下段の構えからの太刀筋について、「おもて第三の次第の事」の中で、次のように記されています。
「第三の構、下段に持ち、ひつさげたる心にして、敵の打ちかくる所を、下より手をはる也。手をはる所を、亦敵はる太刀を打ちおとさんとする所を、こ(越)す拍子にて、敵打ちたるあと、二のうでを横にきる心也。下段にて敵の打つ所を一度に打ちとむる事也。」
(訳)
第三の構は、下段に持ち太刀をぶらりと下げたような心持で、敵が打ちかかってくるところを下から敵の手を張るのである。手を張るところを、又敵が、張る我太刀を打ち落そうとする、そこを越す拍子で、敵が打った後、その上腕を横に斬るのである。下段の構から、敵が打ってくるところを一気に打ち仕留める事である。
なお、「張る」は、手をいっぱいに伸ばし力を込めてたたく、ひっぱたく、ピシャリと打つ事であり、「越す」は、敵の太刀の上を通り過ぎて向こう側に行くというイメージです。
さて問題は、そのあとに続く次の文である。
(写本)
「下段の構、道をはこぶに、はやき時も遅き時も、出合ふもの也。」
ここで、「道」とは太刀の道、すなわち太刀を打ち込む方向、太刀の通っていく道筋・軌道の事です。「はこぶ」は、物を、移動する・動かす・進めるなどの意味で、例えば、「針をはこぶ(=縫う)」、「筆をはこぶ(=物を書く)」、「足をはこぶ(=歩いて行く、出向く)」のように使うほか、事を推し進めるという意味もあり、「うまく事をはこぶ」、「この話を手際よくはこぶ」、「交渉がうまくはこぶ」などと使います。
しかし、いずれの意味にせよ、「(太刀の)道をはこぶ」という表現には無理があります。
なお、水の巻の締めくくりのところで、「千里の道もひと足宛(ずつ)はこぶなり(岩波文庫74頁9行目)。」という類似の文がありますが、これは「道をはこぶ」ではなく、「ひと足宛(を)はこぶ」のです。
このような不自然な表現には、誤写があると考えるべきです。そこで「みち(道)をはこぶ」のではなく、「たち(太刀)をはこぶ」と考えると、自然なフレーズとなります。「太刀をはこぶ」とは、太刀の道に従って太刀を打つということです。
なお、「はやき時も遅き時も」は、「大小・遅速の拍子の中にも、(岩波文庫35頁4行目)」とあるように拍子の速い遅いを意味しています。
また、「出合ふ」は、ぴったりする、うまく適合する、通じる、通用する、効力を発揮するなどの意味です。「いづれの道具にても、おりにふれ、時にしたがい、出合ふもの也(岩波文庫36頁5行目)。」
結局、問題となる写本の箇所は次のように訂正されます。
(写本)
「下段の構、道をはこぶに、はやき時も遅き時も、出合ふもの也。」
(原本)
「下段の構、太刀をはこぶに、はやき時も遅き時も、出合ふもの也。」
(訳)
下段の構は、(太刀の道に沿って)太刀を打つ、その拍子の速い時も遅い時も、通用するものである。