地方では、中央政府の命令は、諸国の国司、守護によって執行されていた。守護は武士出身者が多く、足利尊氏(=武門の棟梁)の命には従うが公家の言う事などに従うつもりは無かった・・。・・という訳で、尊氏が全国的な実権を握っていく。