ジイタンだよ![]()
映画『コッポラの 胡蝶の夢』観たよ。
先ず、この映画はね、ファンタジーと言えばファンタジー、人間の心の奥底にある心理を描いた心理描写の作品と言えばそうも言える、そして人生とは何ぞやといった哲学的意味を問うた作品といってもいい、まあそんな、分かったような分からなかったような作品だったよ。
ストーリーはね、ある年老いた言語学者が、雨の日に雷に打たれてね、大やけどをするんだけど命は助かり、なんと30歳も40歳も若返ってしまうんだ。おまけに頭脳はさらに明晰になる。
当然彼は話題の人になるよね、でも彼はそれを嫌って逃げ回る。
そんなとき、彼は若い頃事情によって別れた恋人にそっくりな女性と出会い、二人は恋に落ちる。
そして彼らは誰にも煩わされずに済む僻地の、海の見えるところに移って、二人だけの楽しい生活と、本来の言語学の研究に打ち込むんだ。
ここからドラマは言語学研究とその過程に起きる様々な不思議の話しに移ってゆくよ。
女性はね、眠っている時にときどき失神というか、まったく別な人格になって様々な言語を話すんだよね、いろんな民族の言語をね、しかも回数を重ねるたびにどんどん昔の、人類が言葉を話し始めたころの言語にさかのぼってゆく。
彼の研究は彼女のおかげでどんどん進むよ。でもね、そのように別人格になるたびに彼女の肉体は年をとって老いてゆくんだ。
なぜだろう? その原因は自分の研究にあったことを知り、このままでは彼女は死んでしまうと覚った彼は、悩んだ末、彼女から離れてゆく。
シーンは一転してカフェの中、そこには彼と懐かしい昔の仲間たちがいるよ、そこで「胡蝶の夢」の話しをしながら彼は年をとってゆき、シーンは雪の降る路上に・・・・・・・・
原題は「若さなき若さ」っていうんだそうだけど、この映画はね、昔の中国の思想家、荘子の説く「胡蝶の夢」という話しの思想を採り入れたお話なんだね。
胡蝶の夢という説話はね、自分が夢の中で蝶になり、楽園を飛び回って大いに楽しんだあと目が覚めたんだけど、そこで彼は考えたんだね、はて、自分は蝶になって飛びまわった夢を見たつもりだったけど、もしかしてそれは反対で、本来自分は蝶であって、今人間になった夢を見ているんじゃないか、とね。
つまり何が現実で何が夢なのか、どっちが現実でどっちが夢なのかなんて誰にも分からないじゃないか、ということだね。この考え方からは、人生って何だ?とか、自分て何もの? あの楽しみや苦しみ悩みって何だったの? といった哲学的疑問が生まれてきて・・・・・なーてなってゆくんだろうかね。
いったい、本当にこの映画の各シーンの現実は何で夢はどこだったんだろう? 雷に打たれるまでが現実でその後のシーンは全部病院のベッドの中で見た夢なのか? 昔の恋人に似た女性に会えて夢のような生活に、というのはやはり夢だったのか? それとも老人の姿で雪降る路上に横たわっていたことだけが現実で、それ以外は薄れゆく意識の中で見た夢だったのか? とまあ、ああでもないこうでもないと想像が膨らむ映画だね。
コッポラは、観客がそんな???で頭がいっぱいになるだろうことを夢見ながら、ほくそ笑んで作ったのかもしれないね。
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じゃまたね




