高校時代まで抑圧された家庭生活を送っていたのは
前述した通り。
当然成績は伸びず、
両親ともに国立大学出身だったので
国立大学なんて当然と思われていたが
底辺の成績。
希望した私立にも入れず、
浪人は許されず、
父には「かっこ悪いから死んでくれ」と言われ、
最終的には父が探してきた短大の二次募集で
何とか進学先を決めた。
難易度が高くなく、人気もなかったであろう短大、
だから二次募集があり、私が合格したんだと思っている。
新入学生オリエンテーションで
酒飲んで騒いで大ごとになったりして
暴れ女子が多かった。
(これもカルチャーショックであり
ここにいちゃいけない、と思った)
女子ばかりだからか付き合い方も面倒くさく
(お金がないのにお茶やご飯に行かねばならないとか
噂話、仲間割れ等・・・)
次第に学校には行きにくくなっていた。
短大時代での語学とのつながりは
英語と、ゼミの先生がマルチリンガルで
遊び半分のようなヒンディー語のクラスがあったこと。
しかし学校に行くことが苦痛でもあったので
ヒンディー語は習得できなかった。
最初に出てきた
「タクシーはどこですか?」「タクシーはあそこです」
しか覚えていない。
話は少し戻るが、
高校時代はビデオ屋さんで洋画を借りて観ることも
とりあえず勉強という言い訳で許されていた。
その中に聴覚障がい者の
出てくるものがあり、それがきっかけで手話に興味を持ち
図書館の本とNHKの手話講座を観て自習した。
これも異言語であると思う。
私にとって二つ目の異言語への興味であった。
この頃は、とにかく短大コンプレックスを何とかしようと
これからは英語じゃないかと思いついて
英検3級を受けてみたくらい。