バス停 下鴨神社前より

西参道

創祀

創祀の年代を特定することは出来ないが、『日本書紀』神武天皇2年

(BC658)2月の条に、当神社御祭神、賀茂建角身命を奉斎していた

一系流「葛野主殿県主部」との氏族の名がみえる。

この氏族は、賀茂建角身命の先の代、天神玉命を祖神とする鴨氏と

同じ氏族であったことで知られている。 また、『賀茂神宮賀茂氏系図』

には、賀茂建角身命の子、鴨建玉依彦命より11代後の大伊乃伎命の孫、

大二目命が鴨建角身命社を奉斎していたことが記されている。その社が、

今日の賀茂御祖神社の始源の社の一社であろうとされている。

 

 
御手洗ー三本杉
 
 
印納社
 
大炒殿氷室

 

 

大炊殿(重要文化財)・御車舎

神様のお供えもの(神饌)を調理していた、大炊殿(神様の台所)

・井戸屋形を公開。葵祭の特殊神饌等、古代より伝わるお供えの

レプリカや調理器具等を特別展示しております。 別棟の御車舎

では、古くから伝わる葵祭関係資料等を展示しております。

(定期的に展示替)

 

 

 

 


 

「カリンの庭」

双葉葵(カモアオイ)

原産地 日本、中国

3月から5月に赤褐色や紫褐色の花が咲く

 

 

 

 
楼門 
 
 
絵馬
 
双葉葵・・・❤型

 

平成6年(1994)1225日、

下鴨神社は世界文化遺産として登録されました。

 

平安京が造営されるにあたって、

まず下鴨神社に成功のご祈願が行われました。

以来、国民の平安をご祈願する神社として定められれたそうです。

 

 

1&9&9&4&1&2&2&5=33(11×3)

 

 

 

比良木社 
 
京の七不思議「何んでも柊」
 
神服殿
 
舞殿
 

解除所

 
媛小松
 
擬雪(白玉椿)
光格天皇により江戸時代に奉納・枯淡に達して
三井グループ(三井物産・三井住友銀行・三井不動産)
が植栽奉納
 
預社 本殿 出雲井於神社 三井神社棟門 
細殿 言社 供御所 橋殿 印社
 
三井神社
 
中門
 
 
輪橋(そりはし) 光琳の梅
「紅白梅図屛風」(国宝) 尾形光琳 
 
御手洗川 
「君がため 御手洗川を若水に むすぶや 千代の初め なるらむ」
(後撰和歌集集)京の七不思議の一つ

 

 


 

みたらしがわ

現在は明神川と称するが、古くは御手洗川の名で知られる。

北区上賀茂を流れる賀茂川(鴨川)の分水。上賀茂神社の

社殿の背を回り、御物忌川、楢の小川と名を変え、境内を

出て再び明神川となり一部は賀茂川に合流し、一部は社家町

の北を東流する。その名のとおり上賀茂神社の御手洗の水

である。また下鴨神社にも同名の御手洗川があるが水源は

湧水である。

 

 

 

 

 

 

 

 
解除所
 
「こひせしと 御手洗川にせし 御祓(みそぎ) 神はうけつぞ なりにけらしも」
平安時代(古今和歌集)
古代から今に至るまで十五日葵祭にさきがけ斎王代御稧(みそぎ)儀
をはじめ年中祭事の樹下神事(御祓おはらい)が催行される場所

 

五&十&五=20(1 1)
祓・・・10画
稧・・・14画

1&1&4=6

 

「恋をしないと御手洗川でした禊ではあるけれど、

神は願いを聞き入れてくれてはいないようだ」
この歌は伊勢物語の第六十五段では、「在原なりける男」が詠んだ
という話になっている
 
 
御手洗池
御手洗池の地底から自然に吹き上がった水泡をかたどった
ものがみたらし団子の発祥と伝えられている
 
 
下鴨神社の七不思議:その3「御手洗池の泡(みたらしいけのあわ)」
 
 
御手洗社(井上社)
御祭神:瀬織津姫命
高野川と鴨川の合流地東位置からこの地に再興
井戸の筒の上に祀られたので井上社
 
鴨社直会殿泉聲

 

紫極(天帝の座の意)

 

Image result for 紫珠

紫珠圖片_百度百科 (baidu.hk)

 

 

 

国宝 西御本殿(賀茂建角身命) 東御本殿(玉依姫命)

狛犬ならぬ緑と青の獅子(ライオン?)かなり派手でキラキラ 

一頭は一角獣のように角が有りました~~指差し

「いはばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出ずる 春によりに けるかも」
志賀皇子 万葉集八
 
相生社 
連理の賢木(さかき)京の七不思議
 
糺(ただす)の森
 

 

 

河合神社

 

 

 

 

鴨長明資料館

 

(Wiki)

賀茂御祖神社(下鴨神社)の神事を統率する禰宜の鴨長継

次男として京都で生まれた。

元久元年(1204年)、かねてより望んでいた河合社(ただす

のやしろ)の禰宜の職に欠員が生じたことから長明は就任を

望み、後鳥羽院から推挙の内意も得る。しかし、賀茂御祖

神社禰宜の鴨祐兼が長男の祐頼を推して強硬に反対したこと

から、長明の希望は叶わず、神職としての出世の道を閉ざされる。

建暦2年(1212年)に成立した『方丈記』は和漢混淆文による

文芸の祖、日本の三大随筆の一つである。
 

 

 

 

鳥居(赤)・橋(赤)&椿(白)・梅(紅白)&(紫)式部・(紫)珠

&双葉葵(緑)花(紫)&カリン(黄)・花(ピンク)・&虎(黄)

&柊(緑)・媛小松(緑)&杉(緑)&狛獅子(緑)・(青)

7種類

 

言社(干支の神社)・・・5社

 

 

7&5=12(6 6)

 

 

 

SEASON VIEW 旬感京都 (rohm.com)

2&4&5&6&2&5=11&13=24・・・2&4=6

 

 

 

 

 

 

 

 

二つの星から「星伝説」が生まれて「七夕」の象徴に

なったのには、天文学的な理由があります。それは、

この話が生まれた中国では、古くから「彦星」は農業

に適した時期になると明るくなるので、そこから

「農事」の基準とする星をして、同じ時期に天の川を

挟んで明るくなる「織姫」を養蚕(ようさん)や糸・

針の仕事を司る星と考えるようなりました。
 この事から、日本でも農業が本格的になる時期と、

星が良く見える夜に「七夕」を行う様になったのです。