伊豆稲取地区では、雛のつるし飾りと呼ばれており、
この三地区には歴史的な背景や由来、文献等、つるし飾りが

残っております。

 

素盞鳴神社雛段飾り

 

 

 

 

 

 

「日本の段数」とされる素盞嗚神社のひな壇飾り=

2024218日午前1143分、静岡県東伊豆町稲取、南島信也撮影
 

 

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一&28=29・・・2&9=11

 

 


 

 

伊東MAGARI雛&KAGUYA雛👉雛の祭典 伊東MAGARI雛 

✦素戔嗚神社・・・117段から118段へ

✦佛現寺・・・110段から118段へ

 

✦伊東市役所

✦東海館

✦道の駅 伊東マリンタウン

✦小室山公園 つばきの館

✦JR伊東駅

 

 

 

 

 

 

118&118=236・・・2&3&6=11

 

 

こちらの神社は、お雛様を飾る神社としてマスコミに

よく取り上げられますね~~

オフシーズン(9月)のため、ひっそりとしていました~

 

 

 

 

 

(Wiki)

魔人(まじん)とは、神話物語に登場する通常の人間を超越した力

(魔力や妖術・神通力など)を持った存在。転じて、人間離れした

能力を持った人のことを表現する際にも用いられる。

日本の感覚にあてはめれば天狗式神などが魔人と呼称される

ような役割をもった存在ともいえる。

 

踊り子号が通過中ニコ

 

 

 

 

 

駐車場の奥を上ると、国道135号線に出ました~

対岸から神社の眺め

 

 

素戔嗚というのに反応して、こちらの神社に参拝しました~~

アニメ「犬夜叉」にもヤマタノオロチ退治話が出てくるし、

高天原には以前のブログに載せたけれど、場所は朝鮮半島かも!?

という説があり、その場所はなんと「冬のソナタ」の南怡島という

のですよ。

 

 

 

(Wiki)

ヤマタノオロチ伝説

出雲の鳥髪山(現在の船通山)へ降った建速須佐之男命は、その地を

荒らしていた巨大な怪物八俣遠呂智への生贄にされそうになっていた

美しい少女櫛名田比売命と出会う。

クシナダヒメの姿形を歯の多い櫛に変えて髪に挿し、ヤマタノオロチ

を退治する。そしてヤマタノオロチの尾から出てきた草那藝之大刀

(くさなぎのたち、紀・草薙剣)を天照御大神に献上し、それが古代

天皇の権威たる三種の神器の一つとなる(現在は、愛知県名古屋市の

熱田神宮の御神体となっている)。その後、櫛から元に戻したクシナダ

ヒメを妻として、出雲の根之堅洲国にある須賀(すが)の地へ行き

そこに留まった。


 

(Wiki)

記紀で最初の歌であることから、我が国最初の和歌ともされる。

また、ここから「八雲」は出雲を象徴する言葉ともなった。

「八雲立つ」は出雲に掛かる枕詞である。

八雲立つ  出雲八重垣   妻籠に   八重垣作る   その八重垣を

妻籠

相愛男女がともに過ごすこと。また、妻としてこもらせること。

つまごみ。→妻籠に

 


 

 

3.春川説

 故金達寿氏は『日本の中の朝鮮文化4』の「伊太祁曽
から隅田八幡へ」の中で、曽尸茂梨とは朝鮮の江原道春川
にある、元新羅の牛頭山の事である。と一つの説を紹介する。
 また八坂神社の真弓宮司は『新撰姓氏録』八坂造の項に
「狛国人の之留川麻乃意利佐(シルツマノオリサ)」とあり、
春川には古くから狛国があったことを指摘されておられる。
斉明天皇二年に来日した狛人81人は春川の狛人ではないか
との仮説を出されている。三韓覇権争いの地であり、その頃
の高句麗の南下で、狛人の亡命が想定され、それに該当する
との見方である。
 「ソシモリ」が古朝鮮語のよみで牛頭であったならば、牛頭
山に比定されるのは不自然ではない。牛頭天王と素盞嗚尊が
記紀編纂の頃には習合しつつあったとすると有力な説と言えよう。
 また、八坂造の出自が春川の狛国との仮説も、「ソシモリ」
春川説が成りたてば、八坂神社創建の由緒にも関わる重要な
仮説となる。

曽尸茂梨(ソシモリ)考 sosimori (kamnavi.jp)

 

 

 

高天原は実在の地域を反映しているとする説は古くから存在し、

第二次大戦後は主としてアマチュア研究家によって朝鮮半島説も

唱えられることがあった。

当初その比定地とされたのは、戦前から一部の研究家によって

素戔鳴尊が立ち寄ったという新羅のソシモリの候補とされた、

『冬のソナタ』のロケ地として知られる江原道春川市 

韓国の「三国史記」には,春州(春川)を古貊地

といい,「東国輿地勝覧」には春川が本来貊国

あったとしているが,これは後代にをってのこと

であろう。komaki、またはkomaの名は高麗(高句麗)

を総称する名称であり,その別称であったと考えられる。

 

 

 

稲取漁港直売所「こらっしぇ」

「こっちへいらっしゃい」という意味  お土産には最適な場所ニコニコ

 

 

徳造丸 本店

 

 

 

 

黄飯&味噌汁&刺身(桜エビ他)&金目鯛の煮つけ&イカ珍味三点盛り

黄飯(くちなしの実で着色)・・・郷土料理

 

くちなしの実は、漢方薬として古くから用いられていたようです。

漢方では、山梔子(さんしし)と言われ血流を良する成分として

知られています。この漢方は、肩こりの改善などに効果があると

されています。 それ以外にもくちなしの実には、目の疲れを

やわらげる効果があるようです。この効果は、くちなしの実に

含有されているクロセチンの作用だといえるでしょう。

 

 

 

「山吹の 花色衣 主や誰 問へど答へず くちなしにして

(秋が過ぎ、冬が来ても一向に口を開けない)」

クチナシの実は、中国医学では消炎、止血、鎮静、利尿作用、

不眠、精神不安などに効果があるとされ、「山梔子(さんしし)」

の生薬名で処方されます。

また、疲労回復効果や防腐効果が高いことから、江戸時代には

東海道を行き交う旅人が好んで食べていたという歴史もあります。

 

 

食後に、近所を散策しました~

稲取駅には「江戸城築城ふるさと広場」があるそうです

少し歩くと八幡神社もありました。

狛犬の目が赤い!

頼朝が源氏再興祈願のため水垢離をおこなったと伝えられる井戸

稲取漁港

八百比丘尼(ヤオビク二)

 

 

 

『不老長寿』『同情』『哀れみ』『慈悲』『勇敢』『向上心』

『かわいそう』『永遠の若さ』

「不老長寿」という花言葉は、樹齢が数百年になるほど長命で

あることに由来します。「同情」「哀れみ」は、ギリシャ神話

のエピソードに由来します。

松竹梅の筆頭としてめでたい木とされる松は、その威厳のある

姿から家紋にも多く描かれています。また、寿命が長いことから、

家が長く続いてほしいという願いも込められています。江戸の

大名では、伊豆の天野氏などが松の家紋を掲げていました。

 

 

 

(Wiki)

天野氏(あまのし、あまのうじ)は日本の氏族藤原南家工藤氏の一族

藤原北家の一族足立遠元を祖とするとも)で、伊豆国田方郡天野郷

(現・伊豆の国市天野)に居住した地名を取って天野と称した。

 

 

藤原為憲の後裔の景光が天野藤内を称し、以後子孫は遠江国、三河国、

尾張国、甲斐国をはじめ各地で栄えた。

天野家: 家紋「三階松に三日月紋

 
 
 

興国寺城跡 案内図

 

 

 

 

ツバキは太古の時代からあったとされる霊木で、長寿の木とも

されています。春と秋をそれぞれ8000年と考え、人間の3万

2000年がツバキの一年間になることが長寿の木の由来です。

そんなツバキの名前がつけられた由来には諸説ありますが、

光沢したつやつやの葉を持つ木から「ツヤハキ」を転じて

つけられたともいわれています。

 

椿(ツバキ)の花言葉には怖い意味もあるの?

実は椿の花言葉には、怖い意味もあるといわれています。それは

「罪を犯す女」という裏花言葉があるからです。

フランスでは、椿は「贅沢な」「おしゃれな」という意味でとら

えられ、椿が商売女にたとえられることがあります。

その理由は、『椿姫』というフランス小説にあります。

 

とても美しく、控えめな花言葉を持つ椿ですが、その散り方

から死を連想させる花でもありますので、プレゼントとして

贈る際には十分注意しなくてはいけませんね。

 

 

 

 

現代において、八百比丘尼が出てくる作品というと、手塚治虫

の漫画『火の鳥(異形編)』が挙げられるでしょう。このお話

では、八百比丘尼はどんな怪我や病でも癒す尼僧で、永劫の時

のなか、生きとし生けるものを救いつづける宿命のもとにあります。
 

八百比丘尼伝説が世間に広まったのはいつ頃なのでしょうか。

 「比丘尼」という言葉についてですが、これは仏教語(パーリ語)

で、出家した女性のことをさします。一方、男性の出家者は

「比丘(びく)」と呼ばれます。

 大正時代に書かれた『日本伝説研究』によると、八百姫

(やおひめ/八百比丘尼の別名)は雄略天皇12年(468)

に生まれたという説があるようですが、詳しいことは分かって

いません。

 また八百比丘尼の起源については、歩き巫女や熊野比丘尼

(くまのびくに)などの、中世に流行した女性宗教者たちが

もとになっているという説も見られました。

 

八百比丘尼は椿の枝を持ち、松などの植樹をしたことでも知られました。

伝説のなかで八百比丘尼が口にし、不老不死となった食べものは、

「人魚の肉」でした。

 

『日本書紀』によると、推古天皇27年(619)の時、「人にあらず、

魚にあらず、名を知らないもの」が網にかかったとされています。また、

その前にも、人のような形のものが川に浮かんだとのこと。

江戸時代になると、滝川馬琴の『南総里見八犬伝』が大ヒット。

物語の中では、悪役として妙椿(みょうちん)という八百比丘尼が

登場し、人魚の肉を食べると三千年は生きられるという記述もみられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


お天気に恵まれて、伊豆の海が綺麗でしたニコニコ
お雛様シーズンは、車で行くにはちょっとわかりづらいですね。

でも、とても良い所なので、また行きたいと思いますハートのバルーン