如 月
寒さ のために更に着物を重ねて着るので「衣更着」という説があります。
季節 : 初春(しょしゅん)
※立春から啓蟄の前日まで。
2月には「立春(りっしゅん)」と「雨水(うすい)」があります。
●;立春(4日ごろ) 2024年は2月4日(日)
冬と春の分かれ目である「節分」の翌日であり、
「立春」は、寒さがあけて春に入る日。
立春以降初めて吹く南よりの強風を、
「春一番」と呼びます。
●;雨水(19日ごろ) 2024年は2月19日₍月₎
雪が雨に変わり、雪解けが始まるという日。
まだまだ寒い日が多くても、暦上では春の気配を感じ始める時期。
と はいえ東日本ではまだ雪が深く、 関東・東海地方にあたっては、
この時期から雪が降り始めるそうです。
1年365日を24分割して季節を割り当てている考え方ですので、
きっちり割り切れずにズレが生じ、
二十四節気それぞれが何月何日か、
というのは年によって前後することもあります。
2月 の 行事
■ 目 次 2月のイベント、
行事 2月の記念日 2月の代表的なイベントや行事とは、
2月のイベントや行事:
節分(2月3日) 2月のイベントや行事:
さっぽろ雪まつり(2月上旬) 2月のイベントや行事:
針供養(2月8日) 2月のイベントや行事:
バレンタインデー(2月14日) 2月のイベントや行事:
初午(2月最初の午の日) 2月のイベントや行事:
立春 節分や初午といった、伝統的な早春の行事が行われ、
ひな祭りや観梅のイベントなども、各地で開催される月です。
2月は、東北や北海道等の、北日本では寒冷地ならではの 雪や氷をテーマにした、
華やかなイベントも数多く開催される月。
立春の前日に行われる節分は、 2月を代表する伝統的な行事です。
節分は元々、立春だけでなく 立夏、立秋、立冬の前日もさす言葉で、
月3日も併せて年に4日あるのだそうです。
・豆をまく理由
豆まきを厄払いとして行うようになったのには諸説ありますが、
穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっているというという信仰や、
「鬼(魔)の目を打つ」「魔を滅する」が「豆」に通じるからと言われています。
この豆まき、宮中行事である追儺の儀式には組み込まれておらず、
もとは節分に限らず「ハレの日」の行事として
行われていたものが 節分でも行われるようになったそうです。
>>魔除け、厄除け<<
柊鰯(ひいらぎいわし
焼いた鰯の頭に、柊の小枝を指したもの。
トゲトゲした柊の葉は触るとヒリヒリ疼き、
いくら鬼でも目に刺さったらひとたまりもない。
また、鬼は鰯の焼いた時の煙が大の苦手なのだとか。
門口、玄関に小枝を指せば最強の鬼よけになり、
鬼は絶対に近寄らない。
・恵方巻き
今や節分の定番ともいえる恵方巻きですが、その発祥は大阪。
節分に恵方を向き、願い事をしながら太巻きを黙々と最後まで食べるというもの。
太巻きの具は、七福神にあやかり、
また福を巻き込むという意味も込め、
七つの具を入れるのがよいとされている。
太巻きは、鬼が忘れていった金棒という見立てもあるようで、
食べる=鬼退治という意味合いもあるようです。
恵方の方角は「東北東 」
札幌で開かれるさっぽろ雪まつり。
冬の北海道を代表する 雪と氷の祭典として有名ですが、
今も右肩上がりに見物客が 増え続けている人気のイベントなんです。
札幌雪まつりの起源は、1950年に地元の中高校生たちが
大通公園に6つの雪像を作った事が 札幌雪まつりの日程は 大通会場、
すすきの会場が2月6日~12日、
つどーむ会場が2月1日~12日となっておりますので
現代の日本では、国立天文台の観測によって、
「 太陽黄経が315度になった瞬間が属する日」を立春としています。
針供養を行う事八日は、12月8日・2月8日とふたつの暦です。
関西地域では12月8日、関東地域では2月8日が主な事八日の暦ですが、
関東・関西それぞれの地域で違うでしょう。
寺社も含め両方の暦で行事を行う地域もあれば、
12月8日のみ、2月8日のみの針供養も見受けますが、
家庭で行う針供養は家の都合で問題はありません。
( 振替代休 2月12日)
「建国をしのび、国を愛する心を養う日」と定義される建国記念の日。
日本国が誕生した日…ではなく、
あくまで「建国を記念する日」とされています。
建国記念の日の由来
由来は『日本書記』。
日本の初代天皇とされる 神武天皇が即位した日が2月11日だったと記されているそうです。
元々は1873年に「紀元節」という名前で祝日となっていましたが、
戦後に廃止。1966年に「建国記念の日」として再度祝日に制定されました。
日本では1970年代に女性が男性にチョコレートを贈る日として定着しました。
実はこの習慣は日本独自のもの、 kiralike読者にアンケートを実施した
「義理チョコにいくら使う?みんなの職場バレンタイン事情を大調査!」もぜひチェックを!
バレンタインデーの由来
そもそもなぜバレンタインデーは恋人たちの日になったのでしょうか。
その疑問を解くカギは3世紀ごろのローマにいた バレンタイン司祭にあります。
当時の皇帝は兵士たちの結婚を禁止。
その理由は「愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がってしまうから」というものでした。
バレンタイン司祭はこの政策に反対し、
密かに結婚をさせてあげていたのですが、
皇帝に知られてしまった結果、2月14日に処刑されてしまいます。
死後、司祭は“聖バレンタイン”と呼ばれる聖人にキリスト教会から認定され、
恋人たちがプレゼントを贈りあったり、
告白したりする日になっていったといわれています。
増殖する「○○チョコ」、いくつ知っている?
本命チョコや義理チョコという言葉はよく聞きますが、
チョコを贈る相手や気持ちによって、
その名称はどんどん多様化しているんです!
・本命チョコ/好きな人や恋人に贈るチョコ。
・義理チョコ/本命以外の人に贈るチョコ。
・世話チョコ/お世話になった人に、感謝の気持ちを込めて贈るチョコ。
・マイチョコ/自分のために用意する、ごほうびチョコ。
・友チョコ/友達に贈るチョコ。交換することも多い。
・ファミチョコ/家族に贈るチョコ。
・逆チョコ/男性が女性に贈るチョコ。
お釈迦さまがお亡くなりになった日です。
お釈迦さまは人生の四苦、すなわち生・老・病・死の苦しみから人々を救おうと心に決めておられました。 王子としてのそれまでの暮らしを捨て29歳の時に出家、
苦行を積み重ね、 35歳の時、菩提樹の下で悟りをひらかれました。
その後、いっさいの衆生を救うために、初めて鹿野苑で説法されました。
以来45年、至る所で、多くの人々に仏法を説かれました。
お釈迦さまは80歳の時、クシナガラ城外の沙羅双樹の下で病の床に臥され、
涅槃に入られました。お弟子をはじめ、
人々は日月を失ったように悲しみ、
生きとし生けるものみなも慟哭してなげき悲しみました。
しかしお釈迦さまはお亡くなりになっても、
その教えは永遠の真理として人々を導かれています。
4年に一度訪れる「うるう年」。
うるう年に増えた2月29日を「うるう日」といいます。
なぜうるう日は必要?
太陽の周りを地球が一周する期間が1年になりますが、
ピッタリ365日ではなく、実際は365.24日なのです。
1年で約6時間ずつ増えていく時間を調整するために、
4年に一度1日を足しています。
6時間×4年分の24時間(1日)がうるう日です。