定例(毎月第3日曜日11時から)の街頭演説を新浜松駅前でおこないました。



一穂乃会に参加いただき、

◎高市総理の台湾有事に関する国会答弁に対し、中共と媚中政治家、メディアが発言撤回を求め策動している。総理の答弁を「失言」にしようとメディアが批判的な論評、記事で世論誘導を企んだが政権支持率は高いままであり、メディアの影響力が低下したことが顕在化した。


◎伊東市長選挙で、「移民政策反対」を訴える候補者の選挙活動を妨害する連中を、静岡新聞は「主張に抗議する人達」と、真っ当な言論活動であるかのように記述した。有権者にとって候補者の街頭演説は「主張への賛否」を判断するための機会であり、候補者に「主張させない」、有権者に「主張を聞かせない」為の行為は「妨害」であり、批判的に扱われるべきだ。


◎新語流行語大賞に高市氏の「働いて働いて~」が選ばれたことについてメディアは、過労死者遺族の「怒りの声」を取り上げていた。過労死など無くなるべきことであり、遺族にはお悔やみ申し上げる。だが高市氏に「怒りの声」を向けるのは筋違いであり、受け止め方、感性がズレていると言わざるをえない。怒りの声を上げるならば「大賞に選んだところへ」であり、高市氏にたいしては「働き過ぎはよくないですよ」とでも言うべきでははないか。


◎過労死者遺族の言葉を都合よく利用した「高市下げ」に躍起なメディアは、新語流行語大賞に「オールドメディア」がノミネートされていることをどう受け止めたのか?「移民政策反対の主張はヘイトスピーチ、排外主義」だとする論調、報道の甲斐なく「移民政策反対」を主張する政党の躍進、候補者の当選が相次いでいる。なぜ「オールドメディア」「マスゴミ」と蔑称されるのかを検証、反省し、建て直しを図らなければ、新聞・テレビ報道は凋落し続けるだろう。


◎だからといって所謂ニューメディア、ネット言論が公正だとは言えない。例えばネットニュースによくあるのが「◯◯さん、喜びの報告に祝福の声」という見出しは、「◯◯さん“の”喜びの報告」 についての記事ではなく、「◯◯さん“が”△△さんの喜びの報告に」という記事であることが多い。主語述語の組み方次第で見出しと本文では逆の内容となることでも「嘘は書いてない」ということが当たり前になっている。「見出し」「切り取り」だけ見て・聞いて判別するのは間違いのもとになる。


などなどを訴えました。




次回の新浜松駅前定例街宣は、令和8年1月18日11時からの予定です。雨天と選挙期間は中止です。