こんにちは、談話喫茶“ホーボー軒”へようこそ。
店主のKlavi-Seli こと、🎹弾きにて御座候。
どうぞ、ごユルリと☕。
ピアノの限界。
それを些細なことで感じたり見出したりすることがある。
リストとかに代表される、眼も眩むばかりの絢爛豪華な演奏効果を誇る反面、こんな事もし得えぬのかという、アンビバレンツな一面。
↓の譜例は、本来バレエ教室の練習目的で書いたもの。
ここで言う練習とは勿論🎹のエチュードのことではなく、バレエ
即ち踊りのためのモノ。
バレエ教室に納品後、生徒さんたちには親しみ易いメロだったようで、稽古場に立ち寄ると、彼らが👄ずさみながら踊っている風景を何度か見かけたものである。
そういう経緯もあって、歌詞を付けて歌モノにしたり(註)、🎹作品に転したりもしている。
🎹編曲は、歌モノでのデュエットで歌われる2声を右手で取るわけだが、下声部は譜例の様に、タイで結ばれたロングトーンが、
G/D→E7/D
の移行してゆく和声の流れで、中々に絶妙なバランサーとして機能し、重唱および編成全体の美しい隠し味になっている、が ・・・
これが🎹だと、どう響くか?
残念ながら、追いかける上声部にかき消されてしまい、歌唱ほどの華々しい演出効果を出せないのである。
原因は明確だ。
①🎹とは減衰系楽器の最たるものだから。
②故に、常に最も新しく弾かれたノーテーション即ち此のケースでは上声が強調される故。
しかし、🎹に限らないのかもしれない。
バッハのシンフォニア、所謂3声のインベンションには全15曲、こういう箇所が無数に出現する。
しかも楽譜の扉に、
「全ての声部を歌うように」
と、自ら明記している。
チェンバロでも、きっと困難である事を誰あろうバッハ自身がイッチャン自覚していた、という事だ。
いや、因果関係は恐らく逆だろう。
シンフォニアやフーガの各声部を歌わせ、弾き分けるのに四苦八苦していた体験が、自分にこういう手法を書かせる下地になっていた、というのが本当のところだと感じる。
相変わらずバッハ、弾けない。
でもいい、そんな人前で弾けなくても。
学び続けること自体が大事なんだ、間違いなく。
(註).「木漏れ日の外から」という楽曲。
アコースティック male DUo、シリハビこと"Silly Habit"の持ち曲になってます。
近日のライブでは当曲、ご披露いたします予定です、よろしく。