京都の旅⑭ 伏見稲荷大社から帰路へ | ☆ sweet home ☆

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電車京阪本線・伏見稲荷駅下車 ニコ

 

 

裏参道から

 

 

全国に約30,000社あると言われる稲荷神社の総本山。

楼門の両脇には狐が鎮座し口に玉と鍵をくわえている。

「玉鍵信仰」

 

 

 

 

 


 

 

稲荷信仰の原点が、稲荷山であります。
当社の御祭神である稲荷大神様がこのお山に御鎮座されたのは、

奈良時代の和銅4年(711)2月初午の日のこと。その日から

数えて、平成23年(2011)に御鎮座1300年を迎えました。

 

 

4&2&2&3&1&3=11&4=15・・・1&5=6

 

 

御祭神:宇迦之御魂(うかのみたま)

 

 

 

 

(Wiki)

秦 伊侶具(はた の いろぐ)は、『山城国風土記』逸文に現れる

日本古代の豪族秦氏の人物。秦中家忌寸らの遠祖。名は伊侶巨

(いろこ)とも記される。

「伊侶具秦公が、稲梁を積むほどの富裕な生活をしていた。そこで

餅を用いて的としていたところ、餅が白鳥に姿を変え、飛翔して

山の峰に行ってしまい、そこで子を産んだ。最後にはここが神社

となった。その子孫が先の過ちを悔いて神社の木を抜いて家に

殖やし、祭っていた。今その木を植えて育てば福が来、枯れれば

福は来まいという」

清少納言が自らの稲荷詣を『枕草子』に記すほか、『蜻蛉日記

今昔物語集』など古典にもしばしば登場する[4]平安時代

東寺(=教王護国寺)の造営にあたって鎮守神となるや、真言密教

と結び付いてその信仰を拡大[5]、次第に神位を高めて『延喜式

名神大社に列し、天慶5年(942年)に正一位の極位を得た。

この間、延喜8年(908年)に左大臣藤原時平三箇社を修営

(『年中行事秘抄』)、その後源頼朝足利義教らが社殿の造営、

修造に関わったが、応仁の乱にてすべて焼亡。乱後、社僧による

勧進の下で再建が始まり、明応8年(1499年)に至って遷宮を迎えた[6]

近世まではこれら勧進僧たちが稲荷信仰の普及や稲荷講の結成に

大きく関与した[7]という。

秦氏と賀茂神社との関連や、秦氏が和銅年間に稲荷社の社家と

なったことを伝えている。

稲荷祭は下鴨葵祭八坂祇園祭とならぶ人気を博し、貴顕から

の奉幣も盛んに行われた[17]延久4年(1072年)には、初の行幸

として、後三条天皇が訪れ、この後鎌倉時代まで、祇園社とあわせ

ての両社行幸が恒例となった[17]

 

 

伊呂巨(具)について、「稲荷社神主家大西(秦)氏系図」によると、

「秦公、賀茂建角身命二十四世賀茂県主、久治良ノ末子和銅42

壬午、稲荷明神鎮座ノ時禰宜トナル、天平神護元年88日卒」と

記され、先にも述べた通り賀茂県主の子孫と称されています。

山背国の稲荷山に大神を祀られたところ、穀大いに稔り国は富み

栄えた、この祭祀された日こそが和銅4年の2月初午であった、

との伝承があります。

 

 

二十四&五=29・・・2&9=11

4&2&8&86&16=22

29&22&4&2=51&6=57・・・5&7=12(6 6)

 

 

 

4/19&4/24

4&1&9&4&2&4=14&10=24・・・2&4=6

 

 

 

葵祭    五月十五日

祇園祭   七月十七日

稲荷祭り  五月 三日

5&15&7&17&5&3=20&24&8=52・・(4&4=8 8)(11×8)

 

 

外拝殿(げはいでん)

建立天保11

 

12ヶの鉄灯篭「黄道12宮」

 

 

 

 

内拝殿・本殿(右側)

 

 

 

内拝殿はメッシュが掛かっていて、内部が見えにくくなっています。

本殿では、七五三の式最中でした~~

 

権現

伏見稲荷大社公式の「観光音声ガイド」

 

願かけ鳥居

 

 

玉山稲荷社

 

神馬舎

 

奥宮(左側)御祭神:稲荷大神

 

千本鳥居

 

鳥居は神様の世界と人間の世界の結界の意味があり、

朱色は魔除けの色

3381基はてなマーク

 

 

 

 

奥社奉拝所にある案内図

 
おもかる石
 
 
小幟(このぼり)奉納 日本書紀に由来
 
狐の絵馬(願掛け絵馬)
 
根上がりの松
 
 
ここから約2時間のコース(^^;)
 
 
途中で、コースを外れました~~
 
 
 
狐ではなくて狛犬!?
 
稲穂をくわえている狛狐
 
 
権殿(仮りの社殿)つの柱間&つの灯篭

五&六=11

 
 

 


 

 

後白河院《建久3年(1192)崩御、御年66歳》の撰になる歌集

『梁塵秘抄』に、

いなりおはみつのやしろとききしかと
 いまはいつつのやしろなりけり

 

いなり山社の数を人とはば
つれなきひとをみつとこたえむ
                (拾遺和歌集)

いなり山しるしの杉の年ふりて
みつのみやしろ神さびにけり
                (千載和歌集)

 

このように来歴不詳の摂社二座が、12世紀末以降「稲荷の神」

と称える内に含まれるようになった由縁は、各御祭神の御神徳

より来る関連、或いは“田中の神”および“四之大神”の祭祀集団

と“稲荷神”の祭祀集団との関連、その地域的近接、勢力の優劣

等々が互いに絡みあっているのかも知れません。

 

 

 

 

 

「平安京(平安時代」」では「仏教」の影響が強かったのです

が、「真言密教」は「稲荷神」を「神仏習合」させたので、

「真言宗」が全国に布教されるとともに、「稲荷信仰」が

全国に広まることとなり、全国に多くの「稲荷」が存在する

こととなりました。

「江戸時代」に入ると、稲荷が「商売の神」と公認され

はじめました(万能の神へ変化)。
 

 

 

 

 
 
 
この後に電車京阪線に乗り、京都駅へ~~
駅の売店で、お土産と飲み物とおかずを買って新幹線後ろ新幹線真ん中新幹線前に乗車しました~~
 
琵琶湖付近
 
昼食 
お稲荷さん(日野屋)と甘長唐辛子炒めとみたらし団子
お稲荷さんの具がれんこんと人参入りで、しゃきしゃきして
美味しかったですラブラブ みたらし団子もGOOD!
 
浜名湖付近
 
東京駅に到着
 
 
あっという間の3泊4日でした。
大急ぎでしたが、色々な場所で、紅葉を愛でて
仏像の特別拝観も出来て、充実していました。
 
長くなってしまったレポートでしたが、当ブログに立ち
寄り、読んで頂いた方に感謝いたしますm(__)m
ありがとうございました ニコニコ
 
 
また、神社関連で載せますが、
良かったら読んでみてくださいね ピンク音符