こんにちは、談話喫茶ホーボー軒”News”へようこそ。

店主の Klavi-Seli にて御座候、どうぞごユルリと☕。

 

邦画『トノバン』を観てきた。

で、色々想い張り巡らせた。

映画の所感ではなく、加藤和彦を一つの例として、サブカルなるものについて思い浮かんだことをテキトーに言ってみたい。

 

まず、真っ先にサブカルとは何ぞや、がこの映画を観て想い浮んだ。

それ程までに加藤和彦とは、自分にとって典型的な『サブカル』像的印象である。

それは音楽人の括りとしてだ。

 

なんか何の根拠も素養も有る訳じゃあないのだが、音楽家としてのイメージがとことん薄い。

この映画には一切取上げられなかったが1983年、トヨタのCMに出ていたのだが、自分にとっては其れが一番、加藤和彦なる人物を象徴したアイテムである。

 

このCMには当時の各界で旗手と呼ばれていた人物が登場していた。建築家とか、グラフィックデザイナーとかの。

加藤和彦の起用は当然、音楽家としての其れである。

一言で言って、ミュージシャンよりもずっと美術家的イメージなのだ。これは決して、自分だけではないと想う。

そしてデザイナーは不思議な事に1960年代後半、日米でそれぞれ横尾忠則とアンディ・ウォーホルという、サイケデリックを前面に打ち出したデザイナーの登場で、これが美術界に対する『サブカル』の開祖なのは間違いない。

自分にとって、加藤は完全にそういう分野のヒトなのだ。

彼以外に他にそう感じさせるミュージシャンは簡単に想い浮ばぬ。

 

竹内まりあさんがとある音楽番組のインタービューで、夫である山下達郎さんをして、

 

「私はアイドル、芸能人。彼はサブカル」

 

という、結構ドキっとするコメを発言したけど、山下達郎はオーディエンス側からしたらサブカル色、まぁ確かにあるにはあるけど、でも加藤和彦とは比較にならない。

ずっと遙かに王道のミュージシャン然としたヒトである。

 

ここからは自分と加藤和彦とのクロノジカルな流れで考えてゆく。

全く個人的なことだから、人様に読ませる様なマトモなものでも、まして面白いモノでもナシ。

なぜ加藤をサブカルの典型的アイコンとして自分は観てしまうのかの自己分析ですからね。

でもかまうもんか、自分のblogだ。遠慮なく続けるぞ!

 

フォーククルセーダーズの『帰ってきた酔っ払い』が大ヒットした時、自分は小二だった。

だからと言ってフォーククルセーダーズの名は覚えても、一人一人のメンバーなんか何の興味も湧かなかった。

そのころ徐々にブームになりつつあったGSに魅せられていたからだ。

 

しかし帰ってきた酔っ払い、凄いインパクトでありセンセーションだったから、それで一気に加藤和彦は音楽業界のトップに登りつめてしまう事になる、と映画「トノバン」は語っているのだが、このあたりから自分が何かついていけない世界になる。

 

GS脳の小坊には、世の中でどんなに騒がれようとも、何の影響もなかったのだ。

 

それでも加藤和彦の存在は時折り見聞した。

一足先に中学生になった姉たちが、当時の流行りで🎸の弾き語りを始めたから、その手の雑誌をしょっちゅう買っており、それらに加藤和彦のエッセーがあったりしたのである。

そんなのを目にするたび、

「加藤和彦 ・・・ それ誰だっけ?あっ、帰ってきた酔っ払いの人か」と低学年時の記憶を想い起こしたものである。

 

さて、ここで一気に学年は高坊にまで飛ぶ。

荒井由実の作詞作曲による楽曲を歌う歌手やミュージシャンが少しずつ現われ始めていたが、世間は殆ど見向きもしなかった。

しかし自分は凄い人がいるもんだなと、荒井由実を好むラジオDJの番組に張り付く様になる。

当時、一番にユーミンを推していたいたのはTBSラジオの林美夫だった。

それでも世間は見て見ぬ振りが長く長く続いた。

到底いまでは信じられない人が多いであろうが、ユーミンは王道ではなく、アヴァンギャルド扱いだったのだ。キワモノ扱いだと言っても良い。

 

ユーミンだけではない。

はっぴーえんども、

またニューロック出自の多くのバンドも、TVはまるで取上げなかった。

なにより、サディスティックミカバンドも、である。

つまり世の中、マスコミが一体全体どういう具合と基準で、大衆向けとマニア向けを分類してマーケティングしているのか、受け手には雲を掴むが如く訳ワカメなのだ。

この疑問が後々、自分のマスコミ研究に繋がってゆくのだが、けだしマニア向けをイパ~ン大衆の目から逸らさせるメディア戦略こそ、それが『サブカル』なるものの正体ではないだろうか。

 

それがふと気付けば、各業界の重鎮となっているという逆転劇。

ユーミンは、それが余りにも大きく規格外になった例だが、規模の大小を無視するならば、それは細野晴臣も加藤和彦も同類と言える。

 

だって振り返るとあの時分の誰しもの様に、音楽に憧れ自分にフィットする出会いを求めては、其れなりにトレンドにはアンテナを張り巡らせていたはずなのだ。

未だ自分はブレーク前のユーミンを知る事が出来た。

 

だが「はっぴーえんど」と「サディスティックミカバンド」。

この二つのバンドはキャッチ出来なかった。

だから、自分はリアル世代でキャッチ出来た人に教えを乞いたい。

そのフィーリングを。

そのセンシティビティを。

その情報収集力を。

ネットどころか、

携帯電話どころか、

固定電話がやっと家庭に1台入った時代にあって。

 

もう少し語ります。

次回へ。