緊急投稿~だからクラシックは莫迦なのだ【番外編】

 

こんにちは、談話喫茶”ホーボー軒”へようこそ。

店主の Klavi-Seli にて御座候、どうぞごユルリと☕。

 

先日、とある🎹に造形深き御殿方が、ベートーベン🎹ソナタのペータース版についての言及をSNSにされておられた。

それだけならば、いずれ言及することになるよな、位に想っていることなのだが、ご丁寧にも彼のポスト、編纂者であるケーラーとルトハルトの名までお出しになっている。

 

このふたりは日本のピアノ界に錯乱と擾乱を持込んだ、いわば悪い意味でのコロンブスみたいなゴロツキ衆であり、いずれ問題視すべきと機会を伺っていたのだが、在野に既知の方がおられると知り急遽、

『クラ莫迦』シリーズの番外編ネタとして取上げることにした。

本日述べるのは、エラく飛躍した結論なので、俄には信じられぬ方は多いであろう。

しかし、十分な考証を重ねての推論にて其の論拠については、別途に詳細のコンテンツをupする旨、意思表示しておく。

 

ケーラー。

ルトハルト。

では一体彼ら、何者であるか。

まぁ、ペータース社版の🎹譜を多数編纂した、出版業界風に言えば編集者、ということになる。

で、ニホン人がお世話になるのは何かというと、

上下2巻の『ソナチネアルバム』である。

 

ソナチネ、そもそも皆さん誰の作品を弾いたってか学習されられたか作曲家の名前、ご記憶ありや?

大抵はモーツァルトのK545、

ハイドンのハ長調、そして

ベートーベンの第1巻に収録のト長調&ト短調に、第2巻のヘ長調とト長調、即ちウィーン三大巨匠の作品以外は作曲者名、思い出せもしないじゃなかろうか?

 

だが上下2巻合わせると、収録曲の大半はクレメンティとクーラウなる、ふたりの作曲家の手によるものである。

長年、拙はこのソナチネアルバム収録作品は出来、というより収録基準に強い疑問を抱いていた。

 

ソナチネだから、2つ乃至3つの楽章で成り立ってるわけだが、まずクレメンティから。

冒頭楽章は学習者向けのソナタとして、良く考え抜かれた手法で書かれている。というか、熟練した筆致であると言えるだろう。

それに続く緩徐楽章と終楽章が随分とお粗末だ。

多分、ソナタ形式の何たるかを、幼年期の学習者に子供ダマシ的に伝えられれば目的十分としたのであろう。

実際、冒頭楽章だけをやらせる例、現場では多いのではないか。

まぁソナチネ、それで良いだろう。

 

だから良くないのがクーラウ。

上下2巻で相当数、あわせて10曲以上が収録されているのだが、作品の出来不出来が凄まじい。

てか、えぇ~い此の際だ、ハキ~リ言ってやろう。

№4.ヘ長調の出来だけが抜きん出ており、殆どモーツァルトやベートーベンのそれらに匹敵するのに、それ以外は愚にも付かぬ曲ばかりなのである。

 

拙なりの結論を述べよう。

クーラウのソナチネ、本人が作ったのは№4のみであり、それ以外のクーラウ名義のソナチネは、他人の創作であると。

では一体誰が?

 

編纂者が真っ先に疑われて仕方あるまい。

左様。

ケーラーだがルトハルトだか、或いはご両人の合作を、クーラウ名義で発表したのだ。

何でそんな事を?

 

そもそも🎹指導者さん、クレメンティはともかく、クーラウなる人物が如何なる者であったのか調べてみよう、なんて気さえ思いつきもしない方々が殆どであると確信する。

が、意外や、全音のソナチネアルバム1巻の巻頭には、クーラウの略歴がちゃんと~ていうかチャッカリ掲載されておるのだ。

 

それを読むとクーラウ、そもそもピアニストではない。

デンマーク(註)王立管弦楽団の首席フルート奏者なのである。

他方、非常にベートーベンを尊敬していた故に作曲活動も旺盛で、オペラ作品を何曲か残してもいる。

 

何故フルート奏者が🎹教則本たるソナチネを作った(事になっている)のか?

これは当時のピアノ指導法が大きく影響している。

現在とは凡そ異なる指導法で、指導者は🎻のようなメロ楽器を用いて、学習者が🎹を弾く傍らでオブリガード的な補旋律を弾いたのだ。

モーツァルトは🎻でやっていたようだが、フルート奏者だったクーラウは、それをフルートでやっていたのだろう。

 

確かに右手の音域を見てみると、中央のc1を下回ることが少ないし、高音のフレージングには明らかにフルート的な旋律ラインが用いられている。

そして、先述のソナチネアルバム1巻№4.の2楽章とフィナーレは、確かにベートーベンの影響が色濃く観じられる。

 

子供ダマシの🎹メソッドを売りつけることを思い立ったケーラーとルトハルトは、到底歴代大作曲家には及ばぬ足リナい無能のNo力で、ひーふーあくせく駄作極まりないソナチネ(モドキ)をものし、デンマークのベートーベンと謳(ウタ)われていたクーラウに、名貸しを乞いに伺ったのだ、相応のギャランティを呈示して。

 

そのロイヤルティ、決して安価では無かったはずだ。

クーラウが本当の事ゲロったらパツイチでアウトだもんね😀。

そうこう騙し欺しの数十年をヤリ過ごし、やっと向かえた明治維新。

この二人の音楽ゴロツキの後継者であるペータース社は、これから西洋音楽を学ばんと向上心に燃えるニホン人をカモにする方向転換をはかる。

これでヨーロッパでバレるのを回避し、ロイヤリティの回収を図ることもでき、一石二鳥いや三鳥。

既に絶版しかけていた版をリサイクル出来るんだからね、当面は。

 

そう、その当面とは、何と1世紀以上も我が国でリサイクルされ続けたのだ。

実は現場の🎹の先生たち、決して盲信していたワケではない。

1巻はそれなりの学習テキストとして機能しているものの、2巻の冗長さには兼ねての疑問がヒシヒシ。

まさに買えど積ん読で、とても生徒さんには与えられず。

 

そう、ソナチネ。

ハイドンとモーツァルトとベートーベン。

3大偉人の作品だけで十分なのです。

 

(註).デンマークではなく、コペンハーゲンかもしれない。

だがドッチにしろ、大意に影響ナシ。

考証の要無く、調べません。