※ショックなことや不快に思われることが書かれています。
※中学の時はとても辛い時代でもあり、思い出したくもないトラウマ的な時代でもある。
辛すぎて記憶を薄まらせていたが
記憶を掘り起こし、なんとか文章化させた
曖昧な表現の部分があったり、重複した文があったりするかも。
このことを書くことがしんどすぎて、丁寧に文章があまり書けてないかもしれない。
でも当時の心理状態をある程度、正確に表現できたかなと思う。
長い文章ですが、自分がなぜ重度斜頭の影響と境界知能のことを発信しているのか、
その理由の根本になる文章です。
心の内側というカテゴリーは、自分が発信する理由の元となる部分です。
全公開しようと思ったけど、まだその勇気はなかったのでアメンバー限定。
自分の過ち
中学生の頃、自分はハムスターを虐待し、死なせてしまった。
あの時の自分は正直、狂っていたと思う。
自分を見失っていた。
当時、精神的に追い詰められてて、かつ自分自身が今どういう精神状態なのかを、その時わかってなかった
思考が追いついていなかったように感じる。
今振り返れば、当時の自分は境界知能だったのだと理解できる。
あと斜頭の負担もあったと思う。
けれど、その事実に気づけたのは30代になってからだ。
10代、20代の自分は、その理由がわからないまま、ただ苦しんでいた。
特に中学生の時のストレスは尋常ではなかった
勉強についていけず、逃げ場がなかった。
勉強ができないのは努力不足と見なされ、先生や親からそういう風に見られていた。
自分なりにがんばっていたのに、努力が足りないと見られていたことが、本当に辛かった。
逃げる場所も、言い訳する余地もない
そんな状況が続けば当然、心はどんどん壊れていく。
自分が自分でなくなり、気づけば自分を見失っていた。
そんな時、自分はハムスターにそのストレスの、はけ口を向けてしまった。
小学生の頃にもハムスターを飼っていたが、その時は大切に育てていた。
よく指を噛まれたけれど怒ることもなく、ただ可愛がっていた。
亡くなった時は、大泣きした。
でも中学の時は違った
多分、当時思っていたのは、小学生の時のように
本当は自分を癒やすためにハムスターを飼いはじめたはずなのに
勉強や学校のストレスに押しつぶされる中、自分は無意識にハムスターに八つ当たりするようになり
気づけば3匹ぐらいのハムスターを
痛めつけ虐待するという、最低な行為をしていた
そして、結果的にそのハムスター達を死なせ、殺してしまった。
自分がしていることが異常だと気づいたのは中学3年生の頃だった
「なんで自分は気持ちがこんなにつらいんだろう?、それとなんで自分はこんなことをしてしまったんだろう?」
ある日、その疑問をふと思い
その疑問が自分の中に強く残り、それから自分の心と向き合うようになった。
けれど、その作業はとても苦しかった。
その過程は、まるでパンドラの箱を開けるようだった。
あの頃、自分の心の中にはどうしようもないドロドロとした感情が渦巻いていた。
その正体は、今思えば小学校高学年から
特に中学3年間にかけて、積み重なった過度なストレスだったのだろうと思う。
15歳の時、勇気を出して親に自分の中の、えもいわれぬ苦しみを伝えようとした。
自分の気持ちを言葉にしようとしたけれど、当時はなぜ自分が苦しんでいるのか、わからなかった。
今でこそ全体像がわかり「境界知能」や「斜頭によるストレス」が原因だとわかるが
それらがわからず、うまく説明できなかった。
結局、ハムスターを虐待してしまったことはその時は言えなかった。
それを親に打ち明けたのは30歳を過ぎた頃だった。
当時の自分は追い詰められていた
でも、だからといって許される行為ではない
自分の未熟さ愚かさと、追い詰められた状況が重なり
とんでもない過ちを犯してしまった。
取り返しのつかない行為をしてしまった。
30歳を過ぎた時、
親にはちゃんと伝えようと思った。
勉強や仕事ができないとは、どんな感覚なのか?
20歳以降、社会人になってから
自分自身のことを50ccの原付のようだと感じるようになった。
普通の人は、自動車のように余裕で50キロ、60キロとスピードを出せる。
場合によっては100キロでも走れる。
でも、50ccの原付はフルスロットルでやっと50キロが限界だ。
自分にとって、その50キロは自分の全力だった
でも、周りから見ればそれはただの普通の速度。
それなのに、より多くの努力を求められ、そしてうながされる。
誰もフルスロットルで走ってることには気づかない。
そういうのが学生時代からあり
中学の時、そのズレに気づいてもらえない苦しさが、自分の中に無意識のうちに溜まり
やがて心の中で膨れ上がり、そして心がひどくよどんでしまったのだと思う。
あの時、虐待していた自分の行動は、無意識の内に心がネガティブになっているというシグナルだった
つまり行動で、当時の自分の内心の部分を表現していたとも言えるかもしれない。
中学時代の、あの頃の自分は本当に苦しかった。
2005年5月、犬を飼った。
コーギー犬でコマツという名前
コマっちゃんとよく言っていた。
今思えば、飼うべきじゃなかったなって思う。
情緒不安定なまま、犬を飼ってしまった。
最初はちゃんと飼ってたんだけど、当時の自分は心の余裕はなく
それでも自分が悪いんだけど
犬が例えばトイレを覚えられなかったり、そういったことでイラついて、怒鳴ったり、叩いたりしてしまった。
なんとか怒りを抑えようとしてた時期だけど、なかなかそのコントロールが難しい時期だった。
コマを飼ったのは2005年の5月
その3ヶ月後ぐらいに、自分は家で大暴れをしてしまった時があった。
その怒り、暴れ方は激しく
その時家には誰もいなかったけど
ただコマがいたので、コマに手を出さないように家で大暴れをし破壊していった。
自分の中のストレスが限界になった。
そのストレスというのは、別にコマに対してのストレスではなく
コマを飼う以前からあったストレスだった。
なぜその時、大暴れをしたのか?
たぶん、自分の中のストレスが最大限になったからだと思う。
自分は中学以降、情緒が不安定だった
理由もわからない怒りやら苦しさがあった
それは当時、言葉に言い表せれないものだった。
とにかく家で大暴れをした
そして、ひと通り暴れたあと落ち着いていった。
冷静になったあとコマを見たら、
コマはそのときひどく怯えていた。
落ち着いたあと、色々あったりしたんだけど
その時、その後の心の指針になるような不思議な出来事があった
それについては、別の記事で語ろうと思う。
※その記事↓
そして翌年の2006年も相変わらず情緒不安定だった
ただ、2005年の時と比べたらまだマシだった。
それでも今思えばカツカツの精神状態だったと思う。
それ以降も、なんとか心のコントロールを保とうとして、自然の中に身を置いたり
なんとかバイトしながらも、自分の精神をコントロールすることに力を注いでいた。
ただ、飼っていた犬のコマに対しては、なかなか心をコントロールできない場面もあった
それも自分が悪いんだけど。
コマは何も悪くなかった。
例えば、あまりトイレを覚えられなかったりして怒ったり、痛い思いをさせてしまったから
2005年に飼い始めた時からそういうのがあり、さらに数ヶ月後には、大暴れしてコマを怖がらせたり
もう翌年の2006年には、コマは自分のことを嫌っている感じだった
吠えられたり唸られたりしていた。
当時、自分はコマに酷いことをしたという自覚はあって
優しくしようとはするんだけど、唸られたり吠えられたり、あるいはトイレがちゃんとできない、それを掃除する。
そういうのでイライラして、2006年から2008年までしょっちゅうではないけど
そのコマがトイレができなかったり、あるいは自分に対して吠えたり唸られたりする部分を見て
イラついてしまい、怒鳴ったり、酷い時は殴ったりしてしまった。
また酷いことをしてしまったと、反省をしつつも
イラついてしまう自分がいた。
怒ってしまった時は、ごめんと謝り
手を出してしまった時は、土下座して謝っていた。
しかし、それでも自分はイラついて同じ過ちを繰り返す
危害を加えて謝る
まるでDV彼氏、夫のようだった。
