ある日突然、世界は海に沈んだ。



不思議と呼吸が出来たので、陸や空中に生きる者たちも溺れてしまうことはなかった。



ここは深き海の底。
まるで時の流れから取り残されたように、静かに暗闇だけが積もっていくような世界。
地上が水に沈んでしまったことなど意にも返さない深淵。

そこに彼はいた。

ナマケモノのムロくんである。


(…なんやろ?湿気すごない?はて。もう雨季かい?いやいや、待てや。雨季、先月終わったやろ。…まぁええわ。寝よ。)


ムロくんは深く考えない。ただ深く眠るだけ。




「…」
「…」
シーラカンスのハッサンとジョナサンはそんな彼をジッと見つめていた。
彼は敵なのだろうか?
と最初は思った。
我々の命を奪わんとするものであるか否か、確かめねばならなかった。



「…」
「…」
シーラカンスのハッサンとジョナサンはさらに彼を見ジッと見つめていた。
彼は生きているのだろうか?
次第に心配になって来た。



「…」
「…」
シーラカンスのハッサンとジョナサンは意を決して彼に近づくコトを決意する。
生きているならなぜ動かないのか気になるし、
もし死んでいたなら供養してあげなければならないからだ。

「…」

ハッサンが先陣をきり、その口先でヒゲだらけの生物をつつく。
ムロくんは「んんっ」と少ししてから目を覚ました。

「…あぁ、起きてもうたわ。…って、ん?誰や、あんたら?」

「イ、イキテタ」

「そら生きてるやろ?なんで死んでなあかんのや。」

「ヨ、ヨカッタ」

「?なんや、あんたらの言うてるコトちっとも分からへんわ。ちゃんと分かるように説明しーや。」

ハッサンとジョナサンはことの次第をムロくんに説明する。
すると得心したムロくんは

「あんたらワイのこと心配してくれはったんか!おおきに!
いやーそんなん言われたん生涯初やで。嬉しいでほんま。」

心からの感謝の言葉を、この見慣れぬ生き物におくった。

彼はいつの頃からか、1人だった。

生きている理由はただ、今生きているから、しかなかった。
きっとある日突然ピューマあたりに喰われて終わる。
せめて眠っている間にやってくれと、ただそれだけを思って、生きてきた。

「あんたら名前はなんちゅーんや?」

彼らにしてみたらほんの些細な気まぐれだったのかもしれない。
だけど、そんな小さな出来事が、大きく人生を動かすこともある。

「ハッサン」

「ジョナサン」

「ハッサン、ジョナサン、か。どや、飲みにでも行こか?」

ナマケモノ1匹に、シーラカンスが2匹。

奇妙なトリオの、初めての物語である。







ある日突然、世界は海に沈んだ。



不思議と呼吸が出来たので、陸や空中に生きる者たちも溺れてしまうことはなかった。


「あー」

オオワシのスザクはため息まじりの声をもらした。
世界が水に沈んでから1番ワリを食ったのは彼らかもしれない。

その立派な翼は目一杯水を含んだ布団のように重い。
重く、だから遅い。とにかく、遅い。
目の前をエサである魚たちが優雅にスィーと泳いで行く様を見送るしかない。

たが、ひとたびその翼を振るえば進む距離は長い。

【そうだ!先ずは空に出ることだ!】


最初の日、彼が本能で感じたことは一刻も早く空に戻ることであった。
ここは自分たちの住むべき場所ではない。
戻るのだ。
取り戻すのだ。
あるべき姿を、その力がふるえる場所を。


だか、その願いは叶わなかった。

羽ばたけど、羽ばたけど、そこはずっと水の中。
太陽の光、空は近くに見えているのに、その境界にたどり着けない。

羽ばたいて、羽ばたいて、羽ばたいて、羽ばたいて、羽ばたいて、羽ばたいて、、、、、


そして力尽き、ゆるやかに落下していった。



「あかんわ」

何かを諦めたようにスザクはつぶやく。
隣には妻のモミジと息子のアイルがそんなスザクを心配そうにみつめていた。


【空の王】

そう呼ばれていた。

強さ、
勇猛、
美しさ、
スザクは全てを持っていた。
声は伸びやかに、地平線をどこまでも駆けていった。

その全てを奪われた彼は妻の前にゆっくりとその翼を差し出し、言った。


「むしれ」


その美しい、揺るぎのない声で彼は短くそう言った。

妻は言われた言葉の意味が分からずに、瞬間たじろぐ。
意味を飲み込んだあとも、それは続いた。

「…でも」

「死にたいんか」

「…」


目と目が会う。
迷いなく。
その目は美しく。
一切の迷いなく。


覚悟を決めてからは早かった。
くちばしでその翼の一端をつかみ、引き抜いた。

生涯をこの者と共に歩めることが誇りであった。

私は唯一無二の、王の妻なのだから。


アイルはその光景をながめていた。
悔しさや、無力さが目から流れ落ちるのを、寸でのところで押しとどめ、
彼もまた、父親の羽を、その皮膚からはがし始めた。


皮膚がむき出しの、見すぼらしい姿になり、彼は口を開いた。

「こっからだ」

その意気、目力、胆力。
王を王たらしめるものは、見た目ではないのだ。

彼は羽ばたき、新しい空を駆けた。

王の逆襲の、幕があがった。





ある日突然、世界は海に沈んだ。



不思議と呼吸が出来たので、陸や空中に生きる者たちも溺れてしまうことはなかった。



猫のモズクは足を海陸に押しやり飛び立った。
器用に前足と後ろ足を前後させ水中を走る。

お目当は小魚の群れだ。

世界が陸地にあった頃は人間にエサを与えさせてやっていたが、今となってはそうもいかない。

彼らの持つ【カガクノチカラ】というものはどうやら水に大変弱かったらしく、クルマやデンシャ、ケイタイにと、ほとんどのモノが使えなくなってしまって、
未だに大変参っている。

自分たちの食うにも困る生活を強いられたものに食べ物を持って来させるほど、自分は血も涙もない生き物ではない。

それにこれはこれで気分のいいものだ。

自分の手足で自分の食べ物を得るというのは存外悪くない。

「調子はどうだい?」

友達のコエダが同じように泳ぎながら話しかけてきた。

「ぼちぼちかな。今日は海藻林のほうに行ってみようと思っている。」

「お、奇遇だね。今日は2人でパーティしよう」

「悪くないね。」

2匹は緩やかに、巨大に育ちすぎた海藻の生えている場所を目指した。

するとそこに、進行方向からスノーが血相変えて泳いできた。

「おい、2人とも!あっちはやめておけ!シャチが出やがった。」



シャチ。その言葉に2匹は身震いした。
新しく作りかえられた世界で、その名は生きるものすべての敵であった。

ココは彼らの世界。

シャチにサメ、大きなクジラ。
奴らは無慈悲に僕らをたべる。

スノーにココで出会えたのは幸運だった。

「ついにこの辺にもで始めたのか。」

コエダが憂鬱そうな声で言う。

どうやら今日のパーティは中止のようだ。

3匹は連なり、海陸に足を下ろして家路に着く。

モズクはふと、
世界がこんな風になる前に、クルマにひかれてしまった友達のコトを思い出し、
魚に食べられてしまう僕らの数と
クルマにひかれてしまう僕らの数、
どちらが多いのだろうと
結論の出ない考えを頭に巡らせていた。