前回の投稿の続きです
先月からかなり起きる現実が変わり
私が求めていた
「安心して楽しく、クリエイティブに生きる」
な流れが始まって間もない頃
前回書いた大きな気づきがおき、
そしてその翌日、
職場で久しぶりに(以前は日常茶飯事だった)、
無価値感を感じるささいな出来事が起きた
たわいないことで
私より1年先輩の若い子が、副店長に
「すご〜い!こんなことできるの〜?」と
大騒ぎで称賛されていた
そのことは、私の方が得意で、私ならもっと
クオリティの高いものができるのに
‼️
と、「私の方がすごい」と言わせたい衝動と嫉妬にかられ
めちゃくちゃ気分が悪くなった
・・のですが
その数秒後、
ん?まてよ?
またでたお馴染みのこの感情、
起きる大元のタネは、
自分が無価値ではないと証明するため
自分の方が役に立つ!と証明して
存在価値を確保して安心するため
だったよね!!!
じゃぁ、もうそれいらないじゃん
何かができたから、能力が高いから
存在していい、承認されるに値する、とか
自分をジャッジするという思考は
もうちゃんちゃらおかしい茶番だったって
わかってきたじゃん
・・・と、違う視座のわたしが「気づいた」
それと同時に
超不快だった気分が晴れ、
嫉妬した彼女とも
彼女をエコヒイキする(と思い込んでた)
副店長ともいい感じの関係になり
なんと翌日には
みんなでクリエイティブな話ができるようになった
おまけの話として、その嫉妬のほかに
すんごい仕事ができない、というか
若すぎて何もできない子と
天然過ぎてできない人に超いらついたけど
それも同じ感じで
過去の仕事できない自分を許せてなくて
「そんなんじゃ存在価値ないよ!」と
ビシバシにジャッジしてた自分を改めて認識し
もう、
存在価値のためにがんばらなくていいよね
存在価値なんて
あるかないか考える以前に
価値しかないからこの地球に人間として
存在してるんだよねっていう原点に戻り
(身体=宇宙、身体の細胞=宇宙の星々)
この一連の自分のなかで起きることを
俯瞰して「気づけた」
するとそこからは
慈しみの感情が生まれ
できないひとはフォローする、
できなかった頃の自分のふがいなさを
きっとこの子も感じてるだろうなと
愛をもって接するようになれた
もうほんとに、
ここまでこれてめちゃくちゃ嬉しい!
今まで何度も何度も、
起きては気づき→内観して手放し
を繰り返して、それでもまだ何度も何度も現れ
え?!手放せたと思ったのに
いつになったら完全に手放せるの!?って
イライラしたときも何度もあった
でもそれは、それをとらえる視座が
深いところまで意識を下ろせていなかった
大元、根本的に
なんのための無価値感・罪悪感・欠乏感だったのか
それに気づき、本体に意識を還せたとき
やっと大きな広い、∞の視座から
ものごとを捉えられるようになるのだと感じた
きっとこれからも
大なり小なり、無価値感を思い出させる出来事が
起きると思う
だけどもう、
内観で瞬殺する自信がある
そして同時に
その出来事を起こした相手・事象に
感謝が生まれるだろう
あぁなんて、
完璧な世界なのだ

