こんにちは、談話喫茶"ホーボー軒”へようこそ。

店主の Klavi-Seli です、どうぞごユルリと☕。

 

 しばらく前回の宿題である

「ピアノお稽古ヤメ時問題&対処」

について、何度かに分けて述べて行く。

 

綾小路きみまろさんの中高年漫談のポイント。

それは言われている当のご本人が、よもや自分の事とは思わず、人ゴトとして笑っているところにある。

これ、中々に難しい芸当だ。流石だと思う。

 

だが、じゃあ中高年世代より若い世代は彼らを笑えるだろうか?

トンデモ、だ。

世間で

モンスターペアレントだの

モンスター教師だの

モンスター上司(註)だのと、毒ブツ扱いされて忌みキラワレ者になっている方々が、なにゆえ毒物認定されるかという云うに、まさしく自身が「モンスター」だとは、全く思っていないから。てか、思いつく事さえ不可だろう。

 

何故か。

「モンスター」とか「毒」とかは、言われる側ではなく、そう判断する側のレッテルだからである。

だから人は立場が異なれば、誰しもがモンスターになり得る。

🎹指導者にとって、

「お受験」

理由に子供の🎹を止めさせるならば、それ以外が幾ら親としてちゃんとしていようが、

「毒親」であり

「モンスターペアレント」

という事になる。

てか、そう思わざるを得ない。生活かかってるからね。

 

幸い、お受験リタイアは大都市圏だけの問題だ。だから、お稽古事としての🎹学習者の学習寿命、むしろ地方の方が長いかもしれん。

 

そして様々な要因から、お受験なるルートを引かざるを得ぬ事情も、多摩地区とはいえ在京40余年の我が身には、分からぬでもがな、だ。

 

中学『お受験』しなかったとしても、どうせ3年後には高校受験が待っている。その3年後は大学受験だ。

それだけではない。

中学校からは、運動部を始めとする部活動も侮れぬ勢力だ。

だから🎹に限らなくとも凡そ習い事なるもの、教育システムの上で踊らされている産業ということである。

つまり、🎹学習者の保護者と指導者・お教室側とは、敵対関係にあるわけではない。

本当の敵は我が国の「教育システム」という事だ。

 

 仮に小学低学年で始めたら、そういう段階は見越して置くべきだ。

が、幸いなりや。

背景なり論拠について、ここでは大幅に端折るが、現代の不景気なニホン、実は習い事産業従事者すなわち指導者さんたちは、むしろ逆転のチャンスではなかろうか、とも思えるのだ

 受験産業が、躍起の子供争奪作戦を繰り広げているが、ナニ子供なんか勉強、好きくないに決まっている。好きな事を優先するハズだ。結局のところ、『お受験』の口実を隠し持っている位ならば、

「オヤコ」でホンネを受入れ合おうではないか。

そうしたら止めたい原因なんぞ

 

①🎹を好きではなかった、

②🎹に向いて居なかった、そして何より、

③🎹の指導者と(相性が)合わなかった、

あるいは其れらの組合わせであるに決まっている。

 

👆の内、①と③は緩い相関関係にあることが非常に多い。

これの理由は中々に厄介だ、特に③は。

子供たちはダンマリしがちだからね。

これを回避するのは、健全なる親子関係&家庭環境だという他に言いようがない。それが

「練習中30分ぐらいは立ち会うべし」

を、グランドルールの一つとした所以だ。

お稽古事とは、そういうものです。

保護者としての責任が伴うものであることを「親」たる者、えぇ加減に学習せなあかんのです。

 

だから真剣に取組むべきは「②」ということになる。

確かに誰にも教えてもらえないことではある。

当の🎹指導者こそ無自覚だろう~それが悪いわけではナシ~。

悪いのは、体育(スポーツ)=音(器楽演奏)

だと、何の根拠もなく思って疑わぬ、ニホン人の莫迦アタマに蟻。

どや、そう思っているでしょ?(コチトラ只今、ちょ~ドヤ顔😀)。

それが大きな、

余りに大きな間違いです。

音楽がスポーツと一緒くたにされるのは、それだけ脳内筋肉の体育○カが、ニホンの文化の上でふんぞり返っているアカシです。

次回、それについて考察しましょう。

 

(註).モンスター上司は2010年ころの🗽映画。

たわいなさが、それなりの面白いです。