室生寺のシャクナゲ

2024.04.30 18:48

「女人高野」の名で知られる宇陀市の室生寺では
シャクナゲの花が訪れた人を楽しませています。
室生寺では毎年この時期、ピンクに色づいたシャクナゲの花が
訪れた人を出迎えます。境内の鎧坂から国宝・五重塔をつなぐ
石段の両側にあわせて、約3000株のシャクナゲが咲き誇ります。
大型連休の中日にあたる30日は雨模様でしたが、訪れた人は
写真を撮るなどして楽しんでいました。寺によりますと近年は
開花が早い傾向にあり、2024年も1週間ほど早く満開を
迎えたといい、まもなく見ごろが終わるということです。
また、日までは国宝・金堂の特別拝観も行っています。

 

5&6=11

 

 

太鼓橋 表門からカメラ


表門

👆

九目結紋(ここのつめゆいもん)

 

室生 赤目青山国定公園

 

芍薬

山門(仁王門)

 

 

梵字池

 

 

 むかし、弘法大師が高野山から京都の東寺へ通われたとき、田原本町

秦庄(はたのしょう)の秦楽寺(じんらくじ)に泊まられて、池の

ほとりの部屋で『三教指帰(さんごうしいき)』という本をお書きに

なりました。そのときカエルの声がやかましくて邪魔になるので、

大師はおしかりになりました。それ以来カエルは池の中で鳴かなく

なりました。

 そこで大師は、池をア字の梵字形でつくらせ、池の中に「三教島」

をつくりました。バンの梵字池は百済寺(くだらじ)の境内に掘ら

せました。ウンの梵字池は与楽寺(よらくじ)の境内に掘らせました。

百済寺と与楽寺はいまの広陵町にあります。これらの池はア・バン

・ウンの三池といって有名で、ともに三教指帰を説き述べられています。

アは胎蔵界(たいぞうかい)、バンは金剛界(こんごうかい)、

ウンは蘇悉地(そしつち)のことです。

弘法大師は書道でも三筆(嵯峨天皇、橘逸勢(はやなり)僧空海)

の一人として有名です。

 

 
 
梵字池から、階段が驚き
鎧坂という1段1段の高さがある階段です~~
 

寺のパンフレットによれば「宀一山縁起べんいちさんえんぎによると室生寺は奈良時代の白鳳はくほう9年
(680)に天武天皇の勅命をもって修験道の祖・役小角がはじめて建てたと
伝えています。また宀一山年分度者奏状には、桓武天皇が皇太子のとき病に
伏し、室生山中で延寿祈祷により快復した。それが縁で平安初期の延暦年間
(782-806)天皇の勅命により興福寺(法相宗)の高僧・賢璟が弟子の修圓しゅうえん
とともに建てたと伝えています。
 さらに、承和2年(835)真言宗の祖・弘法大師空海が遺言された「御遣告ごゆいごう
には唐の師・恵果から授かった、国に平和をもたらし、人々の願いをかなえる
インド伝来の如意宝珠を室生山で修業した堅慧けんねに託して善如龍王ぜんねりゅうおうの棲む精進峰
に大切に納めたと伝えられています。以来、真言宗の重要な道場の一つとして
篤い信仰を集めています。
なお奥の院(御影堂)までの階段(石段)は806段あります。しかも急です。
 
弥勒堂 三間四方の柿葺きの堂
【重要文化財】弥勒菩薩立像(重文)
 
右手側に金堂

手水舎

【国宝】金堂
 
 
 
 
 
特別拝観日でしたので、金堂秘仏はスマホでの撮影はOKです秘密
ちなみに、秘仏(パンフから)
内陣は
【国宝】釈迦如来立像【木造】像高234.8cm 平安時代初期 (中心)
【重要文化財】薬師如来立像 平安時代初期  (右)
【重要文化財】文殊菩薩立像 平安時代初期  (左)
 その手前は
【重要文化財】十二神将立像 鎌倉時代
 体(子神・丑神・午神・申神・戌神・亥神)
干支
子(1)&丑(2)&午(7)&申(9)&戌(11)&亥(12)=42・・・4&2=6
 
釈迦如来立像
室生寺金堂 伝釈迦如来立像
 
 

十二神将辰神(本年の干支) 宝物館に安置

 
 
金堂には、中尊の釈迦如来立像(国宝)を中心として、薬師如来立像
(重文)、地蔵菩薩立像(重文)、文殊菩薩立像(重文)、そして
十一面観音菩薩立像(国宝)が安置されています。なぜ、五尊像なのか。
定説はないのですが、春日信仰との結びつきによるものではないか、
と春日大社の方と話したことがあります。まず、室生寺は興福寺の
末寺だったという経緯があり、興福寺と春日大社には深い関わりが
あります。また、春日大社の「一宮」から「四宮」までに「若宮」
を加えた五社それぞれの本地仏を記した古い時代の文書などがあり、
それが五尊像とも符合する。春日信仰との関わりならば辻褄が合います。
もちろん、推論に過ぎないのですけれどね。
 
 
万両 (実の出来る時期が違うけど、万両ですよね~)
芍薬
シャクヤク(芍薬)の花言葉は「恥じらい」や「はにかみ」、
「誠実」などがあります。「恥じらい」や「はにかみ」は、
夕方になると花が閉じてしまう性質があることからついた
言葉だといわれています。
 

【国宝】五重塔

 
総高16.1mで、屋外に建つ五重塔では国内最小である。
平安初期(00年頃)の建立で、室生山中最古の建物で
ある。塔頂上の相輪は、九輪の上に普通は水煙を置くが、
水瓶を載せて、風鐸が吊りめぐされた天蓋を作る。他に
類のない珍しい塔である。平成10年(1998)の台風
により大きな損傷を被ったが、その二年後に修復された。
(パンフから)

 

【国宝】本堂(灌頂堂)

 

真言密教の最も大切な法儀、灌頂を行なう堂が灌頂堂で、

真言寺院の中心であるところから本堂とも呼ばれています。

鎌倉時代後期、延慶元年(1308年)の建立で、国宝。

真言密教でもっとも重要な儀式「灌頂」を行なう堂

五間四方入母屋造りの大きな建築で、手前2間が外陣、

奥の3間が内陣となっています。
内陣中央の厨子には如意輪観音坐像(平安時代/重文)

を安置し、その両脇に両界曼荼羅(金剛界曼荼羅、

胎蔵界曼荼羅)を配しています。

 

 

 

 

 

日本三如意輪

奈良・室生寺/如意輪観音像【重文】(平安時代)木造像高:78.7cm

大阪府・観心寺/如意輪観音坐像【国宝】(平安時代)

兵庫県・神呪寺(かんのうじ)/如意輪観音坐像【重文】(平安時代)

 

 

 

 

桂昌院塔 

当寺では徳川家の葵の紋と「九目結紋(ここのつめゆいもん)」

という桂昌院様のご実家の家紋を寺の紋にさせていただいており、

供養の五輪塔を潅頂堂の隣に建てています。

寺の国宝五重塔の相輪のところ、普通は水煙が付くところに宝瓶

(ほうびょう)という水を入れる器が飾られているのも、龍神

信仰が込められているのだと思います。

 

 

 

奈良の法隆寺の灯篭には、桂昌院がシンデレラの第一歩

を踏み出した養女先、本庄家の家紋、「九目結紋」

(ここのつめゆいもん)が付けられています。

 

 

 

法隆寺 灯籠

 

 

 

【重文】奥之院 御影堂へは行きませんでした^^;

弘法大師像があるそうです~~

 

 

 
 
龍神の里

伝説によれば、善女龍王は、奈良市の興福寺付近にある猿沢の池

でかつて暮らしていました。しばらくして、天皇の食事を奉仕

していた下級の女官が、用無しにされたことで悲嘆にくれてこの

池に身投げをしたので、善女龍王はこれを嫌い、春日の山中に身

を移しました。
しかし、春日の山中にも亡骸(なきがら)が多かったので、清らか

で静かな環境を求めて室生へ逃れ、巨大な1枚板の岩場を流れる

清流の側にある洞穴へ棲み処を移したという伝説が残っています。
その洞穴というのが、「吉祥龍穴」と伝わっています。

室生赤目青山(むろうあかめあおやま)国定公園内に位置している

このエリアは、室生火山群に属していることもあり、独特形状の山

々や岩が多く、山中には奇岩や洞穴も沢山あります。
こうした地形から室生のエリアには、「九穴八海(くせんはっかい)」

という伝説もあります。