こんにちは、談話喫茶“ホーボー軒”へようこそ。

店主の Klavi-Seli にて御座候、どうぞごユルリと☕。

 

1980年以降のショパンコンクール出身者を、貴方は何人知っているだろうか?

ヒト昔前までは、ブーニン一人勝ちだった。

が、度重なる疾病や事故で第一線の活躍から遠ざかるを得ず。

前回の反田恭平2位、小林愛美4位。

それ以外、誰も知りやしないだろ?

そう、これ一つ取っても権威、十二分に失墜しておるのだ。

今や他国のコンペティションの方が、遙かにアドバンテージが高い。

 

アメリカはクライバーン。

フランスはロンティボー。

ロシアはチャイコフスキー。

 

だから日本も、日本人&亜細亜人作曲家を弾かせる国際コンペを主宰すればよろしい。

クライバーンコンペの課題を、メディアは一切伝えない。

アメリカ人作曲家の作品を選択するのが条件なんだよ。

当り前の事である。

 

ショパンコンペ歴代優勝者

ロシア(=旧ソ連)→オボーリン、ブーニン。

イタリア→ポリーニ

アルゼンチン→アリゲリッチ

イギリス→オールソン

ベトナム→三谷幸喜、あ、違った、ダンタイソン

ポーランド→ハラシェヴィッチ、ジメルマン(註)、ブレハッチ。

中国→ユリンディ

 

フランス、日本は未だゼロ。

独墺も。

独墺はそもそも挑戦の意欲ナシ、そして主宰国もアワードをあげる気ナシノリタケ。

 

だがフランスも独墺も、自国作曲家コンペをシカと持っている。

如何に日本が、文化劣等政策列島国かを、イヤっちゅー程に露呈。

 

3人を出したのは主宰国ポーランドって、どっかの国の高校国体と一緒やねん😀。

 

だが本当はロシアも3人なのだ。

主宰国が認めなかった。

実質的に失格にしてしまった。

悲劇のピアニスト、その名は、アレクサンダー・スルタノフ。

 

1990年の大会で、もう最初から優勝を期待されていた。

2021年の我が国の出場者、牛田智大君的存在 ・・・

いや、全然。

既にスターピアニストとして、十分な活動を繰り広げてのコンペ挑戦である。

 

しかし主宰国審査団は、そのショーマンシップに富んだ演奏パフォーマンスを、

「コンテスタントらしき謙虚さに欠ける」

という、屁理屈にもならぬ理由で、落したのだ。

 

彼は幻想即興曲を3度で弾き、審査員と傍聴席者達の度を抜く。

それはロシア勢を排斥したい同国審査員たちにとって、格好の減点ネタだった。曰く

 

「テキスト(楽譜)への冒涜的演奏である」

 

と、形相を鬼気として、内心は喜々として!

こうしてロシアは、3人目の優勝者を出せずして、ショパンコンペから撤収&撤退、以降は自国チャイコフスキーコンペの権威作りに精進する歩行転換をはかった。

その方法とは、ひたすら「公平性」の遵守という、非常に逆説的な手法。

だから上原彩子が、日本人初の優勝を成し遂げた。

ロシアは元より、日本にも花を共に持たせたコンペに成長。

それが本当の「権威」というもの。

 

2005年。

白血病でスルタノフ、死去。

奇しくも我が国の歌姫、本田美奈子も同じ病名で、逝去の年も一緒に。

 

エキエル版にはOssia(参照稿)として、幻想即興曲の3度奏法が掲載されている。

つまり、スルタノフが弾いたのは、最もコンペの推奨に殉じたものだった。

今からでも遅くはなし。

スルタノフの墓に、1990年大会優勝を与えよ。

それをやらないから、ヨーロッパ各国から見捨てられる。

知らぬは日本人ばかりなり。

何時までATM役、勤めしや。

 

スルタノフを知らない方々へ。

35年の短命に加え、ショパンコンペを閉め出された故に、アーカイブは限られますが、それでもYoutube に演奏動画はupされています。

是非ともご視聴を。

 

(註).Zimmermanをジメルマンと表記すると、必ず

「ツィンマーマンです」と揚げ足取ってくるタワケ者が湧イトトイフェルしてくるんで、ハキ~リ言って置く。

本人が雑誌のインタビューで貴方を何とお呼びすれば良いのですか、との質問で、

「日本ノ皆サンハ、じめるまんデ良イデスヨ」

と回答している。分かったか、莫迦者たちよ!