こんにちは、武相大学芸術学部教授・多々良真です。
最近になって、又々インチキな奴らがのさばりだしてます。
音楽の世界なんか、大してカネ稼げないのに、ワザワザ人心を惑わして情弱ビジネスにせんとするヤカラ、後を絶ちません。
これは数ヶ月前にも簡単に戒めた記事なんですが、再掲し、もう少々掘り下げ、彼らのインチキ性を暴露します。
俎上のテーマは「純正律」です。
これはコトバの言霊が成せる技で、
「純正律」
と聞けば誰だって殆ど条件反射的に、
「平均律」
という対立概念を想い浮かべる。
はい、もう間違いです。
両者は数ある調律法の、それぞれ一つずつに過ぎません。
その調律法が、相対立もしくは反目の関係かの様に思いがちですが、左様、思い込みです。
両者は全然対立概念なんかじゃないのです。
「純正律」の真の対立概念。
それは
「純正調」
である、という事。
ね、もう此処からファイン、間違っているんです。
当初は彼ら、確信犯で以てインチキビジネスを繰り出しているのか、と思っていたのだが、本当に単なる無知無能無責任な奴らに過ぎなか
った。
彼らの主張は以下の通り。
~皆さん。現在の調律方法は平均律と言って、非常に汚い響きです。それだけではなく、平均律は440㌹を規準としており、この440㌹は悪魔の音高なので、人々の心を乱す作用を持っています。
だから純粋に美しい調律法を、皆さんにご提供しましょう。
それが「純正律」というものです ・・・・・・ ~
👆
このマクラコトバを置いて、彼らの云う440㌹ではない規準音で調律されたピアノサウンドや、楽曲を聴かせ瞑想さす。
もう一字一句全てが間違い狂いまくっているんで、どこから突っこんで良いものやら。
仕方無いので、特に体系化せず、気付いたままにインチキを指摘して
まいりましょう。
彼らの最初の間違いってかツマズキ。
それは
「純正律=古典調律」
であるとしている事。
これ、現実の因果は逆。
主張者本人は、そもそも「古典調律」なるものを知らない。
で、どうするか。
調律師に
「純正律で調律してくれ」
と依頼する。
すると調律師は、何らかの古典調律を術して納品する。
依頼者は当然、それを
「純正律」
であるとして、情弱者たちに鑑賞会を振る舞う。
あぁ、するとあな情けなや、けっこうな人数の方々が、
「なんてステキなサウンドでしょう」
「美しい音に涙が止まりません」
「心の底から癒やされます」
だの何なの、賛辞と礼賛のオンパレード。
ハッキリ申しましょう。
騙されている貴方々は、犬以下の愚かさだ。
ありもしない音を聞き、
ありもしない想いをでっちあげる。
純正律とは、調律方法の事です。
純正調とは、演奏方法の事です。
全く差している意味が異なるのです。
純正調で演奏する、とはどういう作法か。
和音が自然倍列の整数比になるように音程を取ることです。
だから管楽器奏者や絃楽器奏者は、アンサンブルでそれを目指し、それに近づいた演奏は可能です。
純正律とは、鍵盤楽器がそういう純正調で演奏出来るように調律する行為の事です。
で、結論。
それは不可能なのです。
シンセサイザーで、固有の調の純正律音程を作り出すことは、確かに出来る。
てか、工場出荷時に、純正律のプリセットを備えている機種もある。
純正律について、真面目に論述している書物には、
「確かに主調の3和音は非常に美しく、透明である。しかし属調であさえ早くも耐えがたい不協和音になってしまう」
と必ず書かれています。
じゃあ百聞は一見に如かず。
そういうシンセサイザーを弾いてみれば良い。
書物にそう書いてあっても、自分はガマン出来るかもしれないじゃん、って可能性はあるし。
ハイハイ。
だから弾いてみましたよ、ハ長調音階の純正律をシンセサイザーのプリセットで。
どうだったか?
もう、快不快という問題ではなかった。
属調としての機能性を喪失した状態。
つまり、不協和音以前の和音感にもならなかった。
もし、属調も純正調を求むるならば、属調のソシレファを弾いた瞬間に、そのソシレファ自体がトニック=主調の音程に変貌しなければならぬ。
そんな高度な演算など、現在のコンピュータでは追いつかぬ。
だから何時かは量子コンピュータとかとが実用化されたら、純正調ピアノやオルガンは電子仕掛けならば作れるようになる可能性はある。
これが純正律とか純正調とかの現状です。
それを鍵盤上に割り当てることは不可能なのです。
だから彼らが情弱者達に聞かせているのは、古典調律なのです。
まぁ、それは確かに平均律よりも美しい、と感じる感性の方もおられましょう。
ですが断言します。
大半の人には、瞬時に違いなど分かりません。
しかも分かる人が分からぬ人よりも高感度か、という保証もなし。
もう一点。
だからここからは純正律というコトバは用いません。
じゃあ純正調が良い、
純正調が良い、
純正調が癒やされる、
って皆さん。
それは一つってか、1種類の調性しか選べません。
つまり転調の否定です。
本当によろしいのですか?
極論するならば、バッハ以降、今日に至るまでの、あらゆる作曲家の腕比べとは転調技術である、と云っても良い位ですよ。
作曲家は、転調に命を賭けているんです。
だから転調よりも美しいソノリティに酔いしれる方が良い、というのならば、どうぞお好きに。
そう、某シンガーソングライターの如く、つぶやきたくもなる、ってなもんです。
彼らとは議論は致しません。
向こうが無知である以上、それは全く無意味なので。
さぁ、調性音楽これ即ち転調の妙味の一杯詰まった、古今の作品を実用の調律で持って味わい、いくつしまれん事を!
ではまた。