さぁて、じゃ次。

音名について、もう少し検証してゆこうか。

音階および其れに付けられた各ノーテーション~いわゆる音名ね。

言うまでもなくヨーロッパに於ける音楽の先進国として、イタリア発祥の『ドレミファソラシド』がスタンダードとされた訳だけど、でも🎌だと、ちゃんとイタリア語のスペルで学んでないね。

下手したら音大生のキミ達だって全部、全員知ってるかな?

 

なんでそんな疑いかけるかっていうに、ドレミの歌がそうだから。

イタリア語ではこうです。

『Do.Re.Mi.Fa.Sol.Ra.Si』

 

ね。Reなの。Leじゃあ無い。

だからLemonのレって実は間違い。

閑話休題(ソレハサテオキ) ・・・

 

ここで我々は2点、注目せなアカン。

一つはイタリア(以後適宜『伊』と略称)式の呼び名の由来は、キリスト教経典のひとつ『ヨハネ賛歌』(註)の、各行のカシラ文字を取った、という事。

もう一つは、使用されているアルファベットの種類。

👆を見直してみよう。

母音は『a.i.e.o』

子音は『D.R.M.F.S.l.R.S』

マァ、ここまでなら音大生たるキミ達、全員素養になってる存じるけど、じゃあ♯と♭は?

あ、副科で声楽とかの人は、イタリア歌曲やるから知ってるね?

そう、♯=diesis

       ♭=bemolle だね。

👆に更に『b』が加わった事になる。

するとアルファベット、全部で幾つ使う事になるんだろう。

母音4+子音9=13

おっ、アルファベットってA to Z 全部で26個だから、丁度半分は使用することになる。

 

ところがバロック期、伊に追いつき追い越せのドイツ~あ、餅ここではオーストリアも含めるよ、独圏としてね~、音名を詩篇のカシラ文字にはせず、すご~くイパ~ン的なアルファベット順を当て嵌めるという、偉く芸の無い割り振り方を採用しちゃった。

 

で、使用するアルファベットは、

 

『C.D.E.F.G.A.H.B』・・・①

これに♯と♭が加わると、

♯=is.→『i』&『s』・・・②

♭=es.→『e』   ・・・③

更に置換用法として、

D→T       ・・・④

C→K を使える。 ・・・⑤

よって使用されるアルファベットの合計数は、

①     +②+③+④+⑤=8+2+1+1+1=13.

 

おっ、奇しくも伊式と同数だ。

 

子音数と母音数を比べてみると→子音:母音

伊⇒9:4

独⇒9:4

と、なんと内訳まで一緒。

なんだ。

だったら伊式で良いじゃん、なんでワザワザと思う?

でもな。

伊式には『C』が無い。

さらには『H』も無い。

 

独式は両方ある。

 

そう、もう分かったよな。

独式ならば、

『シラドシ』⇒『BACH』

バッハ親父のスペルが書けてまう。

そりゃ独、アルファベットにこだわるのは当然だよな。

 

ハイ、それから200年近くのちの我が邦、ニホ~ン。

船に乗って海を渡り、馬車と機関車を乗継いで着任した、西洋音楽学習の地を、何の因果か独を選んでもうた。

独式がアルファベットなら、それを和式に置き換えるなら当然、それは『あいうえお』にするはずだ、いや、しただろう、当初は。

すると『ドレミファソラシド』は、

『うえおかきあいう』だった、という事になる。

 

が、そうしなかった。

空海の詠んだ和歌、

『色は匂へど』

にしてしまう。

つまり詩篇に近い文学形式としての和歌を引っ張ってきた、という点で、それは伊式に倣ってもうたんや。

何や其れ?

全く整合性が無いし、理由付けも薄弱だ。

何故『うえおかきあいう』じゃなく、

『はにほへといろは』なんだよ。

 

これ、五十音の『うえおかきあいう』が、

ダサい治って感じたからだろ。

それ以外に理由考えられっか?

 

で、言わせてもらう。

例え🎌が世界に誇ってる指揮者が没したって、その悪行には堂々と触れた方だっておられたんだからな、其れに励まされたから言うぞ。

 

どっちもダサいよ、メチャンコ!

なぜ何故、こんなにも情け無いほどにダサいのか。

それは五感&語幹だけの問題じゃないってか、問題有りだからこその語感の悪さ、という事。

 

独式の音楽文法を学んでおきながら、音名の方は格式高い伊式にあやかりたしっていう島国奴隷根性が見苦しいからだ。

なぜ自国の文化を優先せんのか。

🎌に該当概念が無いんだから其のマンマ東、独式を採用すれば良かっただけじゃんか。

独は独式を採用してこそ、単語を旋律に置換する言語旋律の手法が生まれた。

独式に慣れておれば、学習者は素早く楽譜から見出し見つけることが可能となる。

 

みんな子供の情景オープニングの『見知らぬ国』の中声部が、

Bachスペルになってるのを見落とす。

だけではない。

Z音出版社の門馬正美の訳『異国から』はその後半の「とおじさん」が訳されていない。

おじさんが誰か知らないのだ。

餅、断定は出来ない。

が、Bachだろ、その人。

だから『見知らぬ国』とは、独以外の伊太利亜とか仏蘭西とか英国とか西班牙とかじゃなくて、シューマンの生きている時代から約1世紀前、バロック期の独ってことだ。

 

月光ソナタは第1楽章と第3楽章で、都合4回も

『hcaB』

という倒置で現れることに気付かない、いんや。

 

さらに時代は1世紀を経て、演歌とブルースとの決定的な分岐点となったんだ。

かたや世界中老若男女問わず愛され歌い継がれ、

かたや🎌プラスせいぜい亜細亜の一部の局地的人気。

この分岐点に繋がる選択だった。

だからもう、止めよう。止めたい、ハニホヘ音名を。

 

あぁ、スッとしない、せんかった。

アト味悪い授業だったね。

じゃまた。

 

(註).自分はクリスチャンでは無いので、それがどういう内容かは存じ上げません。

どなたかお詳しい方、何なりと捕捉or補遺を。