
1/10は辰の日でしたので、住吉大社へと訪問しました。
1/20が真の初辰だそうですが・・・
住吉大社へは、4年ぶりとなります。
またご縁下さり感謝感謝です。

南海線の駅を降りて、神橋を渡り手水舎へ行くと・・・
何と・・・
柄杓が置いてありません!
竹筒の穴から流れる情緒無い風景・・・
どういう意図があって、この様な惨状になったのかは解りませんが・・・
手で直にすくって行うという滑稽な様相・・・
合理性を追求したのか・・・
あまりにもマナーが悪すぎるので撤去しているのか・・・
手水舎での作法は、茶道でお茶を頂くときの心得と同じく、茶を点てた方への礼儀、神様への礼儀を示す場所で
もあります。
人以外の者が神域に立ち入る事はご法度である事は常識です。
最近は平気で動物を持ち込んだり、呼び込んだりしている不心得者が多々見受けられます。

私にとってペットは家族同然だから、別にかまわないだろう?と言う方もいますが、
それは全くの勘違いです。

神社は公衆の者全てが愛しむ場所です。
そして、神様という方がより所にしている場所です。
神職の方は、マンションの管理人さんと同じく、神様のより所を管理委託されている人達です。
神社とは、ぶっちゃけ言うと・・・他人の家なのです。
人の家に伺う時は、きちんと当たり前の挨拶をするのが当然であり、
無闇で勝手な行動は許されないことです。
少なくとも、二礼二拍手一礼の作法を実施できない者は控えるべきです。
ペットは残念ながら、それらの行為が不可能です。
映画館で観賞するさいには、幼児の入場はお断りしているのは常識です。
マナーある映画鑑賞を実施する事が出来ないからですね。
見えていない時こそ、その人の真価が問われるのです。
神社とは、常識やマナーを学ぶ教育の場でもあります。
何か、ご利益をおくれよ~と言う、欲を抱く者の溜まり場ではありません。
敬う心・・・
親兄弟を想い、子を想い、妻夫を想い、友を愛し、地域愛し、国に対しても想い敬う心を本来は養う場所です。
恐れを忘れ、暴虐の限りの末に・・・聖地は気が枯れ果てていくのです。
古の時に、住吉三神様がこの土地が我々の住むに相応しいと思われたのは、
肥沃で、清んだ水を湛える清らかな土地に心うたれたと言われています。

2012年の現在・・・
その素晴らしい一面は過去のものになっているようです。。。
大海神社前の御神水です。
手動式のポンプを押すと井戸水が出てきますが・・・
とても、口に入れることすら難しいほどに異な味がします。

住吉大社内には、水源があるそうですが・・・これほどに質が悪化しているとは・・・
神社とは、生き物が生きていくために必要なあるべき姿が凝縮されています。
山・木・川・海・・・
鎮守の森と言うシステムです。
1つでも狂い出すと機械と同じく色々な部分が影響されていきます。
この聖地は悲鳴をあげそうになっています。

2005年に国連女性地位委員会で「もったいない」を提唱した、
ケニアの女性環境活動家ワンガリ・マータイさんがおられました。
マータイさんは1940年ケニアの農場で生まれで、アメリカの大学で修士号を、ナイロビ大学で獣医学の博士号を
取得後、1971年にナイロビ大学の教授になられました。
そして1977年にグリーン・ベルト・ムーブメントを設立、環境活動家として知られるようになります。
この活動団体は、土壌の侵食、砂漠化を防ぐために木を植える活動を行っており、現在までにアフリカ全土でお
よそ4000万本もの植林をしています。
活動家としてだけでなく、2003年には環境副大臣に任命されケニアで活躍されました。
彼女の環境活動が認められ、2004年にはノーベル平和賞を受賞、アフリカ女性、そしてケニア人として初の受賞
に輝かれています。
また、2005年に来日の際に「もったいない」という言葉を知り感銘を受け、国連女性地位委員会で出席者と共に
「もったいない」と唱和したことでも有名な方です。
ケニアでは国内の政治を批判したことなどから逮捕、投獄をされたこともたびたびあり、夫から「意志が強すぎて
コントロールできない」として離婚をされたこともある行動派です。
晩年は、世界で2番目に大きい熱帯雨林を持つコンゴ盆地の森を守る活動を行っていたそうです。
長い間ガンと闘い続けておられましたが、71才で他界されています。
「もったいない」という言葉は海外でなかなか通じないものだそうですが、
それを世界に広めようとしてくれたマータイさんの意志は受け継がれていってもらいたい行為・言葉ですね。
もったいない・・・聖地が穢れていく・・・
もったいない・・・神気が失われていく・・・
もったいない・・・人の真心が消えていく・・・
難波の地が古来の美しさを取り戻してくれる事を祈ります。