撮影場所は県立歴史博物館(旧横浜正金銀行)&
旧生糸検査所ですね![]()
外見的にはカメラマンの絶好な被写体でもあるし、
JR関内駅南口を降りて、馬車道を海方向に歩いて行くと、左手に
ひときわ目立つドイツルネサンス洋式の重厚な建物が現れる。
これが神奈川県立歴史博物館である。現在は博物館であるが、
元は横浜正金銀行だった。横浜正金銀行は、貿易の増進や金融
の円滑化を目的として建設された金融機関である。当時の輸出
品として代表的だったのは生糸や茶であり、一方、輸入品は綿織
物や毛織物が主体だった。取引は外国・日本の商人の間で行わ
れていたが、これが中々円滑に進まず、福沢諭吉や大隈重信ら
の援助を得て国立銀行条例に従い、代表者を中村道太が務め、
1880年(明治13年)2月28日にこの横浜の地で開業となった。後
年、東京銀行横浜支店となり、1964年(昭和39年)に土地及び建
物を神奈川県が買収し、博物館となった訳である。
http://www.timeslip-y.jp/kannai/hakubutsukan.html
「1944年1月、昭和天皇 は参謀総長 と軍令部 総長から結論として
太平洋戦争 に勝機はないと報告され、木戸 内大臣 に和平計画を
立てるよう指示した。木戸 は当然のことながら、この指示の意味
は皇室 財産 を守ることが第一であり、日本 を平時の状態にする準
備は二番目であると理解したのである。二番目の状況を達成する
には時期尚早だったができた。木戸 は皇室 の財政 顧問でもある
主要銀行 の経営者 たちを招集し、会議を開いた。彼らの提案で、
天皇 の現金が東京 から銀行 間無線でスイス に送金されたのである。
東京 にある天皇 の銀行 口座の残高が事実上ゼロになったが、スイ
スの銀行 の番号口座残高が急激に増加したのだった。横浜正金銀
行のスイス の支店は次に、天皇 の仮名による銀行 投資 にドイツ の
信用を付け、天皇 の流動資産 の換金能力をさらに高めた。他の財
閥の大企業経営者 たちも天皇 の現金の流出に気づき、アフガニス
タン、トルコ 、スペイン 、ポルトガル 、スウェーデン 、朝鮮 、香港 、
満州 、フランス 、ドイツ などに預金していた現金を引き出し、スイス
の銀行 へ送金した。彼らはまた、ブエノスアイレス にある銀行 の
法人や個人 口座の数も増やしたのである。
占領期間中、日本銀行 が横浜正金銀行 の業務を引き受けることに
なり、この結果、皇室 財産 の財務上の秘密が継続して保証されたの
である。」
<日本人が知らない恐るべき真実>から一部転載しましたm(__)m
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060828
日本は「黄金の国ジパング」と呼ばれていて佐渡金山を習いま
したね。歴史ではそう習ったのですが、実際金はどこにあったの
でしょうか??
そして生糸といえば世界遺産になった富岡製糸場
横浜港は貿易するのに最適な場所で、馬車道通りは洋風な建物が
似合う所ですね。
ちなみに、氷川丸
を所有しているのが日本郵船。
(Wikipediaより)
日本郵船株式会社(にっぽんゆうせん、Nippon Yusen Kabushiki Kaisha)
は、日本 の大手3大海運 会社の一つであり、三菱商事 とともに三菱財閥
(現在の三菱グループ )の源流企業。
1875年 (明治8年) - 国有会社である日本国郵便蒸気船会社の経営が
岩崎弥太郎 に任される(三菱商会が郵便汽船三菱会社へ改称)。
岩崎弥太郎は地下浪人で、「竜馬が行く」くNHKドラマ>によると、竜馬に
握り飯
をもらうほど貧乏だったみたいですが、、明治時代には大企業
家になり、今の丸の内の土地も三菱系だそうです。
安倍晋三と三菱の不自然な真実。兄=安倍寛信は三菱商事の重役。
三菱重工業、三菱電機は、軍需・原発・ロケット・粒線治療装置メーカー。
安倍政権 の成長戦略、原発の活用、戦略的宇宙政策、先端医療で粒
線治療装置の推進。武器輸出三原則の例外で、三菱グループ会社が
兵器をライセンス生産。






