東大散策 | ☆ sweet home ☆

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大好きなsweet&簡単で美味しいお家ごはんを載せてます。
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脱原発など日々、感じたことも載せています。

初秋に、東大散策に行ってきました~~

東大には食事レストランが沢山あって、誰でも食事することができますペロリ

https://tabelog.com/tokyo/P065486/premiseLst/

 

歴史、建築好きは必見の東京大学本郷キャンパス。

近くにはおいしいものもたくさんあります!

https://haveagood.holiday/plans/448

 

 

 

農正門1(937年完成。設計は内田祥三。弥生キャンパスの正門である)

 

 

 

 

 

 

 

工学部1号館前のジョサイア・コンドル像

 

 

安田講堂(後ろの建物は理学部1号館)=安田財閥の安田善次郎に由来

 

 

 

 

ひときわ立派な銅像。階段があってその上に鎮座しています。

 

 

 

焼失した図書館については、1924(大正13)年に図書館再建と図書の

復興のためにと、ジョン・ロックフェラー・ジュニア氏より400万円の寄付

の申し出が寄せられた。

 

1+9+2+4+4=20(1 1)

 

 

現在、図書館は改築中でした。

 

 

 

噴水には水煙と呼ばれる五重の塔の一番上にあるような飾り&ガス灯(?)

 

 

 

菊の御紋(!?)のある正門→築地本願寺の設計で知られる伊東忠太(いとう・ちゅうた)の設計「旭日(朝日)」

正門

https://www.ut-life.net/guide/map/hongo/main-gate/2

 

 

赤門

キャンパス南西部にあり、本郷通りに面している。同キャンパスの正門と

よく間違われるが、正門ではない。

加賀藩前田家上屋敷の御守殿門であり、1827に第12藩主

前田斉泰が第11将軍徳川家斉の第21女、溶姫を迎える際に造られた。

建築様式としては薬医門であり、切妻造となっている。

左右に唐破風造の番所を置いている。国の重要文化財、旧国宝

 

1+8+2+7+1+2=21

(21  11  21)(3 2 3)=8

 

菊花紋章(きくかもんしょう、きっかもんしょう)

菊花紋(きくかもん、きっかもん)、菊の御紋ともいう。単に菊紋(きくもん)と

言う場合は、花を組み合わせるか、いずれかを図案化したものも含める。

皇室の菊花紋(十六八重表菊)                十六菊の例                    

 

 

 

                    

 

天皇のガーター騎士団員としての紋章

 

ガーター勲章(ガーターくんしょう、: Order of the Garter

1348年エドワード3世によって創始された、イングランドの最高勲章。

 

昭和天皇の訪英に先立つ1971(昭和46年)47に至ってイギリス王室は

「剥奪された天皇の名誉を全て回復させる」という宣言を発した。これにより

昭和天皇は正式にガーター騎士団員の地位を取り戻し、1971522から

セント・ジョージ・チャペルに再び菊花紋章のバナーが掲揚されることになった。

一度剥奪されて名誉回復を果たした外国君主は騎士団600年余の歴史の中

でも昭和天皇のみである。

 

1+9+7+1+4+7=29・・・2+9=11

1+9+7+1+5+2+2=27

27+6=33(11×3)

 

鎌倉時代には、後鳥羽上皇がことのほか菊を好み、自らの印として愛用した。

その後、後深草天皇亀山天皇後宇多天皇が自らの印として継承し、慣例

のうちに菊花紋、ことに十六八重表菊皇室の紋として定着した。

「十六八重表菊」が公式に皇室の紋とされたのは、1869年明治2年)8月25日

の太政官布告第802号による。

現在でも日本の在外公館の玄関には、日本の国章の代わりとして菊花紋章の

浮き彫りがある。また、日本国発行の旅券の表紙にも「十六一重表菊」をデザイン

化したものが使われている。

 

(Wikipediaより)

東京大学総合図書館(とうきょうだいがくそうごうとしょかん)

蔵書数など附属図書館の中では最大の規模である。

東京大学本郷キャンパスに所在する。1923(大正12年)91関東大震災

で廃墟となり、現在の建物はそれを受けて造られたものであるため、鉄骨鉄筋

コンクリート造りで頑強な構造を備えている。キャンパス構想全体も手がけていた

内田祥三工学部教授による設計。現在、正面玄関前の地下に新図書館を作る

計画があり、2016年に着工の予定

(この間、東京大学の入学試験の合格発表も取り止められる)。

1892年(明治25年)に旧図書館棟完成。煉瓦造りで、白い石材による先頭アーチ

が、入り口、窓に配された中期ゴシック様式に基づく木造桟瓦葺の建物である。

1923年(大正12年)9月1日関東大震災によって、東京帝国大学図書館は甚大

な被害を被った。国内から「南葵文庫」や「青州文庫」(一部)をはじめ多数の貴重

な図書の寄贈の申し出があり、さらに、震災直後より各国大使館から援助の申し

出が多く寄せられた。国際連盟においても図書復興援助の決議が採択され、海外

30数カ国から数多くの図書の寄贈を受けた。また、東京帝国大学自身も多額の

予算を費やし、内外の貴重な資料を購入した。

その甲斐あって、所蔵図書冊数は1927年(昭和2年)に55万冊にまで回復している。

図書復興と平行して、1924年(大正13年)、図書館再建と図書の復興のためにと

ロックフェラー財団より400万円の寄付の申し出が寄せられた。これを財源に新

図書館の建設を決定し、直ちに図書館建築委員会を組織、欧米に設計・設備に

ついて調査を行った。また、キャンパス構想全体も手がけていた内田祥三(当時

営繕課長兼図書館建築部長で後に工学部教授、さらに東大総長となる)の下、

建設計画が進められた。1925年(大正14年)末には、早くも設計が決定している。

1928(昭和3年)に完成。

同年121に竣工式を迎えている(以後同日を開館記念日としている)。

空襲の被害で本郷界隈をはじめ東京一帯が焼け野原となる中で、図書館棟は

幸運にも延焼することはなかった。一説には、東京大学周辺に植えられた樹木が

防火林の働きを果たしたといわれている。

外観は、百科事典を並べたようなイメージで、外壁には淡褐色のスクラッチ・タイル

を貼り、ゴシック風の細部とアーチを持つ入口を用いた外観のデザインは、本郷

キャンパスの他の建築物と均しく調和が図られている。

東京大学新図書館計画「アカデミック・コモンズ」を推進している。総合図書館前

広場の地下に新館を建設し、約300万冊収容可能な巨大な自動化書庫を作る。

伝統ある本館は外観を保存したまま内部を全面改修する、というものである。

新館、本館の工事完了予定はそれぞれ20162018である。

 

1+9+2+8+1+2+1=24・・・2+4=6

2+1+6+2+1+8=20(1 1)

 

 

関東大震災(かんとうだいしんさい)

1923大正12年)9月1日115832秒頃(日本時間、以下同様)に発生した

関東大地震によって、南関東および隣接地で大きな被害をもたらした地震災害

である。金融の停滞で震災手形が発生し、緊急勅令によるモラトリアムを与えた。

2004(平成16年)頃までは、死者・行方不明者は約14万人とされていた。

14万人の数字には重複して数えられているデータがかなり多い可能性が指摘され、

その説が学界にも定着したため、理科年表では、2006(平成18年)版から修正

され、数字を丸めて「死者・行方不明 10万5千余」としている。

復興には相当額の外債が注入されたが、その半分は、火力発電の導入期にあった

電力事業に費やされた。モルガン商会1931年昭和6年)までに占めて10億円を

超える震災善後処理公債を引き受けたが、その額は当時の日本の年度別の国家

予算の6割を超えるものであった。

日英同盟の頃から政府は資金繰りに苦慮していたが、特にこの復興事業は国債

社債両面での対外債務を急増させた。

引受にはロスチャイルドも参加した。金策には森賢吾が極秘で奔走した。

震災後日本で初めてラジオ放送が始まった。避難の教訓からラジオは急速に普及し、

国威発揚にも利用された。

 

1+9+2+3+9+1=25

1+1+5+8+3+2=20

2+5+2=9(3×3)(11×3)

2+4+1+4=11

1+4+2+6=13

1+5=6

1+1+1+3+6=12(6 6)

 

日本初のラジオ放送は、1925大正14年)322930分、

社団法人東京放送局(JOAK:現在のNHK東京ラジオ第1放送。略称:AK)

波長は375m(周波数800kHz)、空中線電力(出力)約220Wだった。

当時の受信機の性能に比して出力が弱かったため、東京市内でないと

よく聴こえなかった。

 

 

1+9+2+5+3+2+2=24・・・2+4=6

9+3=12(6 6)

2+4+1+2=9(3×3)(11×3)

3+7+5=15

1+5+8+2+2=18(6 6 6)

 

 

東京大学の建造物(とうきょうだいがくのけんぞうぶつ)

東京大学の敷地内にある建造物について解説している。

本郷キャンパスには歴史のある建物が多く、東京都登録有形文化財第1号で

ある安田講堂をはじめ、正門(横にある門衛所も含む)、法文1号館、法文2号館、

法学部3号館、工学部列品館、工学部1号館が登録有形文化財に登録されている。

これらの建物のうち、正門以外は内田祥三の設計による建築である。

これらは共通する特徴をもったゴシック様式の建物であるため、設計者の名前を

取って内田ゴシックと呼ばれている。

内田ゴシックは他にも医学部2号館(本館)など同キャンパス内に数多く存在する。

 

 

東京大空襲(とうきょうだいくうしゅう)

第二次世界大戦末期にアメリカ軍により行われた、東京に対する焼夷弾を用いた

大規模な戦略爆撃の総称。

日本各地に対する日本本土空襲アメリカ軍による広島・長崎に対する原爆投下

沖縄戦と並んで、都市部を標的とした無差別爆撃によって民間人に大きな被害を

与えた。早乙女勝元によれば、空襲としては史上最大規模の大量虐殺とされる。

連合国は東京に効果的に毒ガスを散布するための詳細な研究を行っており、

散布する季節や気象条件を初めとして散布するガスの検討を行い、マスタードガス

ホスゲンなどが候補に挙がっていた

1945年3月10日の大空襲(下町大空襲)

10日に日付が変わった直後の午前0時7分、爆撃が開始された。

325機の出撃機のうち279機が第一目標の東京市街地への爆撃に成功し、0時7

初弾が投下されたのを皮切りに、城東区(現在の江東区)にも爆撃が開始された。

空襲警報は遅れて発令され、初弾投下8分後の0時15分となった。

民間団体や新聞社の調査では死亡・行方不明者は10万人以上と言われており、

単独の空襲による犠牲者数は世界史上最大である。

19453月から5月にかけての空襲で東京市街の50%を焼失した。

また、多摩地区立川八王子八王子空襲)なども空襲の被害を受けている。

その後、空襲の矛先は各地方都市に向けられていく。

 

1+9+4+5+3+1+7=30

1+7=8

3+2+5+2+7+9=28

8+28=36(6 6 6)×2

(7+8 15)(15 15)(6 6)

1+1+9+4+5+3+5+5=33(11×3)