こんにちは、談話喫茶“ホーボー軒”へようこそ。
店主の Klavi-Seli にて御座候、どうぞごユルリと☕。
ロックバンドのキーボードなる者、最初に悩まされるのは、なんと言ってもエレキ🎸のヤカマシさだ。
ホンマにエレキは五月蠅い。
しかも🎸小僧に何を言ってもムダだ。
彼らがメンバーに言われて音量を下げることなぞ、ことアマチュアだったら万が一にも有り得ず、ほとんど絶望的だ。
何故って?
彼らがプロになることは、之れ又万が一にもナシ。
というか、音量が静かとまでは言わんでも、適切でさえあれば、そういうギタリストはちゃんとプロになっているからだ。
しかしキーボードたちも、その内なぜ🎸小僧たちがヤカマシいのか、段々分かってくる。
バンド演奏は、録音してみると🎸はかなり埋もれる。
そしてステージでは殆ど100%🎸にかき消されていた鍵盤、エレピもシンセも殊の外、しっかり再生して聞こえるのだ。
どうも、そういうものらしい、音響上は。
で、キーボード諸氏の多くはクラシックの素養に電気音響の体験が加わり、一段ステージをupさせる。
自分を育ててくれた恩師。
彼(女)等はバンドを知らない。
大音量の洗礼を浴びたことはナシ。
極々、ほんの上位の者だけが、バンド体験者と同じ音響空間を共有する。
が、本当に、本当に少数だ。
バンドと共通する音響体験とは何か?
ずばり言おう。「Konzert(協奏曲)」だ。
オケにスッポリ、出音をかき消されてしまう苦痛にも似た屈辱感。
それは🎹学習者の超エリートだけに託された世界。
それを、ろくすっぽジャンケンで負けて泣く泣く🎸からキーボードに転向を余儀なくされ、誰からも指導を仰ぐことなく、ライブハウスに放り出され、しかし鍛えられた叩き上げが、鍵盤界のエリートと音響空間体験を共有するとは何と皮肉なことか。
だが我がブソゲーこと武相芸術大の音楽部、多々良真のお陰で🎹科学生は全員、在学中のバンド活動がインターン単位として加算される。
実質的に必修科目も同然なのである。
今日は、多々良からのクリニック講義日。
バンド活動の経験値から、次なるステップの示唆が言い渡されるのだ。
こんにちは、バンド活動ご苦労様。
全員のキーボードプレイ、確認したよ。
うん、いい線行ってるね。
いい線っていうのは、バンドの音量バランスの取り方の事ね。
これ、出来ていれば、もうどんなアンサンブルも取り敢えず音量の問題はOKだ。
肝心なのは、自分の🎹の音が完全にマスキングされてしまった状態にあって尚、出音つまり客席側のオーディエンスの聴き取っている音量バランスをイメージ出来るか否かって点。
これを体験&修得すべしと、ずっと言い続けてきた。
では次なるステップは何かって、言うまでもないよね。
コンチェルトだ。
フルオケとの対峙とバンドキーボードって、こと音響空間の観点からは殆ど同値。
今後コンペに挑んで最終選考に残れてコンチェルト審査になったら、自信を以て望めば良い。
そう、フルオケに勝てるワケないって体験は、圧倒的に有利なハズだから。
そして暫くの期間、協奏曲を聴こう。
更に協奏曲の聴き方も、イパ~ン人クラシック愛好者に伝授してゆくんだ。
少しビク~リってか本音言っちゃうと、ピアノ学習者とか🎹ピアノ愛好家て、ピアノ協奏曲の聴き方がなっちゃいない。
てか知らないから、まぁ気の毒でもあるんだけどね。
ソリストの🎹にしか興味が無くて、オケを全く聴いていない、若しくは聞こえてないの。
まぁ色々仕方ないよね。
協奏曲の実演なんて、そうちょくちょく聴ける機会を持てるものでもないし、誰も教えてくんないてか、否、それどころかコアなクラシック愛好者こそ、協奏曲って演奏形態に殆ど興味も無ければ、いや無関心なら未だマシ、低レベルのジャンルだとマジで思っているんだよな。
これ本当の話なんだけど ・・・
とあるSNSにオーディオ愛好家のグループ掲示板があるんだけど、
「指揮者の〇〇は協奏曲の指揮が多いので、評価の対象にならない」
と、ハッキリコメント上げてる人がいて、それに対して誰も異議を唱えないんだよ。
確かに、まぁ感心しないレベルの作品、協奏曲にはあるよ。
でも歴史に名を残している作曲家でコンチェルトを残していないのは、シューベルトとドビュッシーくらいのもの。
そのドビュッシーも、🎹&管弦楽のための作品はある。
シューベルトは、まぁ仕方ない。
余りにもタイプじゃないからね。
でもリストが『さすらい人』をコンチェルト化していて、それなりの編曲に仕上がってるよ。
では、協奏曲の聴き方、聴きどころ、捉え方とは具体的にどういう塩梅なのか。
また、歴代の奏者は、どんなアプローチを試みてきたのか。
後半に繋げます。
じゃ、休憩!