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地上約100mの眺望!【気球から世界遺産を見よう】百舌鳥・古市古墳群を一望

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2025/10/03

堺市は、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」を空から一望できる観光

気球の運行を10月4日から開始します。発着点は大仙公園で、定員

30人、地上約100メートルまで上昇し、大山古墳(仁徳天皇陵古墳)

などを眺望可能。飛行時間は約15分で、年間6万人の利用を見込みます。

年中無休ですが気象状況によっては運休も。料金は大人4200円、

子ども3000円、堺市民は1000円割引です。万博後も大阪の魅力発信

を目指します。

 

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2025/10/08 13:30

 

 

 

仁徳天皇が狩猟をしていたとき、鹿がふらふらと飛び出してきて、

倒れてしまいました。鹿が倒れた原因を調べたところ、脳みそが

食べられていたのです。なんと、百舌鳥が鹿の耳から飛び込んで

いき、鹿の脳みそを食い荒らしたというわけです。

堺市では、百舌鳥を市の鳥として指定していて、キャラクターと

してもとりあげています。

堺市役所の展望台に行ってみてください^^堺市の展望台について

は別の記事でアクセスなどの情報をまとめていますので、是非参考

にしてみてくださいね^^

 

 

 


 

 

世界最大の墳墓である仁徳天皇陵古墳をはじめとする百舌鳥古墳群

堺市のやや北部に位置する百舌鳥古墳群は、日本を代表する古墳群

で、かつては100基以上あったといわれますが、現在は44基が残って

います。 主な古墳には、大仙公園を挟んで、日本最大の前方後円墳

である仁徳天皇陵古墳と履中天皇陵古墳があり、東側に、いたすけ

古墳、御廟山古墳、ニサンザイ古墳、北側に反正天皇陵古墳があります。

 

堺市の「百舌鳥」、羽曳野市・藤井寺市の「古市」の2つからなる百舌鳥

・古市古墳群は、4世紀後半から6世紀前半にかけて200基を超える古墳

が築造された巨大古墳群です。2019年7月6日、アゼルバイジャンの首都、

バクーで開かれたユネスコ世界遺産委員会で大阪初の世界遺産に登録

されました。

 

 

 

 

 

古墳は関西地方を中心に100基は建造されていますが、世界遺産と

しては大阪の堺市の百舌鳥(もず)と藤井寺市と羽曳野(はびの)

市の古市にある45件49基の古墳が構成資産となっています。特に

日本最大の古墳である大仙陵古墳(仁徳天皇陵)が最も有名で、

これは古墳時代中期(4世紀後半〜5世紀後半)のもので、最盛期

に建造されたと考えられています。

そして、大仙陵古墳には陪冢(ばいちょう)と呼ばれる小さな古墳

が付随していて、ここには前方後円墳、円墳、方墳、帆立貝形墳と

いう4つのタイプの古墳が見られます。これらの大きさは20〜500m

もの差があり、階級による権力の差によって大きさも異なっていた

と考えられるもの。

馬型の埴輪/堺市博物館

古墳は基本的には陵墓として考えられていて、登録されている古墳群

は王族とその関係者の墓でもありますが、その他の役割としては

「葬送儀礼の舞台」として設計されているのが特徴。どれも盛土や

積石をしているだけでなく、墳丘の上には、人や動物、家、器材

などを模した埴輪が並べられていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

騎馬民族は金の壺から生まれた伝説が有ります。 丸底で口の広い

取手の付いた壺で、トータルデザインです。余所者の傀儡王として日本

に呼ばれ永住権を得ました。

 

 

 

 

 

高松塚古墳が発見当時に大きな注目を集めたのは、石室の内壁に

漆喰が塗られ、天井面には星図(星辰、星宿)、四面には日月と

四神図(玄武、白虎、青龍、盗掘の際に失われたと思われる朱雀)、

飛鳥美人と呼称された女性群像、男性群像が描かれていたことだ。

また、1kmほど離れた場所にあるキトラ古墳の石室の内部にも

見事な壁画が描かれている。

 

 

 

 

 

 

古代の天皇系図

 

 

 

 

 

 

4〜5世紀の朝鮮半島

 (一) 時期は、新羅の奈勿王(三五六〜四〇一)から訥祇王

(四一七〜四五六)の時代。高句麗では、好太王(三九二〜四一二)

から長寿王(四一三〜四九一)の時代に当る。(好太王は碑文に

よれば、三九一〜四一二)。
 (二) 訥祇王は、四一七年、即位直後、二人の弟への憂いを語った。

彼等は前王のとき以来、高句麗と倭国へそれぞれ人質に送られて

いたのである。
 (三) 王の要請によって、朴堤上は倭国の都に向った。倭王に対し、

母国(新羅)への“裏切り者”であるように見せかけ、倭王はこれを

信じた。
 一夜、堤上は人質の王子(未斯欣)を舟で脱出させた。翌朝、

倭兵はようやく気づき、これを追うたけれども、未斯欣の舟は

すでに煙霧晦冥(まっくら)の中に逃れ、これに追い着くことが

できなかった。
 (四) 倭王は怒って、薪の火で堤上を焼き、斬殺した。

「倭国」の「都」はどこか。

この倭都を“九州北岸”と見れば、状況はピタリと適合する。対馬

海流は対馬の東で二方向に分流する。一は、出雲へ。他は、朝鮮

半島の東岸沿いに慶州(新羅の都)へと向う。東鮮暖流だ。

このような、海流という名の「海の論理」の上に、右の説話は

見事に“乗って”いるのである。古代説話のもつ真実性(リアリティ)だ。
 以上の分析によってみれば、この倭国の都、倭王の居するところ、

それは九州北岸、すなわち博多湾岸以外にありえないのであるまいか。

 

 

 


ちなみに、五女山城は韓国ドラマで話題となったことから、

多くの観光客が足を運ぶスポットとなりました。

日本の高松塚古墳との関連性が注目されている墓もあるので、

お見逃しなく!

 

 

 

 

 

 

 

高句麗全盛期(4世紀末~5世紀)の国王広開土王(好太王)の

功績を称えるために、次の長寿王が414年に、鴨緑江中流の

北岸の丸都城付近に建てた石碑。古代朝鮮の高句麗の歴史だけで

なく、三国時代の朝鮮の国際関係、さらに日本(倭)との関係

などにも記述が及ぶとされ、古代の朝鮮の歴史を知る上で貴重な

一次資料として重要である。

碑文中に倭が朝鮮半島に出兵したという記述があったために注目

された。

碑文は多岐にわたるが、最も注目されるのが、広開土王が二度に

わたり南下し百済と戦ったとされている点である。それに

よれば倭は4世紀末に朝鮮半島南部に進出していたことになる。

前後して朝鮮の研究者の中には辛卯年の倭の朝鮮半島への出兵を

認めず、逆に「渡海」した主語を高句麗として読み取り、高句麗

が倭に出兵した、と解釈できるという説が現れた。

 広開土王碑文から読み取ることができるのは、391年以降、

倭は海を渡って百済・新羅を従えたが、396年に南下した高句麗

広開土王の軍に倭の臣民となった百済は敗れた。399年(己亥年)

には新羅に侵攻したが、400年に救援した高句麗軍に撃退され、

404年には帯方地方まで進出したが、この時も自ら兵を率いた

広開土王に海上で敗れた、ということである。倭を大和王権とみる

ことにも議論があるが、「渡海」して高句麗と争うだけの力を持った

存在はこの段階では大和王権と考えるのが妥当であろう。

 

 

 

 

 

(Wiki)

仁徳天皇 (にんとくてんのう、 旧字体: 仁德天皇 、 神功皇后

 摂政57年 - 427年? [1][2] 〈仁徳天皇87年 1月16日〉)は、 日本

 の第16代 天皇。 『日本書紀』での名は 大鷦鷯天皇 (おおさざき

てんのう)。 4世紀末から5世紀前半に在位したと推定されている。 

その業績から 聖帝 (ひじりのみかど)とも称される。 4世紀末

から5世紀前半に実在した可能性のある天皇。

 

 

 

広開土王が亡くなった412年の翌年の413年、倭国では仁徳が

即位しています。

 

 

 

 

馬匹生産の開始時期からこうした馬の殉殺があったのかが問題に

なりますが、これも私の仁徳=広開土王説では完璧に説明できます。

北方騎馬民族は馬を殉殺する風習をもっていたからです。

前述しましたように馬の殉殺は霊魂不滅思想によるものです。

太刀や甲冑の副葬も霊魂不滅思想によるものでしょう。

 

 

 

 

太王四神記 第1話 MBC日本語字幕 セオの死

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3:33~

 

 

2008年ヨンハファンの私ですが、ヨン様主演「太王四神記」

は、面白くて見ていましたニコニコ

このタムドクが「広開土王」をモデルにしたドラマで、第1話に

CGで四神が出てきて、凄く気になっていました。

日本の古墳にも四神図が描かれていて、まさか日本に「広開土王」

が来ていたとしたら、、「歴史って本当に面白いですね」ニコニコ