こんばんは。
歴史の授業で皆様は満州帝国と言う言葉を聞いた事があると思います。
その時に即位した満州帝国皇帝が愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)と言う人で・・・
かつて、ジョン・ローン主演でラストエンペラーと言う題名で映画化もされた人物です。
この方は、旧日本帝国の関東軍が用意した操り人形だった等散々な評価を並べられたりもしていますが・・・
実は大変な愛妻家であり・・・
妻の嵯峨浩(明治天皇の生母方に当たる血筋)も溥儀には献身的な方だったと言われています。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cd/Aisin-Gioro_P%C7%94ji%C3%A9_and_Lady_Hiro_Saga_1937_wedding_photo.jpg/220px-Aisin-Gioro_P%C7%94ji%C3%A9_and_Lady_Hiro_Saga_1937_wedding_photo.jpg
このお二人は、昭和12年に東京で結婚式を挙げました。
いわゆる政略結婚というものです。。。
結婚の話がきた時・・・嵯峨浩は後々この様に回想していたそうです。
『運命を受け入れなければ・・・』
政略結婚と言えば聞こえは悪いですが、当時は厳しい国際環境であったため・・・
この様な出来事は当たり前な事だったと思います。
この時代の日本人は「公」の精神を尊ばれていたので、現代の自由な個人主義と全く異なるため・・・
今のご時世で当時を見てしまうと理解出来ないかもしれませんね。
また、溥儀が自分の兄に書いた手紙には・・・この様な言葉を残されています。
「あとは仕組まれた政略結婚を互いの愛情と理解と同情で真に一対一の人間としての結婚にすることです。
彼女が絵を描くことも私は気に入りました」
お二人に共通するもの・・・それは覚悟と言う言葉です。。。
互いが運命を受け入れる覚悟さえ決めれば、あとは幸せに向けて二人で努力する。。。
覚悟を抱いたから困難も乗り越えられると言う感じですね。
昨今では、好きだからとか・・・好きだから大丈夫とか言いますが・・・
真の覚悟が無い安価な響きに聞こえてなりません。
終戦後の溥儀は満州国を追われ日本に向いましたが・・・
ソ連軍に逮捕抑留され、戦犯として扱われました。
妻の嵯峨浩は中国大陸を彷徨いましたが、日本に戻ることは出来たそうで・・・
その間に、娘が自殺をしてしまう悲劇も重なったそうですね。。。
その二人が再開を果たしたのは・・・
なんと。。。16年後の昭和36年(1961年)のことだったそうです。
中国広州の駅で再開した二人は言葉が出ず、嵯峨浩は黙って頭を下げるばかりで、溥傑殿下もうなずくばかり
であったと言われているそうです。
そして二人は再び夫婦として暮らし・・・添い遂げることになります。
政略結婚、そして16年の離別と言う障害があったにも関わらずです。。。
嵯峨浩の姪は「伯父と伯母の生活を見ていると・・・
とても政略結婚で結ばれたとは思えないほど仲が良くいたわりあっていた」と述べています。
昭和62年(1987年)・・・
嵯峨浩は夫の溥傑に看取られながら波乱の生涯を閉じ。。。
溥傑はそれから7年後の平成5年(1994年)に北京で逝去しました。
占いの鑑定に訪問される方で、結婚についての依頼は後を絶ちません。
結婚に関する依頼にて、いつも感じる事は・・・
意思が曖昧であると言うことです。
打算的な思考だけが見え隠れするだけなのです。
この人とはフィーリングが良いのでしょうか?
金運がある人でしょうか?
出世する人でしょうか?
SEXの相性は良いでしょうか?
家事は得意なタイプでしょうか?
etc・・・
不思議な事に、相手の素晴らしいところは何?と質問すると・・・
う~んと考え込む様な人さえ存在するのです。汗
溥儀は、『彼女が絵を描くことも私は気に入りました』と言い、妻の素敵な部分が何かを探そうとしています。
つまりは、この人と結婚するんだと言う覚悟を決めていない様に思います。
そのうち、どうにかなるだろうと思っていても・・・
基本的な意志が固まっていないなら、途中の挫折に脆くも崩れてしまうケースを多く見ています。
結婚し、家庭を形成すると言うことは会社を起業するのと同じであると思います。
浮気するのは不正流用、離婚すると言う事は倒産したと同じです。
そこには、従業員が路頭に迷うと同じく・・・一家離散が待っているだけです。
起業するにも経営計画書を作成しますが、結婚にも経営計画書なるものが必要でないかと思います。
その重要な1つとして・・・あなたの覚悟が必要なのです。
その覚悟があってこそ、ホントの愛が有れば大丈夫と叫べるかもしれませんね?
それでは、お聴き下さい。
広瀬香美
愛があれば大丈夫

