以前、三嶋大社へ行ったので、ご紹介しますニコニコ

 

 

 

 

 

ランチに、うな重をいただきましたニコニコ

水が良いから、本当に美味しかったです。

ふっくら柔らかで、たれの味もマイルドラブラブ

毎日食べても、飽きない美味しさ~~音譜

 

うなぎが「神の使い」とは、初めて知りました笑い泣き

 

 

 

かつて、三嶋大社の池にはたくさんのウナギがすみ、神の使いとされていた。

ウナギを食べると罰が当たると言い伝えられ「徳川二代将軍・秀忠が三島で

ウナギを食べた人を打ち首にした」という記録も残る。

しかし、明治維新を境にウナギの立場は一変。三島商工会議所によると、

「言い伝えを知らない薩摩・長州軍の武士がウナギを食べたことで、地元

の人々は何の罰も当たらないと理解し、口にするようになった」という俗説

があるとか。今では「三島と言えばウナギ」というご当地グルメで、三嶋

大社の社務所でも「お昼の会議にはウナギが出ます」というほどだ。

 三島のウナギは、調理前に数日間富士山の伏流水にさらして生臭さを消し、

余分な脂肪分を燃焼させる。

水の都三島を支えているのは、霊峰・富士山の伏流水パワーだった。

 

 

 

 

 

水の都、うなぎの町として知られている静岡県三島に、伊豆随一の

パワースポット「三嶋大社」があります。三嶋大社のご本殿は、

人気のパワースポット「出雲大社」と並び、国内最大級の大きさ…!
実は、三嶋大社には、出雲大社の主祭神である大国主命(=大黒さま)

の息子の神…事代主命(=恵比寿さま)が祀られており、出雲大社

と関係の深さが感じられる神社なんです。

伊豆国(いずのくに)一ノ宮・伊豆国総社である「三嶋大社」。

事代主命は「宮中八神殿」にお祀りされており、天皇を守護する神様

8神のうちの一柱です。

三嶋大社の特徴の一つとして、ご本殿の大きさがあります。この大きさ

は、高さ23メートル、鬼瓦の高さ4メートルもあり、「出雲大社」と

ともに国内最大級なんだそう! 屋根の形も切妻屋根(きりづまやね)

といって、本を開いて伏せたような形の屋根となっており、特徴的な

ものとなっています。

“鰹木(かつおぎ)”が5本ですので、男の神さまが祀られていることに

なるわけですね(※大山祇命、事代主命ともに男の神さま)。

三嶋大社には神鹿園があり、三嶋大社の“神のお使い”はシカかと思いきや、

こちらのシカは大正時代に「春日大社(奈良県)」から譲り受けたもの。

神鹿であることは間違いありませんが、三嶋大社の神のお使いは

「鰻(うなぎ)」なのです。

三島でも江戸時代末期までは鰻を食べることはご法度。鰻を捕まえて

食べると神罰があたるという言い伝えもありました。三島で鰻を食べ

始めるキッカケとなったのは、幕末に薩摩と長州の兵隊たちが三島宿

に泊まった際に、鰻を手あたり次第捕獲し、かば焼きにして食べても

神罰があたらなかった様子を見たからだとか。

 

 

 

三嶋大社 大鳥居

 

相生の松 若山牧水の歌碑

源頼朝が源氏再興を祈願した際、側近の安達藤九郎が

この地で警護をしていたと伝える。

 

たたり石

大社前旧東海道と下田街道の真ん中にあり、行き交う人の流れを整理

する役目を果たした。
たたり(絡垜)は本来糸のもつれを防ぐ具であり整理を意味する語である。
後に往来頻繁になりこれを取り除こうとする度に災いがあったと言われ

祟りに置き換えて考えられる様になったと言われている。
約2900年前の富士山噴火により運ばれたと石とされる。

 

神池 「心」のかたちをした神字池。

厳島神社

祭神 市杵島姫命
北条政子が勧請し殊の外信仰したと伝えられる。
当社は家門繁栄・商売繁昌・安産・裁縫等の守護神

として広く信仰されている。
辨天様とも称され芸事上達の信仰もある。

 

厳島神社にかかる朱色の橋

 

 

総門(外構えの門)

伊豆震災後、昭和6年に初めて台湾檜が使用された昭和の

代表的な神社建築の一つ

 

 

神門「司馬温公の瓶割り」

 

● 司馬温公瓶割り (中国故事)

司馬温公(1019年11月17日-1086年10月11日)は中国北宋代の
儒学者・歴史家・政治家。司馬温公が7歳の時、高価な水瓶のまわり
で遊んでいると友達の一人が水瓶の中に落ちて今にもおぼれそうに
なっていました。そこで司馬温公は友達を助けるために父親から
叱られるのを覚悟して石で瓶を割り、友達の命は救われました。
その話を聞いた父親は命はどのような高価なものよりも大切だと
司馬温公を誉めたと伝わります。
 

 

 

 

 

 

 

 

学名は薄黄木犀(うすきもくせい)。薄い黄色の花をつけ、甘い芳香が特徴です。
樹齢は1200年を越えると推定される巨木で、現在もっとも古く、かつ大きな

モクセイとして知られています。
円形に広がり、地面に届くほど垂れている枝先がこの木の生きた歳月の長さを

物語っています。

薄黄色で可憐な花は甘い芳香を発し、それは神社付近はもちろん遠方までにおよび、

時には2里(約8キロ)先まで届いたと伝えられています。

9月上旬より中旬にかけ、黄金色の花を全枝につけ、再び9月下旬より10月上旬に

かけて満開になります。

 

 

 

 

早咲き桜 白浜伊古奈

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(Wiki)

伊古奈比咩命神社(いこなひめのみことじんじゃ)は、静岡県

下田市白浜にある神社

静岡県東部の伊豆半島先端部、白浜海岸にある丘陵「火達山

(ひたちやま/ひたつやま)」に鎮座する。この火達山は伊豆

諸島を祀る古代遺跡でもあるが、その祭祀は現在まで伊古奈

比咩命神社の祭祀として続いている。伝承では、主祭神の

伊古奈比咩命は、伊豆諸島開拓神の三嶋神の后神であるという。

また、三嶋神は三宅島から白浜(当地)、そして伊豆国一宮

三嶋大社(静岡県三島市)へと遷座したとも伝える。

続日本後紀[原 1]の記述を基にすると、三嶋神の正后が阿波咩命

神津島阿波命神社祭神)、後后が伊古奈比咩命神社にあたるとされる[12]

 

 


 

 

 

矢田部盛治の像

嘉永7年(1854)11月の東海大地震で倒壊した社殿を10年の歳月

と16,677両という巨費を投じて見事に復興し明治維新は大総監宮

の先導警護及び明治天皇の御通行警護を奉仕し祇園山復にトンネル

を掘り上流から水を引いて祇園原の荒地15町歩余りお美田と化した

住民の感謝敬慕の念により昭和29年建立された。作者は文化勲章

受賞者澤田政廣。

 

 

菊花紋の瓦

 

舞殿

 

本殿は工事中?でしたあせる

天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天岩屋戸

(あめのいわやど)から出てくる様子を表しています。

 

 


腰掛石

源頼朝が源氏再興を祈願した際、腰を掛けて休息したと伝える石
(左側)と北条政子が腰掛けたと伝える石(右側)。

 

芸能殿

 

絵馬

 

 

 

 

伊豆一の宮として、源頼朝が挙兵に際し祈願をよせ、緒戦に勝利した

ことでも有名。
祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)、積羽八重事代主神

(つみはやえことしろぬしのかみ)です。
二柱を総じて三嶋大明神と称しています。

 

 

宝物館の1階で、ビデオを見てから裏手の「神鹿園」へ~♪

 

大正8年3月22日。神の使いである奈良の鹿8頭が三嶋大社に

やってきました。

鹿の健康を願う神鹿記念祭は、ことしで103回目を数えます。
地元の人たちに大切にされてきた鹿は、今ではおよそ40頭に

まで増えました。

【動画】2023年3月22日放送

 

 

 

 

奉納のための活動は大正八年(一九一九)に入ってから本格化

したようで、一月二十六日に組合と三嶋大社との間で、奈良の

春日大社の鹿を譲り受ける件について協議されています。

神鹿園の施設は三月上旬には完成したようで、二十二日には

組合員の付添いのもと奈良から三島へ無事に鹿が到着しました。  

 

 

 


 

 

お土産に福太郎餅を買いましたニコ

 

 

おもちは命を強化する食物です。
草餅に含まれるヨモギは、古来より邪気を払うとされ、野草の中でも

滋養に富み、特にカルシウムの保留量の多いことで知られております。

1月7日午後1時より、御殿にて田祭(たまつり)が斎行され、引き続き

舞殿では、静岡県無形民俗文化財に指定されている「お田打ち神事」が

行われます。 「お田打ち神事」の起源は古く、平安時代ともされ、

鎌倉時代になると盛んに行われたと考えられています。その後、室町

時代には狂言形式の芸能として調えられたと考えられます。いお面を

付けた舅(しゅうと)の穂長(ほなが)がその年の恵方(えほう)から

登場し、いお面を付けた婿の福太郎(ふくたろう)とともに、苗代所

の選定から種まき、鳥追いまでの稲作行事を狂言風に演じます。

「お田打ち神事」のように、年頭に当たって、その年の五穀豊穣、天下

泰平を祈る神事のことを予祝神事(よしゅくしんじ)といいます。

当日は、神事に続いて、紅白の小餅や種もみがまかれ、これらと共に

「福」を授かろうと、大勢の参拝者でにぎわいます。

このお田打ちに登場する「福太郎」は、神事における役割と、その名前

から、福を授けるものとして、「福の種蒔く福太郎」と呼ばれ、親しま

れています。

今日、そのお顔は おもち にもなって、めしあがる多くの人々に福を

授けています。

 

 
 
 
 

ちなみに、鹿も「神の使い」ですが、

鹿は鹿島神宮⇒春日大社⇒三嶋大社という順番ですね~~

三嶋大社は、源頼朝と関係が深く、武神として信仰されたのですね。

 

 

 

神様が鹿とともにやってきた春日大社は、全国に3,000近く

あると言われる春日神社の総本社で、藤原一族の神社である。

4柱の神様を祀っており、そのトップが鹿島神・タケミカヅチ

ノミコト(他3柱は、フとツヌシ、アメノコヤネノミコト、ヒメガミ)。

『日本書紀』「葦原中国平定の段」で、下界に降される2柱が

タケミカヅチノミコトとフツヌシであり、タケミカヅチは鹿島

神社の主神、フツヌシは下総国一宮・香取神社の主神となられており、

2柱とも武神として信仰されていたりする。