こんにちは、談話喫茶”ホーボー軒”へようこそ。

店主の Klavi-Seli にて御座候、どうぞごユルリと☕。

 

Konzert(協奏曲)の聴きどころ&鑑賞のポイントについて。

ゴタゴタ御託を並べるよりも、単刀直入に譜例で。

↓はベートーベン🎹協奏曲№5「皇帝」の冒頭楽章ドあたま。

左様、maybe 協奏曲史上、最多の演奏回数を誇るであろう定番曲。

 

譜例(A)はオケ部を大譜表化して、所謂2台4手🎹にしたものである。

アルトゥール・ルービンシュタインはLP録音がステレオ化されるや否や、真っ先に録音し、しかも尚2度も再録している。

つまり1956年、1963年、1976年の、3種の録音を残した。

 

この有名にも程があるドあたまに関して、1963年の録音は瞠目すべき弾き方をしている。

(A)  ではなく、(B)の如くに弾いているのだ。

違いは明確である。

オケは2小節目の1拍目、4分♪分をタイで繋いでいる。

🎹は2小節目を左の16分♪分散和音音型で開始。

 

ルービンシュタインは、オケの4分音符が終わり、しかも一息置いて、やっと弾き始めるのだ。

ハッキリ云って、ベートーベンの楽譜、というより演奏指示をシカト、

 

「下々の者、控えよ。オレ様の登場やで」

 

ってな、何とも奔放なオレオレ出だしなのである。

まぁ、こんな作法、ルービンシュタイン以外のピアニストには、絶対許されないだろう。

感心するのは、この💿のライナーノーツ。

ちゃんと、

 

「この演奏の冒頭は、ベートーベンの指示に従っていません」

 

と明記している。そして、

 

「他の2つの録音である1956年と1976年は順守しています」

 

と、捕捉も忘れていない。

良心的ですね。

クラシックファンにはルービンシュタインの皇帝、ラストの1976年盤が最も感動版的な名盤とされているのだが、どうだろうか。

~オレは違う~。

味わい深いとは思うも、90歳になろうかという演奏だから、やはり精度とリズムの切れは年齢を感じずにはおれぬ箇所がある。

演奏技量の精緻さは、この63年版が圧倒的に素晴らしい。

だがオレにとっては、それも最重要点ではない。

 

もう一度(A)を見てみよう。

演奏者にとって、そしてオーディエンスにとって、の二重の意味で、何と困難な出だしであることよ、と感嘆せざるを得ない。

 

ピアニストは2小節目の左手の開始音であるEs1を、本当にピタリと当てる事が出来るのか?

これ、どういう事か。

 

① 指揮&オケ団員は、2小節目第1拍4分音符を、🎹の16分♪の4番目の終了と共に、ピッタンコで終えることが出来るのか?

② 出来たとしても、残響で2拍目まで🎹をマスキングしてしまわないんか?

③ ピアニスト・指揮者・そして団員では少なくともコンマスの最低3人は全員、4分では無く16分でタイミングを等しくカウント出来てるのか?

 

👆の①~③なくして作曲者の指示を守ることは叶わぬではないか?

 

そしてオーディエンスも、ちゃんと演奏のスコアに対する順守度合いを確認出来ようか?

てか、スコアがどんな具合なぞ全く関知するところでは勿りきや?

 

どうせ奏する側も鑑賞者側も、その厳格さを把握出来ねば、ならばアバウトでよろしけれや?

 

しかしルービンシュタイン、間違いなく反省したに違いない。

それが3度目の録音で(A)を、出来る限りの再現を目指した痕跡を、確実に聴き取ることが出来るからである。

4/4,581小節のアレグロ楽章、大半が20分ジャスト前後で演奏される。

ルービンシュタインも1956年と1963年は其のタイミング、という事は、イコールそういう早さなわけだが、ラスト盤は22分50秒かけている。

 

「20分に対する2分って1割増しじゃん。大したことないじゃん」

 

と言う勿かれ!

十分の一って、エラい違いなんやで。

何故こんなテンポを選択したか。

自分の様なルービンシュタインファンでも、このノロさには流石に辟易した人は多い。

 

だが、冒頭のスコアを遵守のためには、へんな言い方だが必要なノロさだったのであり、巷間言われる高齢のせいでは無い、断じて。

複数録音で後期の方がテンポが速いという例も、ルービンシュタインには多数存在しているからだ(註)。

以上がラスト録音盤を以て、それを彼の最上テイクとされている背景について、オレなりの考察。

此処からファイン、オレが1963年盤を愛する理由を。

 

ルービンシュタインが自分に取って

『ネ申』

とする理由および経緯は、人生で一番沢山ヒトに語ってきたこと。

当blogでも散々言ってきたし、これからも後何年いきられるか分からんが、タヒぬまで言い続けるだろう。

 

小坊から中二病に差し掛かるころ。

ルービンシュタインの🎹に魅せられたオレは、オケもロックも五月蠅く濁ったサウンドが大キライだった。

弦楽合奏や吹奏楽ならば、スッキリ聞こえるのに、何をトチ狂って両者を混ぜてしまったんだろうか。

お陰で、ブラバンでは縁の下で良い味出してるチューバなぞ、あぁ哀しや何たる下卑た響きに貶めてしまう事よ。

 

当然、ワルツ集とかポロネーズ集とか聴いていたわけだが、家には皇帝もあった。

何故かソロより、惹きつけられた。

気付いたら、もうこればっか。

そして自分でも自覚して驚いたことに、何時しかルービンシュタインの🎹と共に、というより🎹以上にオケのサウンドを必死になって聴くようになっていたのだ。

 

で、分かった。

気付いた。

オケと🎹とのコラボレーションの面白さに、美しさに、楽しさに。

唯我独尊の地位にあるルービンシュタインが、自分の🎹とオケと戯れるアンサンブル感こそを自分の🎹以上に大事にしている事に。

 

「何言ってるんだよ。だったらイントロは何で無視してんの?矛盾してんじゃん」

 

まぁね。

でも、許容しうる確信犯行為と想いたい。

指示の遵守に集中没頭する余りに、この曲の英雄性をスポイルしてしまったら、そっちの方が損失が大きいと想う。

何より指揮者のラインズドルフとボストンの面々の、🎹の一大巨匠に対する敬意の現われであるのは間違いないんだ。

 

既に録音&販売リリースされた1960年代はクラシック、指揮者をスターダムとしてプロモートしてゆくマーケティングが確立しつつあった。

だから協奏曲でさえ指揮者の主導権であるべし、みたいな本末転倒の位置付けに、強引に持っていかれてしまった。

逆に言えば、ピアニストやバイオリニスト達は、オケのお目通しなんぞ指揮者に丸投げして、己れのヴィルトゥージティ誇示に徹すれさえすれば良くなった、てか堕してしまった。

そうまでして、ソリストの地位を指揮者の傘下としたんだ。

 

交響曲>協奏曲

 

という反則な販促をするために。

だからルービンシュタイン。

指揮者を従えさせた、20世紀最後のピアニストであり、

至上の🎹協奏曲ピアニストであった、ということだ。

さぁ、いざ聴かん、🎹とオケとの対話を。

(註).ラフマニノフ🎹協奏曲№2は1956年と1973年の録音がある。

後者の方が演奏時間は若干短く、聴覚的にはかなり早めに聞こえます。