関東大震災から100年「三つ子地震」だった!/昭和の「南海トラフ地震」2回あった! | ☆ sweet home ☆

     

     

    関東大震災から100年 災害への備えを万全にしよう - そらくら

    👆

    1&9&2&3&9&1&1&9&9&5&1&1&7&2&1&1&3&1&1

    =40&33&9=82

    1&1&5&8&5&4&6&1&4&4&6=15&15&15=45

    7&9&7&3&9=16&10&9=35

    1&5&6&4&2&2=6&10&4=20

    82&45&35&20=182・・・1&8&2=11

     

    72年後に阪神淡路大震災

    ↓16年

    88年後に東日本大震災

    ↓24年後(!?)  

    2035年 南海トラフ はてなマーク

    2035-1923=112・・・1&1&2=4

    16&24=40

     

     

    日本で「大震災」と名前がついているのは「関東大震災」

    「阪神・淡路大震災」、そして「東日本大震災」の3つ。

    この中で一番被害が大きかったのが関東大震災で、その

    経済損失は当時の国家予算のなんと約4倍、さらに犠牲者

    の数は東日本大震災の約5倍だったという。

    一体どれほどの地震だったのか、そして大きな被害を

    生んだ要因は何だったのか…。

    実は、世界で起こる地震のうち、約10%は日本周辺で発生

    しているという。

    そして、近い将来日本で必ず起こると言われているのが

    「首都直下地震」と「南海トラフ巨大地震」。

    関東大震災からちょうど100年、池上彰が“地震”を基礎から徹底解説 (msn.com)

    👆

    これで「原発再稼働」とか、、、

    どう考えてもオカシイですね~~

     

     

     

    関東大震災の220年前にも巨大地震が起きていた

    関東大震災の220年前にも巨大地震が起きていた(毎日新聞)

     

     

     

    大正12年 関東大震災
    1923年9月1日 AM11:58 M7.9

    被害:死者・行方不明者 105,385人
    (死者数は 142,807人 とも)
    全壊109,713棟,焼失家屋212,353棟
    (全壊128,266棟,焼失447,128棟とも)

    地震の主要動が10分間にわたって継続したと言われ、

    振幅は安政江戸地震よりも大きかった。

    震源地は伊豆大島北端にある千ヶ崎の北15km付近

    の相模湾海底で、激震地域は、伊豆半島を横ぎり、

    三島から富士山麓を経て甲府盆地に入り、それから

    東北に進んで熊谷、館林、古河、下館を過ぎ、土浦

    から房総半島中央を横断して勝浦付近にまで渡ると

    いう余りに広大で非常に不規則な円状区域だった

    ために、正確な震央について、少なからず当時から

    疑問の声があがっていた。
    1993年の研究(岐阜測候所から地震の波形データが

    発見された)によって、関東大震災では115832

    に発生したM7.9の本震から3分後の12時01分にM7.2

    5分後の12時03分にM7.3という巨大な揺れが三度発生

    した「三つ子地震」であることが最新の研究で判明した。

    つまり、本震の震央が神奈川県西部、続いて東京湾北部

    山梨県東部が三つの地震の震源となった。

     

     

    1&1&5&8&3&2&1&2&1&1&2&3=20&4&6=30

    7&9&7&2&7&3=16&9&10=35

    30&35=65・・・6&5=11

    1923/9/1

    1&9&2&3&9&1=25

    6&5&2&5=18(6 6 6)

     

     

     

     

     

     

    関東大震災の被害状況:防災科学技術研究所 自然災害情報室 - DIL

    • 地震名称:大正関東地震
    • 発生日:1923(大正12)年91
    • 発生時刻:115831.6
    • 震央:3519.8'N 139゜8.1'E ,深さ23㎞(図1)
    • 震源域:神奈川県西部から房総半島南東沖
    • 規模:M=7.9

     

    1&9&2&3&9&1&1&1&5&8&3&1&6=50(25 25)

    (2&5=7 2&5=7)(11×7)

    3&5&1&9&8&1&3&9&8&1=26&22=48

    2&3&7&9=5&16=21

    50&48&21=119・・・1&1&9=11

     

     

     

    100年前より安全になったとは言えない--首都圏に潜む、

    地震火災リスクを考える #災害に備える

    配信

    関東大震災当日の東京・丸の内の様子(提供:MeijiShowa/アフロ)

    今から100年前の192391日午前1158分。 首都圏を

    現在の震度76強に相当する激しい揺れが襲った。 のちに

    「関東大震災」と呼ばれることになるこの大災害は、近代

    化した首都圏を襲った唯の大地震だ。 死者・行方不明者

    の数は10万5000人を超え、その多くは火災によるものだった。

     

     

    1&9&2&3&9&1&1&1&5&8=25&15=40

    7&6=13

    40&13&一=54

    1&5=6

    54&6=60

     

     

     

    横浜都市発展記念館の吉田律人主任調査研究員は、横浜で

    被災した小学校教員が残した画集を紹介。

    「(大きな災害が起きると編さんされる)災害史は全体像

    をつかむのにはよいが、編集する人の意図も反映される

    被災者の心情や暮らしの状況を理解するためには、個々の

    記録と照合することが必要だ」と訴えた。

     シンポは9月1日に迎える関東大震災100年の節目に

    向け、地域安全学会(会長・村尾修東北大教授)が主催した。

    東京大学の鈴木淳教授は基調講演で、大火の状況について

    「当時の東京市では人口の3分の2が家を失った。大都市が

    これほどの被害を受けるのは類例がない」と強調。被災した

    人々がたんすなどの燃えやすい家財道具を荷車に満載して

    避難したため、延焼が拡大したとされてきたが、「江戸時代

    の消火活動は(家屋の屋根をはがすなどして延焼を食い止める)

    『破壊消防』だった。戸板や障子などが燃えないよう、火元

    から持ち出すことは習慣だった」などと背景を解説した。

     

     

    突然起きた火災旋風

     震災発生から4時間後、予想外の事態が起きます。

    火災旋風」が発生したのです。火災旋風とは、炎を伴った

    竜巻のこと。空高く巻き上がった炎が、広い範囲を度に

    焼いてしまう現象です。

     広大な被服廠跡なら安全だと考え、多くの人々が家財道具

    を持って避難していました。そこへ近所からの炎が燃え移った

    ようです。当時、風速17メートルもの強風が吹いていたと

    伝えられています。火災旋風は4万近い人々を気にのんで

    しまいました。

     帯が完全に鎮火したのは、3日午前10時ごろだったそう

    です。地震発生からほぼ2日ですから、ものすごい火災だった

    ことが想像できます。

     

     

    4&1&7&4&3&1&2=16&6=22(11×2)

     

     

     

     

    大火と台風の関係は?100年前の台風を再現すると・・・

    写真・図版

    シミュレーションで再現した関東大震災当日の午前6

    の台風の状況=TRC提供

    関東大震災は9月1日の正午前に発生。東京を中心に

    2日間にわたって火災が発生し、死者10万5385

    のうち約9割にあたる91781人が火災で亡くなった。

     この時は、台風が日本海側を進んでいた。

    地震発生後の正午ごろに東京で強い風が吹いていた

    ことが分かった。

     観測記録と一致することから、強風は局地的なもの

    ではなく、台風の影響だったことを示しているという。

    関東大震災での出火は地震の発生直後が多かったため、

    台風による強風が被害の拡大につながったと考えられる

    という。

     

     

    1&5&3&8&5&9&1&7&8&1=19&26=45

    45&2=47・・・4&7=11

     

     

     

     

     

     

     

    地震本部の「全国地震動予測地図」の上に、1979年以降10人以上の死者を出した地震の震源地を落とし込んだ図。確率が低いとされた場所でばかり地震が起きていることがわかる(筆者作成)


     

     

    東日本大震災以降の大地震一覧

    2023.05.05

    2023/5/5 14:42 石川県能登地方 M6.5 6強
    2022/6/19 15:08 石川県能登地方 M5.2 6弱
    2022/3/16 23:36 福島県沖 M7.3 6強
    2021/2/13 23:07 福島県沖 M7.3 6強
    2019/6/18 22:22 山形県沖 M6.7 6強
    2019/2/21 21:22 北海道胆振地方中東部 M5.8 6弱
    2019/1/3 18:10 熊本県熊本地方 M5.1 6弱
    2018/9/6 3:07 北海道胆振地方 M6.7 7
    2018/6/18 7:58 大阪府北部 M6.1 6弱
    2016/12/28 21:38 茨城県北部 M6.3 6弱
    2016/10/21 14:07 鳥取県中部 M6.6 6弱
    2016/6/16 14:21 北海道南西部・内浦湾 M5.3 6弱
    2016/4/16 9:48 熊本県熊本地方 M5.4 6弱
    2016/4/16 3:55 熊本県阿蘇地方 M5.8 6強
    2016/4/16 1:45 熊本県熊本地方 M5.9 6弱
    2016/4/16 1:25 熊本県熊本地方 M7.3 7
    2016/4/15 3:46 熊本県熊本地方 M6.4 6強
    2016/4/14 22:07 熊本県熊本地方 M5.8 6弱
    2016/4/14 21:26 熊本県熊本地方 M6.5 7
    2014/11/22 22:08 長野県北部 M6.7 6弱
    2013/4/13 5:33 兵庫県・淡路島付近 M6.3 6弱
    2011/4/12 14:07 福島県中通り M6.4 6弱
    2011/4/11 17:16 福島県浜通り M7.0 6弱
    2011/4/7 23:32 宮城県沖 M7.2 6強
    2011/3/15 22:31 静岡県東部 M6.4 6強
    2011/3/12 5:42 長野県北部 M5.3 6弱
    2011/3/12 4:31 長野県北部 M5.9 6弱
    2011/3/12 3:59 長野県北部 M6.7 6強
    2011/3/11 15:15 茨城県沖 M7.6 6強
    2011/3/11 14:46 三陸沖 M9.0 7

    👆

    311後にM6.0以上は18回

    3/11 14:46

       15:15

    1&4&4&6&1&5&1&5=15&12=27

     

     

    👇   15:0

       15:25

    1&5&8&1&5&2&5=14&13=27

    54(27 27)・・・(2&7=9 2&7=9)(11×9)

     

           

    3月9日のサンデーモーニングで、東日本大震災が同時に
    3つの地震が起こっていたことが、大きく報道されていた。
    福島沖で3つ目の地震が発生したと。

    実は4つ びっくりマーク

     

     

    👆

    2&4&6&3&8&3&1&5&3&2&5=12&11&9&10=42・・・4&2=6

    M9&7&3&7&3&7&4=40

    (1&1)×4=8

    40&8=48・・・4&8=12(6 6)

     

     

     

     

    2000~2009年に世界中で起きたマグニチュード以上

    の地震は約1000回のうち、200回は日本で起きている

    ことになる。これは比率(割合)にすれば世界のM

    以上の地震の約20%が日本を震源地としていることに

    なる。

    ご存知の通り2009年以降も大地震が日本で起きており、

    2011年には東日本大震災、翌年にかけても余震で震度

    以上が起きている。さらに2013年には淡路島地震、

    2014年に長野県神城断層地震と伊予灘地震、2015年に

    小笠原諸島西方沖地震、2016年に熊本地震が起きている。

    2017年こそマグニチュードを超える地震はなかったが、

    2018年には北海道胆振東部地震(震度7)と大阪北部地震

    (震度)が起きている。枚挙に暇がないとは、まさに

    このことだ。

     

     

     

     

    2011年以降「大地動乱期」M6.0以上の地震

    世界的にも1980~1989年は年108回

    2000年~2009年は年160回 

    2010~2020年は年1537回

     

     

    (出典;Wikipedia・Earthquakes (M6.0+) between 1900 and 2017)。

     

    マップのように、日本列島は巨大地震の発生確率が極めて

    高いです。近い将来、これまでに類を見ない規模が予想

    される「南海トラフ地震」の発生も危険視されており、

    日本国内に住む以上、日頃から防災対策の準備をして

    おく事が重要です。

     

     

     

     

     

     

     

    立て続けに東海で地震

    昭和19年(1944)12月7日の昭和東南海地震と翌20年

    (1945)1月の三河地震は、軍部によって報道管制が

    敷かれ完全に隠ぺいされた。当時、日本は太平洋戦争

    の最中であり、しかも敗色が濃厚となっていた。

    戦意高揚に繋がる報道以外の情報はより一層統制された

    (12月8日の各紙1面トップは、いずれも昭和天皇の

    大きな肖像写真および戦意高揚の文章で占められている)。

    言論・報道の自由などどこにもなかった。

    地震に関する情報は、3面の最下部のほうにわずか数行

    触れただけで、具体的な被害状況は一切伝えられなかった。

    この地震の状況を心理戦として「ドラゴーンキャンペーン

    作戦」と名づけ、宣伝ビラ投下作戦をアメリカ軍が実行

    したとされる。B29から投下された宣伝ビラには毛筆で

    「地震の次は何をお見舞いしましょうか」と書かれていた、

    という。また、津波被害の資料となるアメリカ軍機に

    よる3日後に撮影した航空偵察写真が残されており、

    連合国側は状況を全て把握し、特に軍需工場などの戦略

    拠点の被害状況を注視した。地震から昭和東南海地震

    6日後の12月13日夜には、津波の被害にもさらされ惨事

    となっている名古屋地域の航空機工場を中心とする一帯

    に、アメリカ軍は大規模な空襲を行っている。

     

     

     

     

     

    「人工地震や気象兵器は存在する」「噴火や地震は米国の仕業か?」
    元国会議員・国際政治経済学者の浜田和幸が断言!(インタビュー)
    2018.12.18

    ――終戦前後、南海トラフ地震が2回起きています。最初は、

    1944127日の「昭和東南海地震」(Mw8.2)、

    そして終戦翌年(19461221日)の「昭和南海地震

    (Mw8.4)。
    これらも人工地震ではないかと主張する人がいますが、

    先生の見解はいかがですか?

    浜田  そうだと思います。先ほど述べた通り、戦意を完全

    に喪失させるために地震と津波など、日本人に根付いた自然

    信仰のようなものを上手く使おうとしたのでしょう。
    浜田  わずか1~2回、人工的に地震や津波を引き起こす

    というよりは、実績を積み重ねることが大切ですから。何度も

    起こすことで、誰も不思議に思わなくなります。

    https://tocana.jp/2018/12/post_18990_entry_1.html
     

    昭和東南海地震 (Mw8.2

    1+9+4+4+1+2+7+8+2=38・・・3&8=11
    昭和南海地震 (Mw8.4

    1+9+4+6+1+2+2+1+8+4=38・・・3&8=11

     

     

     

     

    被害の中心は東京と横浜の市街地であり、政府は、震災直後、

    緊急勅令でモラトリアムをしました。この地震の後、

    1925年に北但馬地震、27年に北丹後地震、30年に北伊豆地震、

    33年に昭和三陸地震と被害地震が続発し、その間に、

    25年治安維持法の制定、27年金融恐慌、31年満州事変、

    32年5・15事件が起きます。

    さらに、33年国際連盟脱退、36年2・26事件、37年日中戦争、

    41年太平洋戦争へと時代が移り、戦争で310万人の犠牲者を

    出します。