僕は山に入っても、海を見ても、ものごとに対して宗教心というのは必要だと思っているんです。
スローな感じの、柔らかな宗教心、それがなくなったら対人関係もギスギスするし、自然破壊も起きる。
小さな、緩やかな宗教心というのはみんなを救ってくれるような感じがする。
- 親鸞と道元/五木寛之
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親鸞聖人と、道元禅師!!
五木寛之さんと立松和平さんの対談!!
至福のひと時でした。
この対談は、本当はもっと続くはずだったようだけれど、
立松さんの急逝により、途中で終わっている。
立松さんは対談のなかで、「これからこんな小説を書こうとおもっている」と先の夢を語っていた。
志をたくさん持っていた中の急逝だったんだなぁ、と感じました。
私が仏教に関心を持ったのは、五木さんの影響がかなり大きい。
五木さんは親鸞門徒であり、浄土真宗を信仰している。
仏教について知りたいなと思い、宗派のことなど全然知らないとき(その時は仏教はみな同じもんだと思っていた。)に、
少し本を読んだりしてみたけど、
「五木さんの言葉は素敵だけど、親鸞はなんかちがうよな・・・」
っていう違和感が私の中にはあった。
南無阿弥陀仏なんて身近で聞いたことないし~。
そして禅に出会い、道元禅師のことや禅語のことなんかを知るうちに、
「おぉ~!これやん!」
っていう感動があった。
哲学者の池田晶子さんは著書の中で、「禅は自分の肌に合う」って表現しているところがあって、
私もそんな感じ!っていうものすごい共感があった。
肌に合う感覚は、どこから生まれるのか分からないのだけど、
こんな生き方がしたいとおもう私の理想と、禅がスッと合った感じがしたんです。
まだまだ何も知らないことばっかりだけど、若いうちに禅に出会えてよかったと、心から思っています。
この本は、読みやすかったです。
親鸞と道元って、同じ時代に生きてるはずだよな~っと漠然と思っていたのですが、
巻末には2人の年表が重ねて書いてあって、歴史的にもすごく分かりやすかった!
今日は帰省していました。
おうかわねこさんに会うというためだけに。
そうしたら、今日は父の命日だと母から言われまして。
すっかり忘れとったがな。
父ちゃん、良い夫婦の日に死んだのかい。
もう13年。
私が26歳なので、父がいた年月と、いなくなった年月がちょうど同じ。
13歳からこれまでの私の過ごしてきた日々は結構長かったような気がする。
その長さと同じ時間だけ、父は私たちのことを育ててくれていたのかと思うと、感謝です。
13歳から今まではいろんな想いを感じて生きていたけど、グレなくてよかった。
生きていることに感謝できる自分でいられることに感謝。
できないことがまだまだ多すぎるし、
やってみたいことも、知りたいことも、感じたいことも、いっぱいありすぎる。
今はまだ、「若いからいいよね」と言われる年代。
「若いからいいよね」という人たちが私には羨ましい。
だってたくさんのことを経験して、私の知らないことやできないことがたやすく出来るんだもん。
先を生きている人の、経験していることにはどうしたってかなわない。
早く年をとりたい、というわけじゃないけど、誠実に年を重ねていきたいと思う。
そして欲を言うならば、早くは死にたくない!
生きられるまで生きていたいと思う。
道元禅師が幼少期、母親の死から無常を感じたというように、
私は父の死から、思春期なりに無常を感じていた。(無常という言葉を知るのはずっと後になってからだけど)
あの時の想いが、今の死生観を育んでいるのは間違いない。
今日も明日も、生きることと死ぬことを考えているのです。
今日も明日も、しあわせなんです。