雑文・ザンスのブログ

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映画・読書・旅行などの話題。そして時々、資格。

・ビジネス書なんだろうけど、これから人生の浪を乗り越えていく若い人たちへの応援歌というかアドバイスかな?と思った。

 

・『世界にひとつだけの花』の歌詞を聞いての違和感は全くの同感。つまり、「オンリーワン」と言って、自己満足に陥りやすく、「競争しなくてもいい」、「努力しなくてもいい」という「免罪符」のように受けとめられているかもしれない・・。というのは、ご指摘の通り。

 

多分、「失われた30年」では、こんな感じで、ジッと時が過ぎ、タイミングが変わるのを待つしかなかったのかな?(そういう意味で、本書とは関係ないが、私に抵抗があるのは、「置かれた場所で咲きなさい」・・植物じゃないんだから、「置かれた場所が不適」と思ったら、どんどん場所を変えればいい。まあ、リスクはあるが・・。)

 

・「失われた30年」はすぎつつある。次の展開に備え、「ジッと待つだけ」からスタンスを変えないといけない!!そういう意味でタイミングを調整して(ヒントは、4~6章あたりにちりばめてある)「時の流れ」を引き寄せよう!同感してくれる人や、メンターにも出会えるかも知れない・・。

 

・今日は、「特別公開日」との事で、立川までJR,そこでモノレールに乗り換え、「柴崎体育館駅」で降りて徒歩7分。結構簡単なんだけど方角を180度まちがえてモノレールの反対側のサイドにいってしまった!

 

・2回道を聞いて教えてもらい、やっとたどり着く。割と広い敷地だが本堂などは新しい。何でも火災で旧来のものは焼けて、その後、再建したのだそうだ。

 

石幢は、昔は(写真のように)露天に置かれていたが、最近では展示台を囲む小堂のような保存庫が、本堂近くにでき、収納ケースの中の石幢を周りから一回りして眺められるようになった。石幢は、・・南北朝時代の1361年の作らしい。

 

・像の表面には四天王像と、金剛力士像あわせて6体が刻まれている。以下の右手の建物に収納されている。

 

 

 

 

・サッカーの中継をみるので、朝の5時から起きていて、少しくたびれてきた。夕食前に昼寝しよう、遅いかな??

•日本橋、檍(あおき)で、カツカレー食べた。神田のイッペコッペは、檍のカツを使うチェーン店の一つ。鹿児島方言で、「あっちにも、こっちにも」という意味だそうだ。街カレー巡り:とんかつ檍(あおき)のカレー屋いっぺこっぺ神田小川町 | 雑文・ザンスのブログ

 

•いつか、檍の蒲田の本店に行ってみるかなと思っていたが、(マツ子に時々出てくるオヤジの発音だと「キャマタ」だが・・)図らずも、日本橋界隈をぶらついて居たら、檍の日本橋店に出会ってしまった。蕎麦の砂場の近く。

 

•ランチとして、カツカレー食べて満足。ロースカツの、切り口を見えるようにカツを並び替えた。

 

 

・ん・・。満足した・

 

(追記)

・念のため、檍の店舗網を確認したらびっくりした。「キャマタ」本店以下、13カ店ある。このほかに「イッぺコッペ」もあるわけだ。「イッぺコッペ」は、鹿児島方言で、「あっちにも、こっちにも」という意味、だそうだが、まさしくそんな感じ。まあ、皆さん切磋琢磨しておいしいとんかつを頂ければ嬉しい限りだ。

 

イッぺコッペの方は、「直営」が4カ店、「フランチャイズ」が12か店。以前食べた、神田小川町のは「直営店」の方だった。

・国宝「明月記」の現物(修理済みの一巻)を京都の美術館で見て、興味をそそられ、「定家明月記私抄」(正・続)を読んでみた。読書感想:「定家明月記私抄」(堀田善衛著・ちくま学芸文庫) | 雑文・ザンスのブログ

 

・結構、面白かった。そのついでに「方丈記私記」(ちくま文庫)も読破しようと文庫本を読んでいる。堀田氏は昔、一部の著書は読んだかな?まあ亡くなられてから25年は過ぎている。エッセイ集「めぐりあいし人々」があったので、「入門編」的に読んでみた。

 

・昔の「北前船」をやっていた家(本拠は富山市の伏木港)で一時は、羽振りが良かったみたいだ。まあ、そこで色んな人種(旅芸人、俳人、画家など)に出会ったり、アメリカ人牧師の家に住み込んだり(おかげで英語は自然に身についたそうだ)後の「国際派」、「小説家」になる下地ができたのだろう。

 

・慶応の法科に入ったが、入学してから、仏文学に鞍替え。良くある話だ。芥川比呂志、福永武彦、中村真一郎などとも知り合いになっていく。終戦近く、東京大空襲があり、親しくしていた女性も跡形もなく、消えてしまった。「何とか渡欧したい」とりあえず、上海まで飛ぼう・・と、就職していた国際文化振興会の上海資料室というのに志望して、上海までたどり着く。そこから先は、終戦のごたごた。まあ、上海に行く前に、日本で、兵役に一旦ついたが、病気で、すぐ除隊になったそうだ。

 

・なかで、「西行、定家そして長明」という一章(pp.173-184)がある。このあたり戦争の影響が色濃い。定家、長明の描く末法の世の中を、戦時下の日々に重ねて捉えている。おそらく他の本も大なり小なり、「戦争と文学」とか「極限状態で人はどう行動する?」あたりが終生のテーマなんだろう。

 

 

・昔、シニアに一時、席を置いていた(2014年くらい?)が、「まだ、その域ではないだろう?」と「オヤジ」にジャンル変更した。ただ、もう来年は「喜寿」だし、うまく行けば「米寿」まで長生き(会社のOB会の集まりをみていると・・)するかも(しないかも。。まあ、ジタバタ)なので、最後の世代別ジャンルの「シニア」にジャンル変更することにした。

 

・この10年間の「積み上げ」で以下の状態になっている。

 

①「国宝」を見る。(映画の「国宝」じゃないけど)。全体の1,145件のうち、やっと900件見た。まあザっと250件が未見な訳だ。

秘仏とか個人所有とかで見られなさそうなものもあり、今まで見た中でも、ブログの先達は「1,050」件位が最多記録だ。古文書だの読みが下らないので、「有難味」がイマイチだが、歴史の勉強の読書と並行して理解を深めていきたい。(追記:1085件の人が居た!失礼!)yamaco 🐾国宝探訪|note

 

②「読書」は好きで「読書感想文」みたいなのも書いているが、そろそろ累計で1,000件位になってくる。これも先達には、2,000件位の人が居る。まあ、私の読んでる本は、新書や文庫本が多く、「深み」の点で問題があるかもだけど、まあ、自分の知識を積み上げるツールと思ってやっているので、こんなもの。

 

③「旅行」が、読書の知識を現実にフォローするのでは役に立ったが、7年前に大病(延髄梗塞)して、その関連で、転んで、左の大腿骨骨折もやらかし、少し機動性が落ちている。まあ歩けない事ないけど、長い距離とか歩くと、負荷がかかったところが凝って大変だったり・・。なので、国内外の旅行は大人しくなった。飛行機に乗ると、体調が若干悪くなるので、差し控え中。で、行動範囲は極めて狭い。

 

④海外旅行行かなくなったので用はないのだけど、昔勉強した仏語の延長で伊語(最近は西語)も勉強し始めている。まあ、「検定試験」が「脳トレ」になるのでやり始めている。(ちなみに英検は1級、仏検は1級、伊検は準2級まで合格。)今は、西語3,4級に挑戦、伊語は秋に2級にチャレンジする。まあ70歳台はまだ受験生が居るみたい・・。外国語を勉強すると「あ!そういう事か!」という場面がある。イタリア語の「熟語集」をチェックしていたら「アカペラ」というのは教会の「礼拝堂=カペラ、で」という意味で、昔むかし、伴奏の無い合唱がおこなわれた・・のだそうだ。なるほど、それで「アカペラ」なわけだ。こんな事がわかった楽しい。こういう事は皆さんにフィードバックしたくなる・・。

↑昔、クロアチア行った時に昔の礼拝堂跡で「アカペラ」の合唱が始まった。これ「a cappella」=礼拝堂で、アカペラってやつ。

 

④ 追記。カレーの食べ巡りをやっている。神保町とか中心に出没しています。ライスの量を若い人なみに食べると(200g・・)太るので、「少な目」に変更しよう・・・。

 

・とても面白いのだが、かなり分厚く、一気に読み通すのはちょいとシンドイかも・・。こういう時は、①、②、③とか何回かにわけて読む方法がある。間に他の本が入ったりして・・。まあ、その方式で行こう!

 

・まず、1)南北朝時代は「自由」な時代であった。後醍醐天皇の「新儀」(朕が新儀は未来の先例たるべし=自分が新しいものとして始めたことが後代の先例になる)の開き直りもあるし、既存勢力と新規勢力の対立の構図でもあった。人々は、自らの利害に従って、相対する勢力の間を容易に行き来することになるだろう。(p.14)。昔、呉座さんの「応仁の乱」を読んだ関西の人が、

自分のご先祖様がでてくるが、くるくると立場を変えて色んな陣営にくっついたり離れたりしているので、やや呆れた!」と言っていたが、そういう「時代の気分」があったのだ。このあたりの裏付けとして網野善彦氏の見解が引用されている。(p.22)。つまり、「日本の中世社会は・・南北朝時代に自然経済から貨幣経済の時代へと脱却し、これにともなう商業、金融、交通のネットワークの形成により飛躍的な商工業の発展がもたらされた。この状況が日本列島全域に及んだことにより、中世社会の様相が大きく変わった。いわば貨幣が人を変えたのだ。」(p.23にある森氏のまとめ)。また、一方で百姓から領主への荘園の年貢米支払いが現物でなく代銭でおこなわれるようになるにつれて両者の関係性がドライなものになってきて、当然、社会規範も変わる・・。(p.23)。

 

2)それから、南北朝と対立していたのになぜいつの間にか南朝が前面に出てきたのか・・については、p.34に説明があった。「・・近代国家成立のために、天皇像にも国をリードする存在として「強さ」が求められことになった。そのため「抜擢」されたのが戦う天皇として名高かった後醍醐であった。この時の天皇、すなわち明治天皇が北朝天皇家の出身であったにもかかわらず、南朝ひいきの国民輿論を追い風にして明治政府は南朝を理念的に正当な皇帝と位置づけた国民教化策を打ち出した。・・その結果、学校教育では南朝が公的に正当とされ、小学校教科書から「南北朝時代」の表記が消え、かわって「建武の中興」の項目があらたに加えられた。さらに南朝は「吉野の朝廷」と改称され。それまで北朝天皇が記載されていた歴代表から北朝歴代が削除された。この南朝中心史観に基づく国の学校教育が昭和20年の終戦まで続いた。」

 

・足利尊氏は「バサラの親玉」としてのとらえかた。「地方」も含めた日本全体の「分裂」、「動乱」、「収束」については別途まとめよう・・。

 

3)室町幕府が、京都に置かれた理由が2つ挙げてある。(pp.108-109)。1は、鎌倉時代後半以降、貨幣や為替手形などの浸透により、信用経済といっても良いほどのネットワークが形成され、その中心には京都があった。政治、経済の中心プレーヤーとしての寺社権門の集住する場所が京都。2.訴訟制度の整備。雑訴決断所は全国の訴訟を扱う。これが京都に開設された。

 

 

・「神田カレー・グランプリ」の何かの賞を受賞した店を回り始めている。今日は2025年の「マイスター賞」を受賞したPAIKAJI市ヶ谷・東郷公園)に行って来た。市ヶ谷で降り、地図を見ながら訪ねたが、すぐにわかった。「マイスター賞」はプロの審査員の推すカレーという位置づけ。沖縄カレーとしての工夫が評価されたかな?

 

・アルテビルの1Fだが、奥の窓からは公園が見下ろせる。少し手前の道路が小高くなっている。沖縄カレーのルーの作り方を書いてある説明を写メしてきたので、チェックしてみて下さい。まあ、「欧風カレー」風だが、そんなに甘くはない。キーマとハンバーグが載っている、「PAIKAJI-2」を食べた。

 

・デザート類や、コーヒー、紅茶も凝っているので、リピート客歓迎のようだ。POINT CARD(5回行くとトッピングサービス、10回行くと次回500円offとか・・。)を貰った。

 

・手間かけて準備している感が伝わってきて、いい感じ。また、そのうち行こうかな・・。

 

 

 

 

 

・倉本氏は、「光る君へ」の時代考証も担当した平安時代に詳しい日本史家。「小右記」、「権記」、「御堂関白記」などの現代語訳も行っている。

 

・「平安貴族は夢を記録に残したのだろうか?」、「どんな傾向の夢が書き残されているのだろうか?」という興味から、分析が始まっている。対象になったのは、pp.167-170に記載されている天皇、摂政、大臣などの高官が記した31個の古記録。残念ながら、藤原定家の「明月記」は、この仲間には入れてもらってない。まあ、「子孫のため必要となるかもしれない有職故実を書き連ねた」ものではあるが、子孫は「和歌の家」を継いでいくという役割となり、「明月記」は、天文現象の分析とか別の分野で重宝されたが・・。

 

・天皇の記録した日記である御記(ぎょき)には、夢の記事がほとんどない。それは、その影響力の強さを慮ったのであろうか。(p.391)

 

・「夢」についての記述が多いのは、「小右記」、「権記」、「御堂関白記」など。

 

・中で、道長の夢は、「そのほとんどが外出、あるいは参列することを回避するための根拠としての夢」で「御堂関白記」中の「夢」の記述は、「サボリのための口実?」ではないかと倉本氏は疑っている・・。

 

・「権記」は、権大納言まで昇進した(その家系は行成の建てた寺院にちなみ世尊寺流と称され、書の主流となった)藤原行成の手になる。摂政、藤原伊尹(これまさ)の孫、右少将義孝の子。九条藤原家の嫡流といえる家系だったが、祖父、父も逝去してから青年期は不遇だった。しかし、公務に精通し、また諸芸に優れ(*特に書)、重用された。「昇進」についての夢が出てくるのには、本人がかなり日頃から「意識」していたことが反映しているようだ。道長は、当然の出世街道まっしぐらなので、夢にも「昇進」は出てこない・・。また、「不動尊を核とする現世利益の密教から、阿弥陀仏を核とする来世利益の浄土信仰へ傾斜していく様子」が夢に出てきたと語られているそうだ。

*三蹟といわれた。平安時代の書道史において、卓越した才能を持ち「和様(日本風)」の書を確立した3人の能書家、小野道風藤原佐理藤原行成の総称です。漢字の「三蹟」または「三跡」と表記されます。・小野道風(おのの とうふう / みちかぜ)
唐風の書に和様の趣を取り入れ、その基礎を築いた第一人者です。・藤原佐理(ふじわら の さり / すけまさ)
奔放で感情豊かな筆跡が特徴で、「離洛帖」などの作品が有名です。・藤原行成(ふじわら の ゆきなり / こうぜい)
均整のとれた温雅な書風で、のちに日本書道の主流となる「世尊寺流(せそんじりゅう)」の祖となりました。

 

・「小右記」は、(「光る君へ」では、ロバート秋山が演じていた)、藤原実資が記した。小野宮流の継承者として朝廷儀式や政務に精通、その博学と見識は藤原道長にも一目置かれたそうだ。右大臣に昇進してから実に26年間大臣に在位した。90歳で亡くなっている。「小右記」は「野府記」などとも称され63年間の記録がある・・。

 

・行成も実資も、政務に関する夢を記述しているが、激職である蔵人頭から参議に昇進して公卿の仲間入りをするあたりの時期に集中している。

 

・フロイトとか、舶来の「分析手法」を使ってない部分は、何とも「まともな」分析結果とはなっている。

 

・「日記」の本来の目的は、子孫のために有職故実の詳細を伝えるということなので、それとは必ずしも関係ない自分がみた「夢」についての記述は控えられたのかも知れない・・との事。

・2025年11月の「神田グランプリ」に関連して、「グランプリ」受賞は、「オオドリー<鴻>神田駿河台店」だった・・。ここも含め、開始以降のグランプリ受賞店は一渉り行ったので、今度は、準グランプリなどもターゲットにする。で昨年の準グランプリ店は、秋葉原にあるカレーショップC&C秋葉原店だった。今日行って来た。

 

・カツカレーが美味そうだったが、準グランプリ受賞作はポークカレーらしいので、それにした。久しぶりの甘い欧風カレーだがうまかった。

 

・次回から使えるという、「トッピング1種「ただで」追加」クーポンを貰ったので、大事にとっておいて使わさせてもらおう。

 


・JR秋葉原駅から昭和通り側出口でてすぐ。HPを見ると、「受賞作」は、「ポークカレーにビーフを混ぜて作った逸品」みたいなので、食べたのとちがうかも??もう一度、食べ直すのかな?まあ、何度でも行ってみよう。

 

・堀田氏の「私抄」を読んでみた。長期間にわたり、海外にまで持って行って、読み続けたとか・・。

 

・『明月記の世界』と重複しない面白い箇所を2-3ピックアップしてみよう。

 

・①「西行との出会い」(正・pp.77-91): 「歌の道に専念することに決したのは、西行に会ったため・・」とされている。

 

②後白河法皇(正・pp96-97):流行歌狂い。また日本の代表的春画『小柴垣草子』の説明文書の作者。「実物」は、「永青文庫」の展示会で1枚だけ見たかな?「説明」は無かった記憶がある。

 

③源頼朝:「革命家としての果断さと方法論をもたず、疑心暗鬼にとらわれている、長女の大姫を後鳥羽の後宮に入れようとして、故後白河の側近側の謀略にひっかかる。」(正・p.114)・・だから、北条側に見限られた!

 

(続編部分)

④(続・pp104-105)宮廷社会の日本国全体に対しての地理的認識)。歌名所による認識。見たこともない陸奥が11カ所も入っている。「現実との亀裂」はより深まっている。

 

⑤同様の亀裂は宗教においても見られる。(p.105),「国家宗教としての、密教的旧信仰と個人の救いを求める顕教的新宗教との亀裂である、すなわち、真言、天台と禅宗、浄土宗、などである。」

 

⑥「かくては、歌風もまた動かざるを得ないのであるが、それはまた別の事に属する。そうして、たとえば定家や後鳥羽院などにおいてピークに達し、それ以上の登高が空気が希薄になってーということは、本歌取りに次ぐ本歌取りでー不可能とあれば、それはもう一度、麓の民衆に戻されて連歌や俳諧に変形して再生するまでには、芭蕉の出現まで四百年以上も待たなければならない。」

(p.105)