お陰様で、オレはもう何年も様々な方面からの編曲依頼を受け、こなし続けている。
他のアレンジャーがどうやっているか、オレは知らない。
でも作曲とは違って、それを知りたいとは思わない。
この日の講演会を以て、オレは自分なりの編曲方法を確立することが出来たね。
まず、オレは作曲家から曲を預かったら、その曲が何を伝えたいのか、というか曲自身も作曲家自身も無意識の、いわば潜在意識状態の、曲が内在しているポテンシャルは一体何なのかを探る。
上手く言えないってか、自分ではそういう云い方以外思いつかないんだけど、曲の『核(コア)』って呼んでいるだが、意味的にはポールランド氏の講演会で思わず叫んでしまった、『Image』が近いと感じている。
でも、そう云ってしまうと、あの伝説ミュージシャンの曲名の、正に「Imagine」に吸い寄せられそうになるんで、敢えて言わない様にしてます。
他にも『ネタ』が当たらずとも遠からずかな。
でも此れはマジックの世界だよね。
で、『核(コア)』が発見出来たら編曲作業、もう80%は終わったも同然。
じゃあ、どうしたら『核(コア)』をリスナー(なりオーディエンス)に届けるかという、具体的な方法論に着手出来る。
そう、皆んなが回答したオケ付け即ち『オーケストレーション』過程ね。
ウ~ンそこがオレは不満だったなぁ。
オレ、この講義の中で、楽曲構成論をすごく重視してやってきただろ?
楽器の編成ばっかりで、構成に眼が行き届かなかったのは残念。
これを機に忘れないで欲しい。
学生A:「それってどんな事ですか?」
2時間ドラマのサスペンス系で、殺人事件が起こると、容疑者の洗い出しに刑事さんたち、どーする?
学生B:「犯行動機があるかどうかを聞き込みします」
だろ?それに近いかな、刑事になったこと無いからホンマは知らんけど。
よっしゃ、この★には犯行の動機がある、じゃあってな具合で、犯人を逮捕する戦略練るわけだよな。
こういうフィーリングだね。
そう、まずはイントロ。
はじめにイントロ。
何はともあれイントロ。
イントロが決まれば構成も殆ど確定するよ。
間奏。
リフ。
聞いてはもらえぬ🎸ソロ。
で、やっとエンディング。
学生C:「核(コア)が見つからなかったら、どうするんですか?」
プロの編曲者たるもの、そんな泣き言は言わない。
プロミュージシャンは、「そこのフレーズ、ムズいから弾けません」て言うか?
まぁ、例外的に見つからないことはある。松任谷正隆サンは、
「アレンジャーがどう頑張っても、良い完成品にならなかったら、それは元々『曲』が悪いんだよ」て述べてますね。
学生D:「作曲者がこんなアレンジ、イヤだ、って気に入ってもらえなかったら、どうするんですか?」
うふっ、それ対処法はあるんだけど、今日の授業では企業ヒミツです。
今のところは作曲家も編曲家もプロである以上、レアなケースと心得て下さい。
学生E:「プロだからこそ、対立も起きるのではないでしょうか?」
そういう思考は、オレの授業をちゃんと聞いてこなかった証拠だそ!
誰かEちゃんに教えてやってね。
もう一度ポールランド氏のデザイナー論を振り返って見よう。
デザイナーとアレンジャーがアナロジカルならば、編曲家は音楽のスキルが無くても可能、という事になるね。
つい最近まで、それは到底あり得ないことだった。
それどころか作曲家以上に五線紙を埋めてゆく職人たる方々だったろう。
それが一転、今ではアレンジャー、五線紙どころか、ナマリの箱の操作だけで音源制作している人が大半だろう。音楽制作のツールがコンピュータ化された現代は、音楽スキルが無くとも十分にアレンジャーを務められる。
あくまで資質は『核(コア)』を突き止める能力、という事だ。
ある意味、無からメロを紡ぎだす作曲家とは、正反対ぐらいのスキルだと思う。
でもそのクリエイティビティにヒエラルキーは無いと思うんだ。
オレがイッチャン言いたいのは其れ。
どっちもクリエイターに違いなし。
もう一点、作曲家とアレンジャーの大きく異なる事があるんだけど、それは永遠の宿題として今日の講義を終わります。
お疲れ様!