音楽雑記帳〔1998年9月25日〕
〔ソングライティング論〕講義Memo
【宿題】ポピュラー音楽に於ける"編曲"について思う所を述べよ。
出題意図として"作曲"との相違を如何に説明し得るかを重視する。
提出は講義前日まで、多々良の mail アドレスへ送信の事。
やぁこんにちは、多々良です。
皆さんの宿題、全て眼を通しました。
正直な事云って良い?
もうキミ達、散々オレの講義を受けてきたんだから、在り来たりの回答を求めているワケじゃない事くらい、認識しているよね。
「作曲家の作ったメロディにオケを付けて、音源作品として仕上げる作業」
ってさ、そんな当たり前田のクラッカーな返事するくらいなら、ワザワザ出題しません。
『作曲』との相違を加味すべし、と断っているしね。
こんな短い設問だけど、色んな考察ポイントがあります。
♢そもそも何故オレ、多々良真は此の設問を課したか?。
♢作曲とは相違、というより何が決定的に違うのか?
♢イントロのメロやリフを作ったのなら、それは作曲じゃないの?
♢求められる資質は作曲~コンポーズ~と、どう異なるのか?
♢クラシックの作曲家には、作曲と編曲の境界があるのか?
♢他の芸術分野、例えば美術とか文学とかで、アナロジーは見出せるか?
どうよ!
こんなに論述のアクセスポイントがあるんだ。
まず、この在り来たりイパ~ン論が、殆ど何も意味を為していない、
という反証を、二つの面からやってゆくよ。
①-a)メロにオケを付けただけで、それで『編曲』とか『Arrange(ing)』
って呼んで良いの?
それってオケ付けるんだから『オーケストレーション』じゃん、
文字通りの。
①-b)じゃあ”Orchestration”と”Arrange”は何がちゃうねん?
②作曲者から曲を預かったらオケを付けた分、演奏の編成は拡大化
するっていうのが暗黙の前提になってまうね。
「ハイそうです。だから何なのですか?楽器を増やさなかったら、アレンジャーさんなんか、存在自体が不要でしょ?」
ほほぅ ・・・ 中々云うね。良いぞ!そういう反骨的な姿勢が必要なんだよ、音楽をやっていく、というのは。
じゃあまず、②から片付けよう。
これ、カンタンに上げられるんだよ、反証を。
少し古いけど(註)、J-Popのミュージシャンが12組くらい集まって、Maybe結成だか解散だかのビートルズ○○年メモリアル・トリビュートアルバムが制作されたの。
大半は皆んなが回答したように、ビートルズのコピー的なレスペクトより、コーラスワークやビートルズ時代には発展途上だった電子楽器なんかのダビング増やして、編成の拡大化を図ったリアレンジが大半なんだ。
これならキミ達イパ~ン人(て餅、音大生であることへの皮肉ね😀)の言う様に、メロにオケ付けた作業だ、アレンジは。
でもね、忌野清志郎サンはDon’t Let Me Downを歌ってるんだけど、オケは中木戸麗一サンのアコギ🎸一本だけなんだ。
原曲は餅、
ポールがベース弾いて
ジョージが🎸弾いて
リンゴがドラム叩いて、
メンバーでコーラス取ってっていう、
バンドサウンドなんだ。
これってどうよ?
♢バンドサウンド→🎸1本。
これだって、編曲作業だよね。
拡大じゃなくて、その正反対の縮小化も。
たった此の一例だけで皆んなの回答、いとも易々とクズされてしまうんだ。
では、いよいよ①を。①-1)と①-2)、ね。
結構アタマ使って疲れるもんだろ?
少し休憩しようか。
続きます。
(註).リリースは1989年くらい。
この講義を初めてやったのは、本当は1991年くらいなので、少しどころかカナ~リ古いんだが、近年のこういう、オリジナルよりも縮小化したカバー例を直ぐに思い付きませんでした、スマソ。
オフィシャル髭ダンディズムのプリテンダーが、アメリカのアカペラバンドでカバーされているのは知っているが、これを上げると、今度は編成ではなく演奏形態論を加味せねばならないので、余計ややこしくなるので、現役時代の経験のママとした次第です。