3月6日は三浦マラソンの日でした。

特にアップダウンの多いこのコースは、マラソン素人にとっては厳しい闘いとなりました。

10年程前に走った時には、ろくに練習もしないのに十分に走り切れたのですが、

今回はそうはいきません。昨年秋から少しずつ準備はしていましたが・・・・


上り坂、激走中・・・・ ずっと10年前の自分と闘っていました。



結果的には、30代の自分には惨敗でした。



それでもナビゲートして下さった先生達のおかげでギリギリ時間内完走はできました。

しかし、人の支えのあることがこれ程に大きいこととは・・・痛感しました。

たぶん1人で勝手に走っていたら完走はおろか、棄権していたかもしれませんね。


人の支えの有り難さを感じたことで、

自身がいっそう支える側の人間でありたいと思えた一日でした。

ありがとうございました。本当に感謝です。




あとは動脈に亀裂が入っていないことを祈るだけですね・・・(笑)
「未在」という言葉・・・

そのまま直に読むと「未だそこに在らず」といことになりますが、

実はこの言葉、禅の中で用いるようで「限りがないこと」という意味だそうです。

すなわち「修行には限りがなく、常に向上心を持って前向きに歩み続ける」という

ことです。

この未在という言葉を店の看板に掲げる日本料理の名店をご存知でしょうか?

自分を律しながら更なる高みに向かい歩み続けようとする主人の精神が宿っている

ようでとても素敵な名前だな~と思います。



最近の世の中の風潮では、安易に答えを求め、また安易に答えを与えてしまう

そんな世の中になったな~とよく感じます。

(例えば、試験中に問題の答えをスマホで他人に問う人間がいれば、ご丁寧に
 答えてあげる人間もいますよね。何とも軽薄で不思議なシステムです。)


青年期に師弟関係の中を歩んできた者にとって、

こうした昨今の風潮に、どっからともなく涌き上がってくる疑問符があるのです。


こんな昔気質の私にしっくりくる響きを与えてくれるのがこの種の言葉です。

「未在」という言葉のもつ表情には、古くから伝わる言葉でありながら、

どこか斬新で、直向きさと謙虚さを合わせ持っていると感じるのです。



すぐに結果には反映されない。簡単には到達出来ない。安易に得ることが出来ない。

だからこそ思慮を深めて工夫をしながら求め続けていく。

自分でテーマを見つけ、自分で調べ、自分で考え、自分で答えを導き出していく。

その過程にこそ意味があり、

人としての根を深く伸ばしていく成長の時間なのだろうと私には思えるのです。



今の世がこうした時代だからこそ、

後進達に伝えていきたい貴重な概念の一つと感じております。



一生をかけて目指すべき治療とは何か? 真の医療とはどのようなものか?

損得の尺度に振り回されることなく、自身の内なる道をしっかりと見つめ、

自問自答を繰り返しながらじっくりと、しかし着実に歩んでいく。

そうありたいと思うのですが・・・・












相田みつをさんの美術館に行ってきました。

なんとも不思議なところでした。
流れている空気がゆっくりとしていて、
とても落ち着いた気持ちになります。

言葉の持つメッセージ性の強さを感じることが出来ました。

今回、私はこの言葉を頂いてきました。

おてんとさまの
ひかりをいっぱい吸ったあったかい
座布団のような人


この言葉をイメージしただけで、心の和む自分がいました。




是非、今年は一回行かれてみて下さい。
きっと今の自分の心にヒットする言葉が見つかると思いますよ。