思いがあることによる長文じゃけえ許してつかあさい
斜頭症を伝えていくうえで避けられない部分を語ろうと思う。
自分は、赤ちゃんの時点で重度斜頭を見過ごすなと発信しているけれど、
それを伝えることで、すでにその時期を過ぎた親や当事者の気持ちを繊細にさせるかもしれないと思った。
10年以上、重度斜頭と向き合ってきて5年前からSNSで、ちょっとずつ発信してきた
SNSで発信する前から思っていたのは
これを伝えるということは、誰かの感情のスイッチを押してしまう可能性があると思った。
なぜなら、「後戻りできない」という感情の波を人によっては強く感じるかもしれないし、
元々そういう頭の形(斜頭とか)の認識は無かったけど、これらを伝えることによって
それらのネガティブな感情を抱かせ、思わせてしまうかもしれないと思った。
当事者にとっては、自分の頭の歪みを意識させるかもしれないし、
親によっては「自分が歪ませてしまった」という後悔や罪悪感を刺激してしまうかもしれない。
でもこれはある種、避けづらい通過儀礼のような感情だと思う。
自分もそこを通ってきたからよくわかる。
重度斜頭を伝えるということは、社会全体に「頭の形を意識させる」ということ。
それにより、人によっては「見過ごした」とか「後戻りできない」という感情に触れる可能性がある。
だけど、自分の気持ちとしては一言で言えば
「過度に気にしすぎなくていい」と思う。
親であれ当事者であれ
それはもう、しょうがないこと
ただ受け入れるしかない。
いろいろな価値観があるだろうけどね
というのも
自分が作った斜頭に関してのYouTubeの動画に、母親らしき人からコメントがあった。
要約すると
「自分の子どもの重度斜頭にしてしまった。当時はヘルメット治療もなく医者にそのうち頭の歪みは治ると言われた。子供はもう20歳越えたぐらい、死にたいほど後悔している」
という感じだった。
それをみて自分は思った
「いやそこまで背負うことなくね?」
その子どもが身体的に生活で困っていないのなら、それでいいじゃないかと思った。
仮に困ってたとしても、でもそれは
時代性もあいまってそこまで頭の形に意識が向かなかった、医者も親も
だから必ずしも親の責任じゃない。
自分の考えは重度斜頭であっても、身体への負担がないならいいんじゃないかと思う。
見た目だけの問題なら、そこまで親も当事者も、自分自身を追い詰める必要はない。
もちろん、自分も見た目(斜頭からくる顔の歪みとか)で悩んだことはある。
でも年をとってくると、そんなに気にならなくなった。
これに納得いくのは、個人差はあるかもしれないが。
頭の形の見た目においては、
自分が頭の形に関して、調べたり意見を聞いたりしてきて思ったのは、多くの人は他人の頭の形なんて気にしていない。
実際、自分も重度斜頭の負担を認識するまでは、大人になるまで頭の形をあまり意識してきてなかったし、
重度斜頭のことを語っているけど、別に他人の頭の形を常に意識してない
思うとしたら「仮にこの人は、重度斜頭だとしたら身体への負担とかはないのだろうか?」ぐらいで
問題は、重度斜頭による身体への負担がある場合だけど
これは過去記事でも書いたけど
個人差はあるかもしれないが、重度斜頭の身体への負担は難病ほどの重いものでもない
かといって、
何も問題ないからとか、軽い問題なんでたいしたことない、というのも
それはそれで赤ちゃんの頭の形を軽視することになりかねない
軽いといっても自分の場合
慢性的な首こり、左股関節、左膝への負担がある
それを軽いと捉えるかどうかだけど
これが一時的なものなら、軽いに入るだろうが
慢性的に生涯続く可能性があるなら、それは難病ほどの重い症状ではないにしても、
絶対に軽く扱っていい部分じゃないだろう、重度斜頭の影響は
まさに身体のグレーゾーンだ、そこにハンデがあるんだけど理解されない。
なので対策としては、自分はストレッチや筋トレとか、あと食事とかはタンパク質を意識してとっている。
とにかく筋肉量が落ちると、首などへの負担を感じる。
話が変わるけど
自分がさっき書いたこの考え↓
「いやそこまで背負うことなくね?」
自分がこう思うのは、結局過去には戻れないからだ。
当然、自分も色々な感情と出会ったことがある。
それこそ絶望感や、過去に執着する感情(なんで頭の形をみなかったんだ大人達は、みたいな)や、
そういうネガティブな感情は感じてきたし、対峙してきた。
でもどこかで切りかえないといけない、難しいかもしれないが。
いつまでもその感情にとらわれるのは辛いからね
かといってそれらの感情が今、無いかと言えば
有る時は有る、ただ昔よりかは大分減ってはいる。
そういう感情が出てきたら、ただ受け入れるだけというか
「ああ、悔しがってんだな俺」とか「無念さがあるんだな」とか
マインドフルネス?じゃないけど、俯瞰視点的な感じで観る。
それらの感情が出てきても、そういう感じで受け入れる。
ネガティブな感情があったらそれを理解する、そしてその感情を否定も肯定もせず、ただそれがあることを観る。
それでもそういう感情が出続けていたら、うんざりしてくるので
ネガティブな感情にたいして「いいかげんそう思ってても、しょうがねえだろ!!」
という感じで、怒りで跳ねのける
そして自分に活を入れる。
そういう鬱々としてるよりかは、怒りの方がまだマシなんじゃないかと思っている。
でも常に怒りを抱くのも疲れるので、できるだけ気持ち的にニュートラルに、穏やかにいたいけどね
そういう時は、静かな自然を感じれる場所に身を置く(河川敷とか)
でもこれらの感情を言語化し、表現する必要はあると思っている。
表現するとはつまり、誰かに話を聞いてもらうとかSNSで文章化するとか
とにかくそれをするのは大事だと思っている、長年の抑圧感情の膿をだすために。
抑圧感情を抑圧し続けたら、すごい悶々とするだけだから
話を戻す
重度斜頭当事者として思うのは
症状の負担だけじゃなく、
何より自分が感じてきたのは、その重度斜頭の負担が、社会や医者や親に理解されない、認知されないということだ。
そこが一番の根っこの問題点だと思っている。
さっきのYouTubeの母親らしき人のコメントもそうだけど、
20年前なんて、頭の形の認識そのものがほとんどなかった。
自分が生まれた38年前も同じだろう。
だから親を恨んでいた時期もあったけど、冷静に考えれば誰も知らなかっただけだ。
過去、重度斜頭の負担を理解しない親を恨んだ
俺が歪ましたわけじゃないのに、
親の監督不行き届きで重度斜頭になった、なのに誰からも理解されないサポートもされないで、
この負担を俺が一人で、悶々と抱え続けないといけないのかという、理不尽さがあった。
親を恨んでたけど、でも冷静に長く時間をかけて考えたときに
さっき書いた通り時代性もあるし、頭の形は自然と歪む場合もある、病気とか向き癖とかで。
そして親が故意に歪ましたわけでもない
だからしょうがないという考えにいたった。
根本的には当時、
医者、特に小児科医や産婦人科医が頭の形に何も言ってこなかったのも大きいし、そして社会全体
その意識的に赤ちゃんのうちに頭の形を整えるという認識がなかったのも大きい。
つまり、誰も悪くないという結論に今は至っている。
うちの親なんて、罪悪感を持っているのか持っていないのかも分からないくらい、ケラケラした親だ
それはそれで腹が立つ部分もあったけど、逆に思いつめられても困る。
やっぱりバランスが難しい
まあでも最近の両親は、今は重度斜頭の負担を理解していてくれてるし、多少なりとも認識不足による後悔はあるようだ。
さっき書いたように「時代性もあるからしょうがない」とは、一応親には言っている。
罪悪感を抱かれ過ぎても困るから
いや寧ろ今までが、抱かなさすぎだろとは思っていたけど
あまり背負わせすぎてもダメだなと思った。
一番自分が辛かったのは、重度斜頭の負担を理解されなかったことがしんどかったから
今は理解されてるので、そこで充分だ。
自分は、ブログで頭の形を軽視している医者を批判をしている。
それは、過去に何人も医者に相談しても、話を真剣に聞いてくれる医者がいなかったのと
まだ理解が広がっていないという現状があるからで、
本当に理解されるようになれば、それはおわる。
自分は、医者(小児科医など)が重度斜頭を認識し予防、治療をすべき防波堤だと思っている。
なぜなら、親自身の頭の形に対する認識だけだと限界があるからだ。
頭の形の認識や予防、治療を自前で調べあげるには、どうしても個人差がでてくる。
でも最近、小児科の領域で頭蓋健診の認識を、全国的に均てん化させる動きが出てきてるみたいだ。
だから乳幼児健診などで、全国的に赤ちゃんの頭蓋健診がふくまれるようになると思う。
それにより、いずれは親の間での頭の形に関しての認識や知識の差がなくなり
全体的に知識が底上げされ、結果重度斜頭のまま大人になる子たちを減らせれると思っている。
長年の医者による頭の形の軽視に対する、怒りや不満をエンジンにして発信してきた、特に今年は。
今年の抱負に勝負の年とした↓
今年の目標として、
この自分の中にある長年の抑圧の感情を、ブログ記事に書くというのがあった
その感情の部分を書くことは、勝負なのか?
という意見があるとしたら
自分にとっては勝負だ。
なぜなら長年、だれにも理解されないという怯えた感情があるからだ。
長年あった感情をまじえた記事を書くというのは勇気がいる。
勇気がいるというのは、
「自分が言っていること(重度斜頭の負担に関して)は、間違ってるかもしれない」
というのもあるが、
やっぱり大きい感情の部分では、重度斜頭の影響を長年感じていて、それを理解されないという抑圧的な状況が続いたからなんだろうと思う。
自分の中に、恨みと赦しの感情が同時に存在している。
そういう矛盾が自分の中にある。
簡単にまとめられる感情部分でもないし、簡単に割り切れる問題ではないということだ、この問題は。
今までも、そしてこれからも
これらの感情と向き合い続けるのが自分の課題だ。
人それぞれ色々問題はあるだろうけど
ま、一緒にがんばっていきまっしょいぃ〜!
