連載「あなたの知らない神社仏閣の世界」

2020.1.11 07:00dot.#神社仏閣

鏡餅

 

 まだまだお正月気分は抜け切らないが、“二十日正月”という

言葉が残るように、正月20日に祝い納めをするという古くから

の風習が未だ残る地方も多く、正月気分が残るのは仕方のない

話である。

【魔除けの小豆パワー“ぜんざい”】

 そして今日、1月11日は鏡開きの日である。鏡開きとは、

簡単に言えば歳神さま(仏教では各仏さま)に備えていた

鏡餅を食することを指す。
ぜんざい

ぜんざい

 

●神さまの依り代である鏡餅

そもそも鏡餅とは何か、から説明した方がよいだろうか。

新しい年を迎えるということは、家に歳神さまを迎え

入れることである。これについての詳細は昨年の拙稿で

確認いただくこととして、家にお越しになった歳神さまが

依り代(よりしろ/宿る場所)とされる場所が鏡餅になる。

 そもそも丸い餅を「鏡餅」と呼ぶのは、昔は鏡が丸かった

という理由であるが、人の心臓(魂)を模した形が丸となった

とも言われている。また大小2つ合わせるのは、太陽と月を

表しているとも。この縁起の良い鏡餅に、歳神さまはお正月

の松の内の間おいでになり、松の内が明けた11日に鏡開きを

するという風習となったようだ。

●なぜ「開く」と言うのか

 神さまが宿っていたお餅を食べることは、新しい生命力を

得るという意味合いがあるという。そんなお餅を包丁などで

切ったりすることは避け、カナヅチなどで砕いたり手で割い

たりして細かくする作業を「開く」という。「切る」や「割る」

という言葉が忌まれたための縁起担ぎである。今流行りのプ

ラスチック製のお飾り鏡餅の封もハサミや包丁などで切っては

いけない。手で「開く」ものなのである。また、宴会などで

丸い酒樽の蓋を木槌で割ることも「鏡開き」と言うが、言葉の

いわれはまったくお餅と同じである。つまり丸くなければ

「鏡開き」ではないのだ。

●徳川幕府のご意向がますます広がっていく

 鏡開きの日が11日となった理由について、語られているのが

「徳川家光の忌日が20日のため」説である。家光は慶安4

(1651)年4月20日に没した。

それまでは、全国的に正月20日に鏡開きをしていたのだが、

20日は家光の月命日のため11日となった、と言われている。

このため、関東では鏡開きは11日となったが、幕府にそこまで

忖度する必要のなかった関西では、今も正月20日に鏡開きが

行われているところも多い(ちなみに京都の鏡開きは1月4日)。

とはいえ、現代の日本では家光の影響力は全国的に広まっている

ようである。

 ●魔除けの小豆パワーも加わって

 さて、カチカチになったお餅を、水につけてやわらかくしたり、

油であげておかきにしたり、鏡開きされたお餅は各地でさまざま

な食べ方が工夫されてきた。一番人気はお雑煮だろうが、おしるこ

やぜんざいにはまた別の意味もある。

 小豆(あずき)には古来、魔除けの力があるとされてきた。

実際、中国の薬物書には小豆の煮汁が解毒剤として使われたとの

記載があるようで、日本でも薬として用いられていた時代もあった。

また、赤い色が魔を払う色として使われてきたこともあり、小豆を

使用することには特別な意味もあるのだ。こういう理由からも鏡開

きのお餅が、おしるこやぜんざいとして食されることが好まれている。

 とはいえ、令和2年のカレンダーでは今日から三連休。なかなか

正月気分から抜けられそうもないが、ここはしっかり鏡開きをして

新たに迎えた年を無病息災、大難を無難に変えられるよう縁起担ぎ

をしてみてはいかがだろうか。

(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子) 

https://dot.asahi.com/dot/2020010900058.html?page=2

 

 

 

 

鏡開きの由来と開き方

http://www.i-nekko.jp/nenchugyoji/oshougatsu/kagamibiraki/

 

 

 

鏡開きのいわれは?
樽酒の注文、鏡開きの準備はどのようにすればよいですか?

 

「鏡開き」は元来、新年の仕事・行事初めの儀式の一つです。

「鏡」は円満を、「開く」は末広がりを意味します。昔、武家では

正月に鏡餅を供え、正月11日にこれらを割って食べるという習慣

があり、これを「鏡開き」と呼んでいました。現在でも家庭や

事務所で年の始めに鏡餅を供え、一年の健康と発展を祝って供え

た鏡餅を食べる「鏡開き」が正月の行事として受け継がれています。
酒樽の蓋を開く神事も「鏡開き」と呼びます。酒屋では、酒樽の

上蓋のことを鏡と呼んでいました。古くから日本酒は、神事を営む

際に神酒として供えられ、祈願が済むと参列者でお酒を酌み交わし、

祈願の成就を願うことが習慣となっています。神酒が樽で供えられ

た時には樽の鏡を開いて酒を振る舞います。

餅を割って食べる「鏡開き」も、神事での酒樽の蓋を開く「鏡開き」

も、ともに新たな出発や区切りに際し、健康や幸福などを祈願し、

その成就を願うものです。
最近では新築家屋の完成時、創立記念日、結婚披露宴、開店の御祝い

などで、樽を威勢よくあける「鏡開き」を行うことが多くなりました。

「鏡開き」には、吉野杉の樽に菰(こも)を巻いた菰冠(こもかぶり)

を用いるのが慣わしです。菰冠は江戸時代、酒を輸送する際に樽を

保護する目的でムシロを巻いたのが始まりとされています。当初は

藁菰で巻いただけの簡単なものだったのですが、次第に装飾性を

帯びたものになっていきました。

「鏡開き」の由縁として、戦国武将の楠木正成が出陣にあたり、

兵士たちの士気を鼓舞するために行ったとされていますが、この

説は間違いです。

酒の容器としては、当時、甕(かめ)などの焼き物が使われており、

大型の樽が普及するのは江戸時代になってからです。

https://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/qa/sake/sake06.html

 

 

 

 

鏡開き ANA 国際線就航30周年記念セレモニー 3/3 2016/03/03

成田国際空港 NRT Opening a barrel with SAKE 

 https://www.youtube.com/watch?v=kVsjdyC29iY

2016/03/07 に公開
 

ANA(全日本空輸)は、1986年3月3日 ANA11便(成田~グアム線)

より国際線定期便を就航し30周年を迎え、成田国際空港で国際

線就航30周年記念セレモニーを開催しました。

 

1+9+8+6+3+3=30

1+1+3+3=8

3+8=11

 

 

鏡開きの際の掛け声「よいしょ」が一般的です。

ただし、回数が異なる場合があります。
一回の場合「せーの、よいしょ」の掛け声とともに、
樽酒の蓋を割ります。

三回の場合「よいしょ、よいしょ、よいしょ」
の三回目で樽酒の蓋を割ります。

https://trenjoyce.com/2042/

 

 

 

(その19)「よいしょ」についての一考察

http://e2jin.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/19-2ab7-1.html

 

 

 

 

(Wiki)

(かがみ)は、通常、主な可視光線反射する部分を持つ物体。

また、その性質を利用して光を反射させる器具を指す。

鏡の起源は人類と同じほど古い。最古のそれは水鏡(水面)に

遡るからである。鏡に映る姿が自己であることを知るのは、自己

認識の第一歩であるとされる。

鏡によって、初めて人は自分自身を客観的に見る手段を得た。

鏡に映った自分を自分と認識できる能力を「自己鏡映像認知能力

と呼ぶ。鏡に映像が「映る」という現象は、古来極めて神秘的な

ものとして捉えられた。そのため、単なる化粧用具としてよりも

先に、祭祀の道具としての性格を帯びていた。鏡の面が、単に

光線を反射する平面ではなく、世界の「こちら側」と「あちら側」

を分けるレンズのようなものと捉えられ、鏡の向こうにもう一つの

世界がある、という観念は通文化的に存在し、世界各地で見られる。

鏡はとも書き、このときは人間としての模範・規範を意味する

(例として、『史記』には、「人を鑑とする者は己の吉凶を知る

(人を手本とする者は自分の将来も知る)」と記される)。

天孫降臨では天照大御神は「此の宝鏡(八咫鏡)を視まさむこと、

当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡

をすべし」(この鏡を私だと思って大切にしなさい)との神勅

出していることから、古代から日本人は鏡を神聖なものと扱って

いたと思われる。

古墳時代邪馬台国の女王卑弥呼の王より銅鏡(この時代を

研究する考古学者にとっては、「鏡」という語はすなわち内行花文鏡

三角縁神獣鏡などの銅鏡を意味する)を贈られた故事がある。

これは、彼女がシャーマン的な支配者であったことと結びつける

研究も多い。

鏡は神道皇室では、三種の神器のひとつが八咫鏡であり、神社では

神体として鏡を奉っているものが多数存在する。

また、キリスト教を禁止した江戸時代に、隠れ切支丹鏡という魔鏡

作られた。なお、鏡の語源はカゲミ(影見)、あるいはカカメ

(カカとはの古語。つまり蛇の目)であると言われている。

 

 

 

昨年行った諏訪大社上社本宮ニコニコ

 

 

諏訪大社下社秋宮

 

 

 

 

 

 

豊作願い「田舞」 諏訪大社上社で田遊神事

2020年1月16日 6時00分

田遊神事で豊作を願い、「田舞」を踊る人のみこ=15日、

諏訪大社上社本宮

 

諏訪大社上社の田遊神事は15日、諏訪市の本宮の斎庭で行われた。

豊作を願って神職が「田植唄」を歌い、みこが「田舞」を踊った。

大総代、氏子総代、区役員らが参列し、多くの氏子が神事を見守り

ながら五穀豊穣や地域の安全を祈った。

田遊神事は、斎庭に水田に見立てたござを敷き、神職が四隅と中央

で木製の農具を使って田起こしから種まきまでの一連の農作業を所作

で繰り返した。続いて人のみこが「田舞」を踊った。息の合った所作

の一つ一つを、多くの氏子らが見入っていた。

http://www.nagano-np.co.jp/articles/57688

 

2&1+5=6・・・2+6=8

1+5+2=8

8+8=16(8 8)

 

 

 

世の中「三分五厘」 諏訪大社下社で筒粥神事

2020年1月16日 6時00分

 

下諏訪町の諏訪大社下社春宮で14日夜から続けられてきた「筒粥神事」

15日朝、釜で炊き上げたヨシを割って今年の世相と農作物の豊凶

を占った。

五分を満点として、世の中は年連続で「三分五厘」、農作物は43

品目のうち漬け菜など16品目が「上」、カリンなど品目が「下」

だった。

大社によると、春のような日差しの穏やかな年明けで、筒(茎)への

粥の入りはばらつきが大きかった。秋には台風と豪雨が発生する可能

性があり、果物と野菜の栽培には注意が必要な一方、コメは豊作に

なるという。世の中の「三分五厘」は「昨年より悪いので、注意が必要」

とした。

神事は午前時ごろから始まり、一晩中炊き上げた44本のヨシの茎

を神職が本ずつ小刀で割り、粥の入り具合を確かめて占った。

氏子たちは神職の言葉を熱心に聞き入って結果を記した目録を受け取る

と、胸に抱いて大事そうに持ち帰っていた。

http://www.nagano-np.co.jp/articles/57696

 

1+4+1+5=5+6=11

3+4+3+1+6+6=10+7+6=23

5+4+4+1=14

11+23+14=48・・・4+8=12(6 6)

「三分五厘」・・・3+5=8

 

 

 

粥を炊く釜を囲み大はらいの詞を唱える神職ら=長野県下諏訪町

の諏訪大社下社春宮

https://www.chunichi.co.jp/s/article/2020011590153253.html

 

 

 

平穏願い恵方に矢 諏訪市で山の神祭

  2020年1月18日 6時00分

山の神祭で今年の恵方に向け矢を放つ関係者ら=諏訪市双葉ケ丘

の山之神社

 

諏訪市双葉ケ丘の山之神社で17日、山の神祭が行われた。同神社

の不動尊を管理する地元の南沢町、北沢区から約30人が参列。

今年の恵方の西南西に向けて矢を放ち、区民の安全や区内の平穏

を願った。江戸時代から続くとされる伝統の行事。

祭事に続く放射の儀では、両区の役員ら人が、ヤナギの枝で

作った弓を持ち、「山の神様三千牛王」と唱え、スズタケで

できた矢を放った。恵方に矢が飛ぶと参列者から歓声が上がった。

当番区・南沢町の北村正則区長(65)は「昨年は県内で台風に

よる大きな災害があった。今年は南沢町、北沢区の両区が平穏で、

災害のないよう

過ごせたら」と話していた。

http://www.nagano-np.co.jp/articles/57771

 

1+7+3+8=11+8=19

6+5=11

1+9+1+1=12(6 6)

 

 

 

 

 

諏訪大社と諏訪神社トップ / 上社雑学メニュー /

神宝「真澄の鏡」

http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/zatugaku/masumi.htm

 

 

 

 

真澄鏡(ますみのかがみ)は、諏訪大社上社の神宝の一つ。

伝承では諏訪上社の神宝は祭神である諏訪明神建御名方神)が

えたものとされている。古くは他の神宝(八栄鈴等)とともに

上社前宮(長野県茅野市)境内にある内御玉殿うちのみたまどの、

 

うちみたまでんに納められていた。

諏訪明神の生ける神体とされた上社の大祝おおほうりはかつて、

毎年2回(3月の日・9月下旬のまたはの日)真澄鏡の前に

八栄鈴を鳴らし天下泰平の祈願をした。鏡はくもったことがなく、

諏訪氏(上社大祝家)の氏人のみを映すと言われている。

鏡は現在、第一の神宝として上社本宮(諏訪市)の宝殿に安置

されているため、拝見することは出来ない。

宝治3年(1249年)に書かれたと言われている『諏訪信重解状

に見られる諏訪明神の降臨の神話と、瓊々杵尊天孫降臨)や

饒速日命の天降り神話との類似点が指摘されている。上社大祝が

生き神とされたのも天皇現人神とする思想と似ている。

 

1+2+4+9=16(8 8)

 

 

日本書紀成立1300年 特別展「出雲と大和」

平成館 特別展示室   

2020年115日(水) ~ 2020年38日(日)

令和2年(2020)は、我が国最古の正史『日本書紀』が編纂

された養老4年(720)から1300年という記念すべき年です。

その冒頭に記された国譲り神話によると、出雲大社に鎮座する

オオクニヌシは「幽」、すなわち人間の能力を超えた世界、

いわば神々や祭祀の世界を司るとされています。

一方で、天皇は大和の地において「顕」、すなわち目に見える

現実世界、政治の世界を司るとされています。

つまり、古代において出雲と大和はそれぞれ「幽」と「顕」を

象徴する場所として、重要な役割を担っていたのです。
「幽」と「顕」を象徴する地、島根県と奈良県が当館と共同で

展覧会を開催し、出雲と大和の名品を一堂に集めて、古代日本

の成立やその特質に迫ります。

 

 

重要文化財 画文帯神獣鏡・三角縁神獣鏡がもんたいしんじゅうきょう・さんかくぶちしんじゅうきょう
奈良県天理市 黒塚古墳出土 古墳時代・3世紀
文化庁蔵(奈良県立橿原考古学研究所保管)

画文帯神獣鏡1面と三角縁神獣鏡33面が出土。竪穴式石室

(たてあなしきせきしつ)内の被葬者の頭部付近をコの字状

に囲むように置かれた三角縁神獣鏡は1つの古墳から出土し

た数としては全国最多です。鏡面を被葬者側に向けて被葬者

を護り鎮める意図をもっていました。

https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1971

 

2+2+1+1+5=11&2+2+3+8=4+11=15・・・11+15=26

2+2+7+2+1+3=4+9+4=17

(2+6=8 1+7=8)

1+3+3+1=8

 

 

 

記念講演会「古代の出雲と大和–『日本書紀』成立1300年」

日程 2020年1月18日(土)

時間
13:30~15:00*開場は13:00を予定
 
会場
平成館-大講堂
 
講師
佐藤信(東京大学名誉教授)
 
定員
380名(事前申込制、応募者多数の場合は抽選)

 

 

2+2+1+1+8=14

1+3+3+1+5=13&1+3=4・・13+4=17・・・1+7=8

3+8=11

14+17+11=42・・・4+2=6

 

 

 

 

卑弥呼の鏡は魔鏡 3Dレプリカ実験で文様浮かぶ

2014/01/29 に公開

「卑弥呼の鏡」と呼ばれる三角縁神獣鏡が、鏡面に太陽光を当て

壁に反射させると、裏面の文様を映し出す「魔鏡」だったことが

分かり、京都国立博物館の村上隆学芸部長(歴史材料科学)が29日、

発表した。

愛知県犬山市の東之宮古墳(3世紀後半)で出土した三角縁鏡を

基に、3Dプリンターを使って精巧なレプリカを作って実験した。

魔鏡は中国では紀元前からあるが、日本でしか出土しない三角縁鏡

で確認されるのは初めて。

 

 

 

(Wiki)

鏡の魔鏡現象

2014129日、3Dプリンターを使用して、東之宮古墳から出土

した三角縁神獣鏡の複製品を作成して実験したところ、鏡の背面に

刻んだ文様が浮かび上がる魔鏡の現象が確認できたと、京都国立

博物館が発表した。なお、実物はなどのため、光は反射できない。

わが国の古墳から520面以上出土していており、椿井大塚山古墳から

36面以上、黒塚古墳からは33面出土した例もあることから、この

鏡は魏から卑弥呼に下賜されたものではなく、日本で創作され大量に

製造されたものである説が有力である。

 

2+1+4+1+2+9+3=19+3=22

5+2+3+6+3+3=22

22+22=44(11×4)・・・4+4=8