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紀元祭きげんさい
(2月11日 建国記念の日/午前11時)



- 健康延寿 やたがらす健康守
-
1,000円
御祭神と縁の深い八咫烏をちりめん素材で調製致いたしました。
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健康を祈願した根付タイプのお守りです。

- 2月11日「 紀元祭」
両社殿とも紀元2600年を奉祝して昭和14年(1939)に
建造され、昭和の神社建築の粋ともいうべき豪壮さが
うかがわれます。橿原神宮の拝殿は、内拝殿の左右に
廻廊をつけ、前方へ外院斎庭(げいんのゆにわ)を
囲んで外拝殿を置く「二重拝殿型」がとられています。
外院斎庭は3200㎡(約970坪)あり、これは御祭神
神武天皇の偉大なる御神徳を空間で表しています。
この外院斎庭は、2月11日の「紀元祭」当日、全国から
参列される4千名を超える崇敬者の参列の場となります。
2&6&1&4=13
外(5)院(9)斎(11)庭(9)=34
13&34=47・・・4&7=11
橿原神宮は橿原市街の南側にある畝傍山や神武天皇稜
に隣接して鎮座しています。
創建は1890年(明治二十三年)。天皇家の初代・神武天皇
とその妃を祀った畝傍橿原宮が前身で、有志の請願を
受けた明治天皇によって創建されました。
境内社殿は明治期に整備されたもので、伊東忠太による
設計です。本殿は京都御所の建物を移築したもので、
国重文に指定されていますがその全貌を見ることはできません。
明治23年4月2日に創建
2&3&4&2=5&6=11
御祭神
第一代:神武天皇様
(じんむてんのう)
正式な御神名
神日本磐余彦火火出見天皇様
(かむやまといわれびこほほでみのすめらみこと)
皇后
媛蹈韛五十鈴媛命様
(ひめたたらいすずひめのみこと)
ようやく紀国(現在の和歌山県)の熊野に上陸した
神日本磐余彦尊は、天照大神の遣わせた神鳥・八咫烏
(やたがらす)の導きのもと、行く先々で土着の国つ神
(くにつかみ)たちを付き従え、荒ぶる神々との争いを
制し、最後は仇敵・登美能那賀須泥毘古との戦いにも
勝利しました。
そうして神日本磐余彦尊は、過酷な苦難に遭いながらも、
強い志と天照大神の力添えなどで窮地を切り抜け、ついに
大和を平定。橿原宮で第一代神武天皇として即位しました。
ここから、日本という国の歴史が始まったといわれています。
(“いざいざ奈良”サイトより)
【ゆっくり解説 】神武天皇東征はいつの出来事なのか。
2025/02/06
橿原神宮 外拝殿(げはいでん)後方は畝傍山

幣殿&千木 奥に見えるのが本殿


大切な御殿に人の手を加えることは畏れ多く、通常は
本殿の屋根にある千木・鰹木は置かれていません。
そのため異例ですが、千木と鰹木は、社殿の中でも御本殿
に続いて大事な建物である幣殿(へいでん)の屋根に置か
れることとなりました。外拝殿で参拝するとき、光り輝く
千木が見えますが、実はそれは御本殿ではなく幣殿の屋根。
御本殿は幣殿のさらに奥にあり、外拝殿からは見えません。
御本殿は安政2年(1855)の建造で重要文化財。古式に
則った日本の寝殿造の面影を残す造りになっています。
※御本殿へは直接参拝はできません
千(3)木(3)&鰹(23)木=6&26=32
幣(15)殿(13)=28
32&28=60
(Wiki)
明治以降に創建された神社では、ほぼ必ず千木と鰹木が取り
付けられている。そのため、デザインが新しい神社社殿には
千木と鰹木があるのに、平安時代のデザインを守り続けて
いる相応の格式ある神社社殿にはかえって千木と鰹木が無い
状態となっている。
藤原京は、日本が律令国家として歩むきっかけとなる
重要な時代の都なのです。また初めて「日本」という
国号を使用したのも藤原京を発した遣唐使です。
1873年(明治6年)1月4日、江戸時代からの祝祭日だった
「五節句」と「八朔」が廃止になりました。
新たに創設された祝祭日は「神武天皇の即位日」(紀元節、
旧暦1月1日)と「明治天皇の誕生日」(天長節、旧暦9月22日)
でした。
のちに太陽暦に変換され、それぞれ2月11日、11月3日に
なっています。
根拠のない祭日
実は、この2月11日という日時に歴史的な根拠はありません。
神武天皇が橿原神宮で即位した日は『日本書紀』の記述から
正月元日となっています。
原文は「辛酉(かのととり)年の春正月の庚辰(かのえたつ)
の朔(ついたち)」というもので、辛酉元旦は今の太陽暦に
直すと紀元前660年の2月11日になるわけです。
『日本書紀』はなぜ、神武天皇即位の年を紀元前660年にしたのか。
讖緯説によると、60年に1度の辛酉の年には異変が起こるとされ、
とくに21巡目(1260年ごと)は、天地がひっくりかえるような
大革命が起こるとされています。
戦後、紀元節はGHQによって廃止されますが、1951年、吉田首相
が「独立後は紀元節を復活したい」と意欲をみせ、1957年、
2月11日を「建国記念の日」とする議員立法が提出されました。
しかし、議論は紛糾、衆議院で可決されたものの、参議院で廃案
となりました。
佐藤内閣時の1966年6月、ようやく敬老の日、体育の日とともに
祝日となりました(改正祝日法)。
6&6&2&1&1=16・・・1&6=7
1&9&5&1&1&9&5&7&2&1&1=16&26=42
1&9&6&6&6=28
42&28=70




