
・倉本氏は、「光る君へ」の時代考証も担当した平安時代に詳しい日本史家。「小右記」、「権記」、「御堂関白記」などの現代語訳も行っている。
・「平安貴族は夢を記録に残したのだろうか?」、「どんな傾向の夢が書き残されているのだろうか?」という興味から、分析が始まっている。対象になったのは、pp.167-170に記載されている天皇、摂政、大臣などの高官が記した31個の古記録。残念ながら、藤原定家の「明月記」は、この仲間には入れてもらってない。まあ、「子孫のため必要となるかもしれない有職故実を書き連ねた」ものではあるが、子孫は「和歌の家」を継いでいくという役割となり、「明月記」は、天文現象の分析とか別の分野で重宝されたが・・。
・天皇の記録した日記である御記(ぎょき)には、夢の記事がほとんどない。それは、その影響力の強さを慮ったのであろうか。(p.391)
・「夢」についての記述が多いのは、「小右記」、「権記」、「御堂関白記」など。
・中で、道長の夢は、「そのほとんどが外出、あるいは参列することを回避するための根拠としての夢」で「御堂関白記」中の「夢」の記述は、「サボリのための口実?」ではないかと倉本氏は疑っている・・。
・「権記」は、権大納言まで昇進した(その家系は行成の建てた寺院にちなみ世尊寺流と称され、書の主流となった)藤原行成の手になる。摂政、藤原伊尹(これまさ)の孫、右少将義孝の子。九条藤原家の嫡流といえる家系だったが、祖父、父も逝去してから青年期は不遇だった。しかし、公務に精通し、また諸芸に優れ(*特に書)、重用された。「昇進」についての夢が出てくるのには、本人がかなり日頃から「意識」していたことが反映しているようだ。道長は、当然の出世街道まっしぐらなので、夢にも「昇進」は出てこない・・。また、「不動尊を核とする現世利益の密教から、阿弥陀仏を核とする来世利益の浄土信仰へ傾斜していく様子」が夢に出てきたと語られているそうだ。
*三蹟といわれた。平安時代の書道史において、卓越した才能を持ち「和様(日本風)」の書を確立した3人の能書家、小野道風、藤原佐理、藤原行成の総称です。漢字の「三蹟」または「三跡」と表記されます。・小野道風(おのの とうふう / みちかぜ)
唐風の書に和様の趣を取り入れ、その基礎を築いた第一人者です。・藤原佐理(ふじわら の さり / すけまさ)
奔放で感情豊かな筆跡が特徴で、「離洛帖」などの作品が有名です。・藤原行成(ふじわら の ゆきなり / こうぜい)
均整のとれた温雅な書風で、のちに日本書道の主流となる「世尊寺流(せそんじりゅう)」の祖となりました。
・「小右記」は、(「光る君へ」では、ロバート秋山が演じていた)、藤原実資が記した。小野宮流の継承者として朝廷儀式や政務に精通、その博学と見識は藤原道長にも一目置かれたそうだ。右大臣に昇進してから実に26年間大臣に在位した。90歳で亡くなっている。「小右記」は「野府記」などとも称され63年間の記録がある・・。
・行成も実資も、政務に関する夢を記述しているが、激職である蔵人頭から参議に昇進して公卿の仲間入りをするあたりの時期に集中している。
・フロイトとか、舶来の「分析手法」を使ってない部分は、何とも「まともな」分析結果とはなっている。
・「日記」の本来の目的は、子孫のために有職故実の詳細を伝えるということなので、それとは必ずしも関係ない自分がみた「夢」についての記述は控えられたのかも知れない・・との事。