ジイタンの随想 その3だよ ![]()
☆ 運は恐れるとつけあがるよ![]()
運というのがある。あまり信じたくはないけれど、たしかに運が良かったとか悪かったと思うことが時には起きるから、まんざら否定するわけにもゆかない。![]()
運という文字は動くという意味をも持つのだそうだ。運とは人間の知恵や力ではどうしようもないもの、何か計り知れない不思議なパワーが働いて生じるものというイメージがあるが、実はそうではない。運とは動くもの動かせるものなのだという。![]()
この野郎と押さえ付け、動かしたいところに動かそうと思えば運とは案外素直に動くものだし、逆に恐れおののいて崇めたてまつるとますますいい気になって増長し、私たちを自由に操ろうとするようだ。![]()
運に支配されるか支配するかは、結局こちらの意思次第ということである。![]()
つまり運が良くなるのも悪くなるのもこちらがどう動くかによって決まるということらしい。![]()
そんなことを考えていたら、その昔、営業所長をしていたサラリーマン時代に、成績の良い者たちとそうではない者たちとの、その理由付けというか言い訳が面白かった事を思い出した。![]()
成績の良い者たちは、昨日はどこかと契約をと思っていた会社に運よく当たったとか、今日はいつも居ない社長が運よく居たもので、などと言う。一方、そうではない者たちは、昨日はさあ契約という段になって運悪く急用が入って社長が出かけてしまったとか、行ったら既に他と契約した後でついていなかった、などと言って帰ってくる。![]()
ところが調べてみると、成績の良い者たちとそうでない者たちとではアタックする件数が違う、訪問する回数が違う、見込み客管理の緻密さが違う、と、他人から見ればその結果の原因は判然としているのだが、本人たちは気がつかない。気づかずに自分なりに努力しているつもりでいるからその結果が不思議に思えてくる。不思議に思うから運のせいにする。運のせいにすれば気が楽だし自己満足ができるからそこに逃げる、とまあ、そんな流れになるようだ。![]()
また、運の女神というやつは暗くてうじうじした奴が大嫌いなのだともいう。だからそんな奴にはつらく当たる、冷たく当たる。もしもそんな運の悪い状態が長く続き裏目裏目という状態になったら、それは運の女神にこっぴどくいじめられていると思えばよい。そこで落ち込んだりしたらもっといじめられる。![]()
こんな状態を打開する道は朗らかになること、なるようになると開き直って運を恫喝することだ。こちらが明るく強くなると運の女神は一転、そんな人間にほれ込み、すぐにウィンクを送ってくる。投げキッスを送ってくる。そうなったらしめたもの、事態は急速に改善され幸運が舞い込む。![]()
運とはこのようにこちら次第でどうにでもなるものだが、そんな運の中でも特に良い運を私たちはチャンスなどと呼ぶ。チャンス到来などと言う。![]()
このチャンスも結局はこちらの意志によって動いてくるのだが、しかしこのチャンスはその到来をいつもキャッチできるとは限らない。気がつかないうちにそっと来てそっと去ってしまうことが多く、文字通りせっかくのチャンスを、とがっかりすることになりかねない。![]()
ではせっかくのチャンスを逃さずに、つかみ取るにはどうしたらよいだろう。その方法は月並みなこと、すなわち常に夢を抱きあきらめずに追い続けることだ。志を大きく立て、その実現に努力し続けることだ。![]()
すると、例えば車を買おうと思っていると車に関する情報が脳にどんどん飛び込んでくるように、志に向かう努力がチャンス到来を敏感に感じ取り、逃さずにキャッチ出来る頭脳のアンテナを磨いてくれる。![]()
良い運に巡り合えるということは、そんな単純なことの結果であるにすぎない。![]()
じゃまたね