こんにちは、談話喫茶”ホーボー軒”へようこそ。

店主の Klavi-Seli にて御座候、どうぞごユルリと☕。

 

 

クラシックの揶揄って、何かメッチャ抑制が入る。

特に出版物。

タイトルだけはエラく煽動のぶこ&侮蔑的なのに、釣られて読んでみると、全然大したことないこモンばっか。

結局は高尚なオンガク、ということで余計エスタブリッシュメントが支配している音楽ジャンルであることを、むしろ逆説的に証明してしまっている様なもの。

 

つまる処、

 

『ダブルスタンダード垂れ流しの愛好者の集まり』

 

って言う事である。

他のジャンルは

洋楽全般も

J-Popも

ロックも

ジャズも

レゲェも

ダンスミュージックも

ヒップホップも、

愛好者のダブルスタンダードというのは、垣間見ることさえ出来ぬ程に、支持者支持層は素直に好きなワケだ。

実にシンプル。

何の批判の仕様も無し。

 

これがクラシックは違う。

こう言っても当のクラシック愛好者には、自分たちの一体何がダブルスタンダード呼ばわりされるのか、検討もつかない以前に、こういう事を思い付きもしないだろう。

 

二ヶ月前に一例だけを示したのだが(註1)、それ以外にも何かの折りにつけ、その度に想い浮んでしまうことを幾つか取上げてみる。

 

ダブスタ即ちダブルスタンダードの最たる人気作曲家として、まずは我らのアマデウス、モーツァルトを上げざるを得ないだろう。

日本に於いてのモーツァルトファン規範。

それは、バブル期まで小林秀雄だった。

もうそのズレ方とカビ臭さだけでウンザリしてしまうのだが、驚く勿れ、それが長らく我が国ニポンのモーツァルト観だったんだぜ。

 

それが払拭されたのは1990年代以降。

きっかけはメッチャ明確。

左様、他でも無い出鱈目インチキ詐欺イカサマの映画、

 

「アマデウス」。

 

この莫迦ウソ映画の出来に心酔し、モーツァルト愛を深めてゆくのは各自の自由。

拙が一切相手にしないだけの事であり、ファン同士好き同士で盛り上がっている分には全然OK牧場。

問題は其の次。

 

昨今の古典オペラは、発祥の彼の地に於いては次々に新たな演出や脚本の改竄改訂更新が行われ、今や

 

「どこがフィガロ(の結婚)やねん?」

 

てな上演内容が当り前になっている。

その人気公演を、いざ日本で上演となるや否や、

 

「これはヒドい。オリジナルと全く違う😠」

「モーツァルトへの冒涜も甚だしい」

「勝手に登場人物とか増やさないでよ」

「舞台装置も美術も衣装もグロいわ」

「エロ杉やわ」

「キモいわ」

「悪フザケにも程がある」

とかetc etc ・・・

 

けけっ!

「アマデウス」

を崇め奉っている一方で、何でコッチは非難すんの?

そーゆーのをダブスタって云うのよ。

正しく辞書の凡例の様な反応じゃん、それって。

 

何よ、この情けなきメンタリティは?ニホン人よ!。

確かに

 

「阿吽(アウン)」

 

の呼吸で空気読む民族性とは言え、幾ら何でもヒド過ぎだろ、

「ダブスタ」が。

 

原因は大体分かる。

某大本営放送局の大河ドラマが、その導火線だ。

 

これでもか!

これでもか!

これでもか!

ちゅー史実の無視で成り立っている、

~てか実は成立していないワケだが~

脚本に飼い慣らされてしまった、早い話が莫迦アタマにさせられてしまったが故の「アマデウス」信仰&信者化であり、一方でオカミ情報を鵜呑み丸呑み不味(マズ)給食呑み食い強要で飼い慣らされてしまっ隷属根性との一元化。

それが現代ニホン人の貧困としか言い様のない、

 

「ノータリンイズム&メンタリズム」

 

という事だ。

 

全国のモーツァルトファン、それもケッヘル番号をお持ちの、名実ともに熱烈歓迎的中華的信者様々。

捏造の雨アラシ映画

 

「アマデウス」を信奉し、かたや

 

コンテンポラルの脚色

 

「フィガロの結婚(註2)」

 

には大いなる非難の声をあげるのに躊躇せずのダブルスタンダード、如何に釈明されようか?

 

モーツァルト愛好家のダブスタ、実はこれに留まらず。

次回以降、今度は実演付きで暴露せし候。

あぁ、別に暴露で議員や落語家に昇り詰める気なんか全く無いんだが仕方ナシ也。

 

註1.4/15、第九のティンパニについて述べた記事です。

註2.あくまでフィガロの結婚は一例です。独墺現地のニホン人からは、「そんなの当り前。今さらオリジナル通りなんて、かえって芸が無さ過ぎって批判されるよ」との事。当然だよね。ニホンだってワンピースが歌舞伎化される時代なんだから。