こんにちは、談話喫茶“ホーボー軒”へようこそ。

店主のKlavi-Seli にて御座候、どうぞごユルリと☕。

 

しばらく日本の🎹教育について長年、自分が想う処をあげつらってみたい。

前回、ソナチネについて少し触れたが、まぁ其の延長である。

で、トップバッターとしてチェルニーを取上げる。

で、最初にグランドルールを。

 

チェルニーとは言うまでも無く🎹練習曲作曲家だ。

膨大な量のテキストを書き残している。

で、その演奏技量向上の効用については、基本的には触れない。

これは以前からチェルニーのみならず、凡そ🎹曲の演奏技量効果には言及せずが拙のスタンスである。

問うのは作品の質である、ということだ。

そして質とは本人の人間性、というよりソレをどの様に扱っているか、の姿勢を一番厳しく検証するものである。

これも言及しだすと中々本題に入ってゆけなくなるので、この辺で留め最近、ひょんな契機で思い付いたことから始め導入としよう。

事の起こりはチェルニーではなくベートーベン、

 

「エリーゼのために」から。

 

「エリーゼのために」を弾くに当たって、それはバッハのインベンションよりも先で良いのか、インベンションを或る程度はやってからの方が良いか。

 

拙なりの結論。

せめて1曲、№4.ニ短調をやってから。

以下、そう想うに至った検証課程を。

 

まずは譜例(A)。

Bach作曲Invention№4.d moll。10小節目である

楽譜にあるのは純粋に音符のみで、スラーやスタッカートのアーティキレーションも強弱記号も、凡そ表現指示と言えるものは一切書かれていない。

 

この10小節目を、チェルニーは註釈している。

(B)の譜例を付けて。

読んでみようか。

 

「(10小節目を)譜例(B)のようにならないようにリズムをしっかり取って下さい。またこのときの低音は主動機の連続であるから、右手に音をさらわれないように」

 

おいおい、マジかよカール。

オマエ、ホンマにピアニズム優先♂なんだな。

そう、全音のBachインベンションは、いわゆるチェルニー版なのだ。彼にとってはインベンション、あくまでピアノ演奏技量の向上テキストとしての意味&意義しか、学習者に与えていないのだ。

 

これヘミオラだろ、フツーに。

3/8の基本律動である2×3=6が、

3×2=6へと変格拍子化しているってか、

させてるんだろうが。

 

で、何なん、左が右に釣られない様にって?

オマエの練習意図ってか学習意図てかメカ意図、それは良っく分かるよ。

 

「3/8の三拍子系ならではの2×3のリズムと、主題(=主動機)のリズムが、左右ちゃんと合って居る様に」

 

それ、完全に🎹アタマの発想優先。

いんやハッキリ云おう。🎹莫迦アタマだ!

Bachじゃんか、これ。

3拍子系じゃんか、これ。

ヘミオラ弾かせたい、若しくは聴かせたい箇所じゃんか、これ。

ポリフォニーじゃんか、これ。

だったら左右ポリリズムでも良いじゃんか、これ。

 

それがバロックの面白味じゃんか、これ。

それがBachたる多様さの現われじゃんか、此処。

 

良いんだよ右手、(B)になって。

そして左は左の主メロで独立してて。

そして、そこに至らぬ、右に釣られて主メロが弱まっても、それはそれで一つのアチーブメントじゃん、学習者にとっての。

弾けてる具合感を感じ取らせるのだって、大事なステップだろうが。

 

要はメッチャ、ロマン楽派的ピアニズムの当て込みを、インベンションでムリ🌰してるのだ、チェルニー版。

だがペータース社との契約ゆえの安価さで、高度成長期の🎹教育の現場に大量に蔓延り、お陰で多くのBachキライとBachニガ手者を産み出したんだぞ!

その罪、どんだけデカかりし也!

 

だからチェルニーは莫迦なのだ。

チェルニーだけが莫迦じゃナシ。

それを讃える者も同罪。

 

世の価値観、須   (スベカラ)く賛否功罪毀誉褒貶あれどチェルニー版のインベンション、罪のみにて功ナシ

 

インベンション№4をエリーゼの前に、の前提が以上。

次回、いよいよエリーゼ、切り込みます。