891「で、まだ考えたいことがあるんでしょ。」

LNG「そうなんだ。こっちも見てみて。」

 

【レポート】

 
 
891「なるほど。原子論と自由意志、ね」
LNG「そうそう。授業でもやったじゃん、原子って。あれと、意思が関係あるの?」
891「このころの、大昔の原子論で出てくる『原子』と、授業で習う、今でいう「原子」とは少しニュアンスが違うからね。」
LNG「というと?」
891「この辺の『原子』は、ホントに確認した人もいないし、するすべもなかったので、想像上のものだ。たとえばよく言うアリストテレスの『四元素説』なんかもそうでしょ。」
LNG「火・水・土・空気 みたいなあれね。確かにそうだよね。そんな紀元前にホントに原子があることはわかんないわけか。」
 

 

 

891「で、『原子』のような小さな粒ですべてのものができているなら、それらはニュートンの言う『慣性の法則』だとか運動の法則通りにただ動くだけだろうと考えた。」

LNG「物理でやるような話でしょ。ボールに力を加えたらあっちへ動く、とか…」

891「そうそう。この場合『原子』がたくさんあるわけだから、ビリヤードみたいなイメージでいいね。」

LNG「ビリヤード。最初の一発が決まれば、あとのボールの動きは予測できる、ってことか。これが決定論ってこと?」

891「そうだね。最初のボールの動きで、次のボール、次のボールと動きが『決定』していく。」

 

 

 

 
LNG「運命論も一緒じゃない?」
891「ちょっと違う。決定論は例えば計算のような方法で明確に次の、次の次の、ずーっと先も理屈上は決定できる、予測できるという話だ。それができる存在として思考実験で出てくるのが『ラプラスの魔』だね。」
LNG「未来が予測できればいいのに…とか思うけど、実際わかったら退屈かもね。」

 

 

 

891「で、運命論の方は、宿命論ともいうそうだが、最初からそう決まっている。ビリヤードというよりは、電車のレールみたいなものだ。予測するとかそういう問題ではなく、そのように決まっている。場合によっては、ビリヤードの玉が二つに割れて飛んでいくような、計算では無理なようなことも、あらかじめ仕掛けがされていて、そのように決まっているのだ。って具合で、どちらかといえば宗教的な話題になる雰囲気がある。」

 

LNG「なるほど。なんとなくわかった。私たちは決定論の方を考えればいいわけね。」

891「まあそうだね。で、話を戻せば、我々の体も原子でできていて、それがビリヤードの玉のように一定の法則に従って動いているだけだから、自分の『自由意志』なんてものはない。という話になってくるわけだ。」

LNG「それはおかしいよね!?こうやって私は考えて生きてるんだし!!」

891「それも、原子のふるまいの結果だ、という風に考えてるわけだ。」

LNG「それはむなしい…」

891「以前紹介した本にもあったが、ビリヤードの玉を打って、当たって動いた球たちがどう見ても『意思』を持っているように動いたとしても…」
LNG「私たちは、『意思を持っているのではなくただ物理法則に従って動いているだけだ』と考える。それって私たちの意思も一緒じゃないの?ということか。うーん!!??」
891「なかなか厄介な話だね。これにかたを付けるために、
 
カオス理論   量子力学
 
あたりも併せて考えないといけないね。」
LNG「ううう、宿題が増えてきたな。」
891「また続きは考えよう。」
 
 
 
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